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西嘉穂組・重点プロジェクト   実践目標「サンガの復興〜三・一一を忘れない〜」 三専門委員会設立趣旨  田中 諮朗 [2017年1月1日(第126号)]

戦後71年。「焼け野原からの復興」をスローガンに突き進んできた七十一年。そのおかげで飽食と便利さを手に入れることのできた現在ですが、人間同士が残虐に殺し合い、豊かな自然を破壊してきた先の「戦争」から真摯に学ぶ姿勢を保ち続けることのできた七十一年だったでしょうか‥。また、その「戦争」に全面的に協力してきた私共の教団。宗祖親鸞さまのお示し下さったみ教えに反するこのような愚行を二度と繰り返してはならないと、「儲け」から兵戈無用(「大無量寿経」)に、生きる重心を移さしめられる教化伝道の71年であったでありましょうか…。

基幹運動から実践運動へと名称変更がなされましたが、そのことによっていよいよ真宗門徒として見据えなければならない問題の焦点がぼやけてしまったという印象を受けます。それは、「本願念仏を依り所に生きる浄土真宗門徒として、最低限これだけは踏まえておかなければならない」という視座を提示できない組織体となったとも言えましょう。そこで当組では上からの指示を待っていても何も始まらないということで、運動のスローガンである「御同朋の社会をめざす」、また、宗門の基本理念「自他共に心豊かに生きることのできる社会の実現に貢献する」を丁寧にいただき直してみよう、そしてそこから生まれてくる「問い」を親鸞さまのみ教えに問うてみよう(=今の社会状況はどうなっているのか? 心豊かに生きれない社会状況への共通認識を持つ、そして、そういう社会状況の中にあって、浄土真宗のみ教えをいただくとは?等)、ということで「御同朋の社会をめざす運動・西嘉穂組委員会・設置規則第七条(「運動推進上、専門的、重点的な取組の必要がある場合、専門委員会を置くことができる。」)」に謳われている専門委員会を立ち上げ、動きが始まったことです。

さまざまないのちに対する阻害状況がある中で、組連続研修会でも毎回研修テーマとして取り上げている「差別」、「非戦・ヤスクニ」、それに加えて、震災から五年たった今でも、まったく収束のめどがたっていない「原発」問題。この三つの課題を実践運動委員全員(構成委員=組内15か寺の僧侶22名、門徒会長15名、各教化団体代表8名、坊守会長、門徒推進員39名)が各委員会に分かれて研鑽を積んで行っています。

『私たちが身をもって生きるということは、現実にいのちの世界があるわけです。仏法というのは、自覚的に言語化されることを通して、誰でもが皆、そのいのちの世界を自覚することになるわけです。分別によって、社会の中で絶対化されているものに対して、「おかしいぞ」と問いかけるのです。だから、人間の作っている、社会のもっているいろんな矛盾というものを、遂にいのちそのもののもっている道理が問いかけるものです。いのちそのものが表現する世界を彷彿させるのが仏法です。』竹中智秀ー元大谷専修学院院長ー

この三専門委員会の三年間は、上記、竹中師の言われる「いのちそのもののもっている道理」からの「問いかけ」をいただく歩みでありました。

以下、三年間の研修内容を列記いたします。(二〇一六年十一月現在)

《差別専門委員会》
*委員研修会=17回
*公開講演会=「筑前における部落差別と浄土真宗」鷺山智英さん
*公開講演会=「ハンセン病と部落差別」林 力さん
《非戦・ヤスクニ専門委員会》
*委員研修会=17回
*「靖国の檻」DVD鑑賞。
*公開講演会=「靖国問題と国家」高橋哲哉さん(東大大学院教授)
*公開講演会=「真宗遺族と靖国神社」菅原龍憲さん
《ゲンパツ専門委員会》
*委員研修会=18回
*公開講演会=テーマ「放射能といのちの課題」高石伸人さん
*東日本大震災被災地視察=二泊三日。
*チェルノブイリ三十年・フクシマ五年の写真展と講演会=二月予定。


犠牲のシステム 福島・沖縄 (集英社新書)

犠牲のシステム 福島・沖縄 (集英社新書)

  • 作者: 高橋 哲哉
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2012/01/17
  • メディア: 新書



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お寺と戦争(二)   八代組 西福寺住職 山本 隆英 [2017年1月1日(第126号)]

