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1999年1月1日(54号) ブログトップ

「こだま公開講座」講演要旨 いま真宗をどう捉えるか  信楽峻麿 [1999年1月1日(54号)]

 真宗という教えが、実は現代のこの混迷の状況の中にぴったりかみ合っていないという、そういう問題意識で今日は申し上げようと思います。

 つまり、経済そして政治・あるいは科学・教育、さまざまな我々を取り巻く文化が非常に大きな変革を遂げている今日の時代において、真宗は一体どう対応するのかということ。何百回遠忌とやらで人を集めているような、そういう後ろ向きの方向をどう前向きに転換していくのかという問題意識が教団にあるかないか。そういう今日的な状況の中で、いま真宗をどう捉えるか、こういう問題であります。


 一、宗教と時代社会 (1)宗教の意義
 人間における苦悩の救済、それがまさに宗教の基本であると思いますが、しかし、その人間の苦悩という問題は、時代社会の中で常に動いているという側面がございます。勿論、生老病死というような基本的な人間の抱える苦悩は変わらないとしても、その苦悩は時代の中で受け止め方が変わり、度合いが変わり、色合いが変わっているはずなんです。そういう意味では、その人生の悲しみや苦しみをどう全うに受けて、その悩みを解決するか、新しい生きる力を与えるかについては、宗教自身が自己変革を遂げなきゃならんと思うんです。ところが、実はそうなっていないのであって、それがこれから申し上げたい所であります。


 (2)日本の場合
 古代の日本人、即ち我々の遠い先祖の悩みは、申すまでもなく神道がずっと受け持っていたと言っていいと思います。それはその時代の古代人の悩みは、基本的には天災地変です。自然の恐怖にさらされて手の打ちようがなかった古代の人たちは、天地に伏して祈る以外にはなかった。

 しかし中世・近世(平安時代から江戸時代)における民衆の悩みは、死の問題、死後の問題です。この世に様々な絶望を感じ、しかも日々の日暮らしの中にあえぎながら生きていたこの時代の庶民は、結局来世を夢見る他に手がなかった。せめて来世に幸せがありますようにと、死後にあこがれる形で民衆に仏法が広まった。

 ところが、大きく時代が動いた近代(幕末から明治にかけて)においては、仏教は死後ばかりを問題にして現在を問題にしないとして、廃仏毀釈・仏教無益論という形で非常に仏教は批判されます。そして、そういう新しい時代に民衆の悩みを受けて立ったのが民衆宗教です。天理教とか大本教・金光教という一連の新しい宗教運動です。幕末から近代にかけての大きなうねりの中で、俺達にも現実の社会に幸せが獲得できるんだという、こういう新しい民衆の動きが生まれるんですが、その時の一番の悩みは貧困と病気です。何とかして経済的に幸せになろう、病気に打ち勝とう、そういう形で現実の中に幸せ求めようとしていく。これに対応したのが今申し上げた民衆宗教です。しかし、簡単に言えばこれももう伝統宗教化して今日にはあまり力がありません。

そこで、次に出たのが戦後、新興宗教と言われる一連の宗教です。御案内のように、戦後の大きな変化の一つは、伝統・権威が崩壊したことです。何が真実か何を頼りにしていいか解らなくなった。その時に新しく出てきた典型的な宗教が創価学会で、これは文字通り、新しい価値を創出するということです。これは特に都会の方で広まった。それは、農村の方はまだ「国破れて山河あり」と言う如くあまり変わってないが、都会は戦災の後大変な混乱でしたから、その時に新しい価値に拠り所を求めたんです。ともかく、こういうような幾つかの宗教が生まれました。

 真宗は、浄土念仏は近代以来、そういう民衆の悩みや苦しみ、戦後の混乱の中にどう自らを変革して対応できたのか。真宗の近代化というのは音楽法要ぐらいのものではないですか。そして、時代はさらに新々宗教と言われる時代に進んできています。ご当地ではあまり影響がないかもしれないが、しかし東京のど真ん中では幸福の科学というのは非常に浸透力を増している。そういう状況になっています。


  二、現代という社会状況 (1)人間の道の崩壊
 今日、古い伝統の原理・倫理は崩壊しました。それは、かつては想像もできなかった今の新しい社会の中での一つ一つに、古い倫理ではもう間に合わなくなったからです。とすれば、次の新しい倫理が出来なければ当然混乱をするんだが、それがまたできていないというのが今の状況です。


