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お寺と戦争(二)   八代組 西福寺住職 山本 隆英 [2017年1月1日(第126号)]

前号で紹介した「本願寺派報国団」結団式式次第に「合掌黙想」があったが、本願寺で行われる催しなのに念仏が称えられない事実。また、末寺本堂内陣の、向かって左余間に掲げてあった「聖徳太子絵像」を右余間に移すことの達示(一九三九年)と、『教行信証』の「主上臣下背法・・・」の行を、「空白トシ引用若クハ拝読セザルコト」の通達(一九四〇年)を本山役職が発布したこと。政府が進める戦時体制に追随するこれら公的事柄に加え、ご門主が発布する「消息」を軸に、戦争遂行支援をにじませた勤行聖典、紙芝居、戦死者への「院号」無料・葬儀の表白文と弔辞の見本配布、ヒトラーユーゲントを模した少年団と、西本願寺中心の戦地慰問団から生まれた愛国婦人会の活動は、国家総動員法ともあいまって、本願寺派寺院は戦時体制一色で、教義も作法も奪われていった。

 ご消息
消息とは、「教義弘通のため、またはある事柄について、ご門主の意旨を宣述するもの」とのことで、最近は新門主の「伝灯奉告法要についての消息」。前ご門主の「親鸞聖人七五十回大遠忌法要についての消息」等があるが、1931年満州事変から1645年敗戦までの15年間に発布されたご消息及びそれに類するものは60余通という(『念仏の響流史』による)。昭和16年9月に発行された『勤行聖典』に収められた二通のご消息を部分抜粋で紹介する。

◆ 勝如上人御消息
三国同盟消息  「・・・帝国の向かう所を明らかにし臣民の進むべき道を示したまへり・・・時局の重大なるに鑑み益々国體の観念を明徴にし 率先して新体制の国策に順応し以って皇謨翼賛・・・皇恩に奉答せんことを期すべきなり。」
◆ 勝如上人御消息 殉国章  「・・・皇国に生を受けしもの・・・一死君国に殉ぜんば誠に義勇の極みと謂ふべし 一家同族の人々にはさこそ哀悼の悲しみ深かるべしと覚ゆれども ・・・真俗二諦の教旨を実践し天晴れ如実の行者として國家忠良の臣民・・・」

殉国 良.JPG

■ 熊本市西本願寺婦人会連盟は、戦死者葬儀の「弔辞」に活用できるよう、この「殉国章」を大きく印刷し配布した。どちらの消息も、今読んでみると胸がしめつけられる。

西本願寺の反省
2004年(平成16年)、本願寺は戦後60年にして、「戦後問題」への対応に関する総局見解として、「・・・戦時下における宗門は、政治の全体主義化、軍国主義化とともに厳しい法の国統制を受けながら、国策としての戦争や国体護持に協力してきました。・・・アジア地域への侵略を行った戦争に協力し・・・」と表明し、前述のものも含め15年間の「ご消息」すべて「依用しない」とした。また、前述の「聖徳太子像」の取り扱いと、『教行信証』の一部取扱いについてはいずれも「失効」とした。
「戦後六十年にしてやっと」という感じだが、ここまで辿り着いたのは、各地でおこされた靖国訴訟、また真宗遺族会等の永年の熱心な取り組みの成果であるといえる。(この度の宗会議員選挙で落選した藤岡崇信さんの、再三にわたる通告質問その他の働きが大であると評価する宗会議員が存在することを申し添える。)

2015年9月19日に成立した「安全保障関連法案」について、大谷派は6月15日、7月15日、9月19日とたて続けに宗派声明を発した。成立その日の声明の冒頭は「このたびの安全保障関連法案が成立したことに深い悲しみを覚えます」とある。藤岡さんは、本願寺派も宗派声明を出すよう求めた。「念仏者九条の会」も文書で総局にそのことを求めた、しかし、それはかなわぬまま今日に至った。昨年9月成立したその法に基づいて、自衛隊は「駆けつけ警護」という語句の下、アフリカ南スーダンへ赴いた。
非戦平和の思いとして、熊本教区ではどのようなことを取り組んでいるか。組織ではない一般僧侶はどんな行動をとっているかは次回に紹介する。
殉国 良.JPG
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