前号で紹介した「本願寺派報国団」結団式式次第に「合掌黙想」があったが、本願寺で行われる催しなのに念仏が称えられない事実。また、末寺本堂内陣の、向かって左余間に掲げてあった「聖徳太子絵像」を右余間に移すことの達示(一九三九年)と、『教行信証』の「主上臣下背法・・・」の行を、「空白トシ引用若クハ拝読セザルコト」の通達(一九四〇年)を本山役職が発布したこと。政府が進める戦時体制に追随するこれら公的事柄に加え、ご門主が発布する「消息」を軸に、戦争遂行支援をにじませた勤行聖典、紙芝居、戦死者への「院号」無料・葬儀の表白文と弔辞の見本配布、ヒトラーユーゲントを模した少年団と、西本願寺中心の戦地慰問団から生まれた愛国婦人会の活動は、国家総動員法ともあいまって、本願寺派寺院は戦時体制一色で、教義も作法も奪われていった。

 ご消息
消息とは、「教義弘通のため、またはある事柄について、ご門主の意旨を宣述するもの」とのことで、最近は新門主の「伝灯奉告法要についての消息」。前ご門主の「親鸞聖人七五十回大遠忌法要についての消息」等があるが、1931年満州事変から1645年敗戦までの15年間に発布されたご消息及びそれに類するものは60余通という(『念仏の響流史』による)。昭和16年9月に発行された『勤行聖典』に収められた二通のご消息を部分抜粋で紹介する。

◆ 勝如上人御消息
三国同盟消息  「・・・帝国の向かう所を明らかにし臣民の進むべき道を示したまへり・・・時局の重大なるに鑑み益々国體の観念を明徴にし 率先して新体制の国策に順応し以って皇謨翼賛・・・皇恩に奉答せんことを期すべきなり。」
◆ 勝如上人御消息 殉国章  「・・・皇国に生を受けしもの・・・一死君国に殉ぜんば誠に義勇の極みと謂ふべし 一家同族の人々にはさこそ哀悼の悲しみ深かるべしと覚ゆれども ・・・真俗二諦の教旨を実践し天晴れ如実の行者として國家忠良の臣民・・・」

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■ 熊本市西本願寺婦人会連盟は、戦死者葬儀の「弔辞」に活用できるよう、この「殉国章」を大きく印刷し配布した。どちらの消息も、今読んでみると胸がしめつけられる。

西本願寺の反省
2004年(平成16年)、本願寺は戦後60年にして、「戦後問題」への対応に関する総局見解として、「・・・戦時下における宗門は、政治の全体主義化、軍国主義化とともに厳しい法の国統制を受けながら、国策としての戦争や国体護持に協力してきました。・・・アジア地域への侵略を行った戦争に協力し・・・」と表明し、前述のものも含め15年間の「ご消息」すべて「依用しない」とした。また、前述の「聖徳太子像」の取り扱いと、『教行信証』の一部取扱いについてはいずれも「失効」とした。
「戦後六十年にしてやっと」という感じだが、ここまで辿り着いたのは、各地でおこされた靖国訴訟、また真宗遺族会等の永年の熱心な取り組みの成果であるといえる。(この度の宗会議員選挙で落選した藤岡崇信さんの、再三にわたる通告質問その他の働きが大であると評価する宗会議員が存在することを申し添える。)

2015年9月19日に成立した「安全保障関連法案」について、大谷派は6月15日、7月15日、9月19日とたて続けに宗派声明を発した。成立その日の声明の冒頭は「このたびの安全保障関連法案が成立したことに深い悲しみを覚えます」とある。藤岡さんは、本願寺派も宗派声明を出すよう求めた。「念仏者九条の会」も文書で総局にそのことを求めた、しかし、それはかなわぬまま今日に至った。昨年9月成立したその法に基づいて、自衛隊は「駆けつけ警護」という語句の下、アフリカ南スーダンへ赴いた。
非戦平和の思いとして、熊本教区ではどのようなことを取り組んでいるか。組織ではない一般僧侶はどんな行動をとっているかは次回に紹介する。
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編集後記 [2017年1月1日(第126号)]

振り返れば、震災に翻弄され、また一向に進まない後始末に苛立ちながら時ばかりが過ぎ、年の瀬には各地のテロのニュースに暗欝になりつつ暮れていった2016年であった。
今号のお二人の寄稿は、あわただしく日常に流されがちな私たちに対して、過去を冷静に捉えつつ着実に前を向いて進んでいくための契機を与えてくれる好篇である。