 (2)社会の無宗教化
今年の五月の読売新聞に宗教意識に関する調査が掲載されていました。それに基づくと、「宗教を信じている」と答えた者が、現代の二十歳代、及び七十歳以上ともに、二十年前に比べるとほぼ半減していることが解ります。

 実はこの話をある教区の僧侶研修会でしたことがあります。そしたら、後の質問で「先生、それは心配ありません。だって、本願寺にはあれだけ遠忌で金が集まってるじゃないですか」…。私はそれを聞いてビックリしましたが、この教団の僧侶の危機のなさがもっとも危機だと思います。今もこれは読売新聞が宗教者に突きつけておるんです、これでいいのかと。

 従って、いま一番大事なことは、この今日の「心の喪失」という所から問題を起こさなきゃならないということです。仏教は知識としては広まっているけれども、問題は心です、信心の「心」です。信じなさいと言う前に心がなくなってるんじゃ、信心は成り立たない。

 これはまた、人間のものの見方という問題でもあります。私たちのものの見方は非常に大雑把に言うと、「価値の計量」と「意味の感得」とに分けられます。「価値の計量」とは、役に立つか立たないか、お金に計算したらどれぐらいになるかという事です。この「価値の計量」で我々の人生は非常に大きく動いています。しかしもう一つ、人間の証しと言えるものは「意味の感得」です。一杯の飯に「ご飯」と呼んで手を合わせて拝んで頂きますと食べるのは、そこに意味を我々が見てるからです。今そういう発想が枯れつつあるが、しかし、これを教えたのが仏教なんです。

 「恩」という思想は、かつて封建体制の中で仏教が利用されたから封建倫理の中に組み込まれたんですが、本来はそうじゃないんです。サンスクリット語で言えば色々あるんですが、はっきりするのは「クリタジュナ」という言葉です。「クリタ」とは「為されたもの、作られたもの」、ジュナというのは「知る」ということです。だから知恩・感恩と訳されてきた。「為されたもの、作られたもの」は今は既に目に見えずとも、その有難さを思う、知るということです。それを日本語で「お陰」と言ったんです。これは仏教用語では「冥加」ですね。「冥」とは暗いということ。暗いところから力が加わっている。つまり「陰」なんです、見えないんです。しかし見えないけれどもその力が間違いなく働いている。こういう発想は仏教が教えたんです。これが「意味の感得」ですが、これを失っているのがまさに今日の現状でしょう。


 (3)現代人の生活
 これだけ豊かになっているにも関わらず、しかし生き甲斐を喪失してしまっている、それが現代人でありましょう。最近日本では自殺が大変増えています、特に四十代、五十代の男の人が。そして、どうして死んだか解らないような自殺が多いんです。つまり、生きているという確かな手応え、目標を現代人は持ち得ていない。生まれてきたという意味が見えない、己が見えなくなってきているんですね。先ほど申し上げた新々宗教の流行というのは、まさにそこでしょう。オウム真理教もあれほど叩かれてもなお信者が増えているというが、それは何故か。そこで生き甲斐を見つけるんです、生きてる確かな証しをあそこで彼らは手に入れたんです。今の幸福の科学もそうです。我々には理解しがたいが、しかし生きるという基本的な意味を彼らはそこで見出しているんです。


 三、仏教の根本原理
 そこで、それでは仏教というのはどういうものなのか。真宗をこれから現代人に伝えようとすれば、仏教という基本にすわってやらなければ伝わりません。「宗論は、どちらが負けても釈迦の恥」と江戸時代の川柳がありましたが、つまり、他宗を否定して真宗だけを肯定するなどというような方向性では、井の中では通用しても現代の一般人にはもう通用しません。

 ものには何にでも裾野というものがある、頂上を極めるためには広い裾野があるんです。親鸞さまの教えも、仏教という、あるいは東洋の思想という裾野から生まれてきたんです。

 そこで、その仏教をきちっと押さえて真宗の話をしたいと思います。まず仏教の根本原理、これは簡単に申しますが、それは凡夫が仏になる、人間が仏に「成る」ということ。この「成る」ということが仏教の基本の原理です。「成っちゃいない」この私が、教えを学ぶことの中で少しづつ皮を脱ぎながら「成っていく」、それが仏教の基本ですし、勿論真宗もそうなんです。従って仏教が目指すものとは、凡夫が仏になっていく、即ち現実の人間が理想の人間へと成長していくということです。