新年らしく、夢の話を・・「私はヒーローではありません。当たり前のことをしただけです。ユダヤ人もイスラム教徒も関係ありません。だって皆同じ船に乗る兄弟ではありませんか?」これは二年前パリのユダヤ系スーパー襲撃事件の際、とっさの機転で十五人の客を助けた、マリ出身のイスラム教徒の店員、ラサナ・バティリ氏の言葉である。そのとおり!兄弟です、と答え続けられる私でありたい。人種・宗教の垣根を越えて兄弟らしくあるために、どういう行動が求められるのか?大抵の人種宗教の人たちから余り警戒されず親しみを持ってさえくれることの多い「日本の」「仏教徒」である私たち、だからこそ大いなる和解の時代に向けてできることがあるのではなかろうか?・・初夢には終わらせたくない最近の私の想いであります。〈古井〉
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お寺と戦争(一)   八代組 西福寺住職 山本 隆英 [2016年10月1日(第125号)]

 『こだま』119号(2015年4月1日)から3回にわたって、宇土北組光国寺源重浩さんが「戦時教学について」を述べておられるが、わたしはその戦時教学が末寺にどんな形で下され、末寺はどう取り組んだかを、拙寺に残る戦時資料から探る。所蔵する資料は、本願寺報國團の腕章・愛國婦人会の旗・鮎帰少年團の旗・御消息「殉國之章」・葬儀用敬白文・戦死遺族への弔慰状・『戦時応用説教集』 紙芝居「江南の花」・戦時中の『勤行聖典』・西南戦争の報奨金証書・陸軍大演習寄金感謝状・日中戦争献金に陸軍大臣板垣征四郎名感謝状。これらの一部を数回にわたり紹介させていただきたい。

 本願寺派報國團
 熊本教区が1991年12月に刊行した『戦時下の浄土真宗―熊本教区の場合―』と、八代組が2009年5月に刊行した『八代地方 念仏の響流史』第二部と、当時八代祖の編集者には閲覧さえさせてもらえなかった、昭和16年12月5日付「本願寺新報」の丸写しで「本願寺派報国団」の様子を見る。

 1941年(昭和16年)10月、臨時宗会において執行長は「皇国の為宗祖の教へに従ひ、背私向公を火の玉の如く驀進する」ため報国団結成を表明し、報国団綱領は次の通りとした。
一我等は皇國の御盾なり  決死 君恩に奉答せん  二我等は真宗の教徒なり  献身 正法を顕揚せん  三我等は報恩の行者なり  挺身 天業を翼賛せん。

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 結団式は11月1日、式次第は、着席・行事鐘・開式の辞・宮城遥拝・君が代斉唱・詔書奉読・合掌黙想・勤行(讃仏偈)・辞令交付・団旗授与・綱領唱和(全員)・挨拶・訓示・祝辞・宣誓(真宗宗歌)・万歳三唱・閉式の辞。また、報国団活動をより活発にするため、人材を募って「報国挺身隊」も結成され、特別の腕章も作り、
 一皇恩感戴   二護国正法   三報恩感謝
の三訓を柱として「不惜身命の奉公」を強調した。

 11月25日には当時の前門主大谷光瑞猊下が、東条英機首相と要談される。12月5日付本願寺新報はこの報国団結成を第一面で大きく報道。12月8日は太平洋戦争開戦の日。 
報国団団歌もつくった。
 一、聖恩の旗風晴れて・・・国  難に今ぞ当たらん    二、・・・大アジアいまぞ築かん  三、・・・皇國(すめぐに)をい  まぞ護らん

 熊本教区では、早速12月18日 教務所長を団長に250余名住職参加で「熊本教区報国団本部結成式」が行われ、事業は、一時局認識の徹底・二国策実践・三人心安定対策・四食料増産の助長 五団員の錬成。その他奉公事業として、金属回収運動、仏具供出活動、飛行機献納運動があるが、梵鐘供出、本願寺号献納等、どれもそれなりの実績をあげた。

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 次の年から「一千万門徒の赤誠を昇華せしむるため」法主の巡教が行われ、更に報国団活動の徹底を期す為、住職を一か所に集める「住職点呼」を教区毎に行い、本山執行が直接指揮し「挙派奉公即時戦闘」の実動に入らしめようとした。また、本山の指命を受けて「熊本教区協力会議」が開催され、教区内から二十名の委員を選出し、僧侶寺族の指導錬成と戦時下生活の強化策の協議し実践に努めた。