 『遊行経』というお経に「自らを灯火とし法を灯火として、他を灯火とすることなかれ。自らに帰依し法に帰依して、他に帰依することなかれ」というものがあります。これがまた仏教の基本の原理であると私は言っていいと思います。ここを私なりの解釈で言いますと、「自らを灯火とし」、あるいは「自らに帰依し」ということは、自分を頼りにせよということです。どんなに矛盾の人生であろうとも、まず己の責任として背負うてこの世に立てと。それで因果ということを教え、過去を教え、未来を教えたんです。自分で選んだわけではないこの己の命、己の人生を、しかしそれを注文した己の人生だと受けて立てと言うんです。私はこれを縦軸と考えます。

 しかしその自分というのは、またまことに勝手な生き物ですから、そこに「法を灯火とし」、あるいは「法に帰依し」と釈尊は言われた。私の言い方で言えば、「法」、つまり宇宙の原理を横軸にして、そのクロスする地点に立てと。これがいわば仏教の基本の原理です。私たちはそうはなっていない、とんでもない所に立ってるんです。その私たちがこのクロスする地点にどう立ち続けるか、そういう基本的な生きざまを教えたのが仏教です。

 ここで私が言った「宇宙の原理」について補足するついでに申し上げたいのは、宮沢賢治の話です。彼は仙台の真宗の熱心な家庭に生まれ、彼自身もそれを身につけて育った。ところが、後に父親の仕事上の問題からその父と、つまり真宗の教えから離れてしまった。そしてその後、彼は法華経の教えに目を開かれたんです。つまりそれは大乗仏教の精神なんですが、しかし真宗はそれを教えないんで、彼は法華経を通して初めてそれに出遇ったんです。その彼が書いた『農民芸術概論』という本の最初に、「世界中の人が幸福にならない限り、自分の幸福はない」とあります。これはまさに「十方の衆生が仏に成らない限り、我れ仏に成らじ」という第十八願の論理ですよ。そして、その中で彼はまたこういうことを言っている。「人間が本当に強く明るく生きるということは、宇宙の原理を己の意識の中に取り入れて、それに対応して生きることだ」と。これもまた大乗仏教の精神、菩薩の精神ですよ。真宗を反発して出たところが、『大無量寿経』の法蔵菩薩の原理ですよ。大乗仏教の根本原理に彼は触れている。それが今申し上げた「宇宙の原理を己の意識の中に取り入れて、それに対応して生きることだ」という、この話です。親鸞聖人の教えも、こういう形で捉えればよく解るでしょう。

 
 四、真宗信心の意義 (1)仏教における信の性格
 例えば「信とは心の浄らかさである。他の人々は言う。四つの真理(四諦」と三つの宝と(三宝)行為とその果報との因果関係とに対する確信であると」(世親『阿毘達磨倶舎論』)とある如く、信には二通りの意味があります。一つは「心が浄らかになること」という意味があり、これが第一義的な意味なんです。そして第二義的には、教えを確信するという意味があるんですが、しかし本質的には信とは心がきれいになるということであり、これが真宗の信の原点なんです。


(2)真宗における信の意義
 と言うのは、御承知の通り、第十八願文には「信楽」、そして第十八願成就文には「信心歓喜」とありますが、実はその原語が「チッタ・プラサーダ」という言葉だからですです。「チッタ」というのは「心」、「プラサーダ」とは「浄らかになる、澄む」という意味です。だから、親鸞聖人における信心も、「心が澄んで浄らかになる」ということなんです。心が浄らかに澄んでくるということは、ものが見えてくるということ、これを信心と言ったんです。「信心の智慧」とか、「信ずる心のいでくるは智慧のおこるとしるべし」とおっしゃるのもそういうことです。よく解らないことを当てにすることでは更々ない。真宗がおかしくなっているのは、仏教からはみ出てきているのはここが問題なんです。従って信心とは「知れること、解ること」。また「解ること」とは「成っていくこと、新しい人格変容」と言えると思います。親鸞さまが「地獄一定」とおっしゃったが、あれはこういう私の生きざまを言われたんだな、とそれが己の中で知れてくる、思い当っていけば、また少しは生きざまも変わっていくはずです。



(3)伝統教学における信心理解
 ところが、覚如上人は信心を「帰す」、「帰属」などと言われています。しかし、これは西山教学の影響を受けているのであって、それは存覚上人にも同じことが言えます。さらに蓮如上人は、「帰する心」、「たのみまいらす」などとおっしゃっている。これは完全に二元論になってしまっています。
 ところが、江戸時代の教学はちゃんとここを言い当てている。浄土真宗の教学は色んな学派に分かれたが、その基本をなす大きな流れは、石泉学派と空華学派です。石泉学派、即ち石泉僧叡は、幕末の頃、『信巻』を解釈する中で、「信とは心が澄んできれいになる。それが信の物柄なり」とはっきり言っています。ところが空華学派の善譲は、「信というは諸仏所讃の名号をあてにしたのみにすることなり」と言っている。「名号を当てにする、頼みにする」ということと、「我が心がきれいになる」こと。同じ信でもこれだけ解釈が違う。どっちが仏教の基本の理解かはお解りでしょうが、しかし、三業惑乱以後、石泉は徹底的に叩かれ、結局空華が全面的に出てきた。しかし、これでは仏教の基本の論理は成り立たない、現代人をリードできない。だから私は石泉の教学は今もっと見直されるべきだと思います。


 五、真宗における「すくい」の意義
「すくう」ということを今申した伝統宗学の理解からすれば、それは「救・助」ということになるでしょう。「救」という字は、「止める」という意味です。だから、救急車というのは急いでけがや病気の進行を止めるということです。「助ける」という字は、「力を重ねる」ということ。自分の力だけでは足りないから、他から力を借りて重ねて、そして思うとおりになったことを「助かった」という。しかし、これは新興宗教や病院の話ならこれでいいだろうが、阿弥陀さまの「すくい」とはそういうものではないでしょう。

 ところが、真宗の教えが浸透している所のご門徒は「済度」という言葉をちゃんと知っています。「済度」の原語は「ウッタラナ」という言葉で、それは「こえる、わたる」という意味です。あらゆる苦しみや障害を一歩づつこえていく、わたっていく、そういう命を私が持たせて頂くこと、それが信心です。

 そしてそういうわたり方とは、即ち人間成就ということですが、それは同時に社会成就ということでもあります。親鸞聖人は「願作仏心、度衆生心」ということをおっしゃいます。ところが、こういう他者に働きかける、ということを伝統教学では全く切ってしまった。しかし、聖人の晩年のお手紙などを見ると、そこには人間の生きざまを問題にしておられることが解ります。たくましくお育て頂いて、一歩一歩進んでいく、わたっていく。本典の冒頭に「ひそかにおもんみれば、難思の弘誓は難度海を度する大船」とあります。渡りがたい人生の海を渡っていく船だと本願のことをおっしゃっている。これを宮沢賢治の言葉で言えば、「宇宙の原理を己の意識の中に取り入れて、それに対応して生きる」ということでしょう。また釈尊のお言葉で言えば、即ち「自灯明、法灯明」ということでしょう。こういう原理をきちっと教えていくならば、生き甲斐をなくし混迷している現代人に対して、一つの大きな道が開けていくのではないでしょうか。         (文責・記録者)

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危機の中の真宗<蓮如上人500回忌を終えて> 小山一行 [1999年1月1日(54号)]

 昨年、東京池袋の東武美術館で、NHKの主催による「ブッダ展」が開催された。たまたま東京の寺院に布教に来ていて、これを参観する機会を得たのであるが、会場を回りながら私は考え込んでしまった。

 館内は大入り満員、まさに押し合いへし合いの大盛況である。しかも、カップルの若者たちから中高年の紳士まで、文字通り老若男女を問わず熱心で、カタログを手に食い入るように展示物を見つめている。中には仏教の歴史やブッダの足跡について、声高に解説している人もあるくらいだ。この関心の高さはいったい何だろう。

 確かに、展示されているのは世界各国の美術館、博物館からかき集めた名品ぞろいではある。また、これより先、テレビで放映された「ブッダ―大いなる旅路―」というシリーズと、タイアップしていたからでもあろう。だが、私を最も苛立たせたのは、このように仏教に対して少なからぬ関心を抱いているはずの多くの人が、まずほとんどお寺に参ることはないだろうという実感であった。