 新聞にも「坊さんも衣を脱いで戦争に協力」の見出しで、熊本駅での乗客整理や輸送協力、麦刈りや工場炭鉱での勤労奉仕等がしばしば報道された。

 報国団活動は、このように本山から末寺まで組織的取り組みで、戦意高揚、銃後の強化策に大きな役割を果たしたようである。こうなってしまったら、絶対逃げられない。

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災害ボランティアで見えたこと―情報―   天草上組 観乗寺衆徒 森島淳英 [2016年10月1日(第125号)]

子どもの頃「考えて行動しなさい」そういわれた経験がある人は多いのではないでしょうか。私もその一人です。大切な事ではありますが、想定外の災害の中で行われるボランティアでは必ずしも正しいとは思いません。なぜならすべてが想定外だからです。

最初の余震があった14日夜は上天草市の消防団の操法訓練中でした。訓練終了間際に団員の携帯が騒ぎ出し、その後地面が大きく揺れだしました。震源地は益城町。連れ合いの実家近くでもあり、帰熊当時から勉強会などお世話になったご縁の多い地です。しかし、今思うと気にはなりつつも現地の友人に電話したのは次の日でした。もう少し落ち着いてから、状況を確認してから、電話が混雑するかもしれないから、そんな「考えて行動しなさい」が一本の電話を遅らせたのだと思っています。

次の日、居てもたっても居られなくなり、震源地近くの友人に電話をしました。「○○さん、地震はどんな状況ですか」すると返事は短かく「すぐに来い」「わかった、すぐ行きます」やっとやるべき事が決まったのです。その日は沼山津の二ヶ寺の仏具搬出を夕方までおこないました。ほかのお寺も気になったので「あそこのお寺はどうなったか知ってる?あそこは?」と聞くと「わからん」と返事が来ました。なるほど、緊急時は現地でも情報がないのです。

東日本の震災時のボランティアと比べてあくまで主観ですが、一番活躍したのは携帯電話だったと思います。特にスマートフォン向け無料通話アプリのLINE(ライン)やフェイスブック(SNS)などは絶大な力を発揮しました。本震が起きた16日は通常の通話ができない中にもLINEでは通話や通信が可能であったし、またボランティアを行う時も、特定のグループ内での情報交換はLINEを使い、不特定多数へ情報交換にはフェイスブックで情報収集・発信を行いました。

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Facebookでの情報交換

地震発生時より益城町などの大規模避難所にはテレビ局が入り大きく報道された為、食料の物資などは大量に届けられていたようです。しかし、その後の被災者への分配がスムーズに出来なかった為に、腐らせてしまった支援物資なども報道され「せっかく送っても腐らせるなら物資は送らない」などの声も携帯を使って多く寄せられました。また阪神淡路の震災を経験した方より「災害時はビタミン不足になるからフルーツを送りたい、しかし確実に被災者の口に届けてくれる人を探している」と友人を通じて依頼があったのも、携帯電話のネットワークでありました。

震災を経験して気づかされたことは、全国の方々が電話やメールで連絡や物資や支援金を送って下さり、何かお役に立ちたいと思っておられるということでした。地震という逆縁ではありましたが、こんなにもつながりの広さを実感できたことは尊いご縁でもありました。

その全国の支援者と被災地を結ぶお手伝いができればありがたいと思い、そのために正確な情報を収集しスピーディーに発信する必要がありました。

物資を避難所へ届けに行くと、カップ麺のように多すぎる物資と、消臭スプレーなど足りなくて困っている物資がある事が解りました。しかも避難所ごとに状況が違い一日で大きく変わる為、テレビなどのメディアで現状を細かく伝えるのは困難であったと思います。地震発生8日目には大手コンビニの店頭に食料が通常どおり回復し、一週間前後での状況の変化の速さに驚かされ、物から人へニーズが変わることも実感しました。正確な情報がなければ活動も出来ないのです。

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次男と元担任の先生久しぶりの再会

今回は個人的な情報網を使って活動しましたが、教区としても正確でスピーディーな情報網の構築が急ぎ必要だと思います。災害時は情報が大事です。ホームページで発信する事では間に合わない時代です。 

ボランティアとは「自主的に無償で奉仕すること」と辞書にはあります。語源をラテン語で「火山」とする説もあるようで、私は心から熱くこみ上げる衝動に駆られて行動する=「ボランティア」と理解しています。実際に活動するためには、被災者のニーズに沿って迷惑にならないようにするなど活動の心構えを知り「考えて行動する」事は必要不可欠なことですが、何よりも大切なのは「何かできることはないでしょうか」という火山(おもい)なのだと思います。まず「行動しながら考える」事が大切だと今回のボランティア活動が教えてくれました。
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