テレビに誘われて美術品を見に行く連中など、所詮好奇心の域を出るものではない。ご法義の繁盛とは関わりないことだ、という考えもできるだろう。しかし、それにしても、この情熱は無視できない。これらの人々がお寺に足を向けないのは、寺院が既に一般社会に対して、魅力を感じさせるものを提供できなくなっているからではないだろうか。大東京のど真ん中で繰り広げられた、少なくとも仏教に関わりある催しの盛況ぶりと、寺院の法座の衰退ぶりとが極めて対照的に私の頭を悩ませたのである。

 500回忌の法要の中で、蓮如、蓮如に明け暮れた一年が過ぎた。10期100日間に及ぶという空前の大行事を終えて、果たして我が教団に「変革」はもたらされたのだろうか。いや、私たちは変革へのスタートラインに立ち得たといえるのだろうか。

 一日3500人、百日間で約40万人の参詣があったと聞けば、一応は大成功裡に円成したかに見える。懇志も思いがけず順調に集まった。おかげで当初予算に倍する事業が展開できた。聞法会館、参拝会館も立派に完成した。

 それらはとりあえず、慶ばしい事ではあろう。しかし、公称門徒数千万という日本一の大教団からすれば、お参りできた人はほんの一握りに過ぎない。しかも、「一宗の繁昌と申すは、人の多くあつまり、威のおほきなることにてはなく候ふ」という蓮如上人ご自身の言葉すら裏切ることになってはいないだろうか。

私は4月と11月の二度にわたって法要に参拝するご縁をいただいたが、法要自体の厳粛さが醸し出した感激はそれなりに評価するとしても、法要前に設定された特命布教使による短時間の法話は、まことに惨澹たるものであった。

 各教区から選ばれたベテランが、晴れの舞台に指名を受けたはずなのに、型通りの色褪せた用語を繰り返すのみで、目から鱗の落ちる思いの「変革」を呼び覚ます情熱はついに感じられなかった。もちろん、他人の批評をすることは易しい。お前にどんな法話ができているのか、と言われれば恥じ入るほかはない。しかし、誰がどうかという話ではなく、私たちはいつのまにか蓮如上人の上にあぐらをかいて、その遺産を食いつぶすようなことを続けてきたのではないかという話なのである。

 教団全体が総じて伝道力を喪失し、確実に遺制教団化しつつある。そうした危機感を最も痛切に抱いておられるのは、ご門主様ではないか。法要後のご親教を拝聴しながら、そのように思われてならなかった。

各家庭に仏壇を、各寺院から門徒に便りを、という具体的な提言は、ご親教としては異例のことと評判になったようだが、このようなことをご門主に言ってもらわねばならないということは、それだけ門末の現状が具体性を失って建前倒れになっているということなのだ。心有るご住職たちの何人かが、身の縮む思いでそれを聞いたと告白されたからといって手放しでは喜べない。浄土真宗は崩壊寸前の危機の中にある。その危機感が全体の問題となり得ないところに、いっそう深い危機があるのだろう。

 500回遠忌は無事終了した。さあ、これから親鸞聖人の750回御遠忌に向かって、平成大修理に取り組むのだ……。

 こうして、またぞろ空前絶後の大法要が、今度は何百日開かれるのだろうか。そして、記念事業ではどんな建物が新設されるのだろうか。だが、いずれにしても私たち一人一人が、凄まじい勢いで世俗化する現代の只中にあって、その世俗性を批判する原理として念仏の道を歩み、現代に対応するものとして仏法を提供できなければ、真宗の危機は容易に乗り越えられるものでないことだけは確かであろう。(託麻組・香覚寺 住職)
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編集後記 [1999年1月1日(54号)]

※かって信楽先生が龍大学長の頃、三業惑乱に触れて「教団が難問を抱える中、儒教を根底にした仏教排斥論が澎湃と広まっていく。若者の教育の責任者として中央にいた能化・智洞は、大きな危機意識を持って、真宗信心を、対社会的にも『能動的』にとらざるを得なかったその思いが、今よく判るねぇ。地方の学者は、中央の大きな思潮のうねりに敏感ではなかったのだろう。」と呟かれたことが思いだされる。

 信楽先生、小山師の思いの根底に、一体「真宗」はどこへ・・?という「悲しみ」があります。

※十月号について次のような「こだま」をお寄せいただきました。
「外海氏の投稿に感動しました。センセーショナルで刺激的な事象のみに眼が行きがちな現代の中で、落ち着いて、しかも毅然とした真宗者の姿勢を学びました」と。

 本年も宜しくお願い致します。
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