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2012年1月1日(第106号) ブログトップ

ブータンの龍の話し  託麻組・専念寺住職 甲斐晃裕 [2012年1月1日(第106号)]

「みなさんは龍を見たことがありますか?」

先月訪日されたブータン国王夫妻が被災地、相馬市の小学校で子どもたちに語りかけられた龍の話に、心うたれました。

「龍は一人ひとりの心の中に住んでいて、経験を食べて成長します。いろいろな経験をした人の龍は大きく強くなる、みなさんもこころの中の龍を大切に育てていってください」という話です。心の中に住む龍とは何でしょうか。

人生は思い通りには行きません、望まないこと、大切なものを失うことも起こります。悲しみ苦悩しながら、私たちは本当に大切なものは何かを知るのです。経験を食べて成長する龍とは私たちの価値観、一生を貫く人生の物差しなのだと思います。

3.11の衝撃は私たちの人生観、価値観を根底から揺さぶりました。数百年おきに繰り返されてきた大地震と津波、天災そのものを無くすことは私たちにはできません。

一瞬のうちに瓦礫の廃墟となった町の映像を見たお年寄りが「あの時を思い出して身体がふるえた」と涙を拭いておられました。あの時とは六十六年前、昭和二十年三月十日未明の東京大空襲のことです。

目の前に何枚もの資料写真があります。3.11をはるかに超える惨状、一晩に十万人が焼き殺されました。広島も長崎も名古屋も大阪も、そして熊本の市街地の惨劇も同様だったでしょう。民間人だけで四十万人が犠牲になったのです。

今、地震・津波は天災で原発事故は人災だと言っています。この資料写真の惨状は、もちろん天災ではありません、究極の人災は戦争です。私たちは天災から逃れるすべを知りませんが、人災であるなら防げるはずです。

ブータンは仏教徒の国です。国旗の真ん中に描かれている白い龍は、仏教の慈しみと寛容の心を表しているそうです。若い国王夫妻の柔和な表情、謙虚なしぐさ、合掌する姿にそれを見る思いがしました。

「憎しみ、争い、奪い合う先にあるものは悲しみと虚しさだけである、赦し分かち合うところに安らぎと喜びがある」と仏陀は語りかけます。焼き尽くされた瓦礫のただ中に立ち尽くした人たちは、取り返しのつかない大変な犠牲をはらって戦争の恐ろしさ虚しさを知らされました。その人たちの心に宿った龍が「戦争放棄の誓い」を結実したのでしょう。

二〇一一年も残り僅かとなりました。本当に大切なものは何か、見誤らないための龍は、私の中に育っているでしょうか。

新しい年は龍(辰)の年です。

この原稿は「非戦・平和を願う真宗者の会・熊本」の街頭配布用会報12月号として執筆されたものに加筆したものです



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こだま 編集局発  昨年を振り返って [2012年1月1日(第106号)]

去年は福島原発事故、日本の民主党やオバマ大統領の行き詰まり、グローバル経済の泥沼化などで、これまでの科学技術の進歩、社会制度や政治体制の変革が、よりよい未来を開くという信仰が揺らぎだした。それは宗教の持つ超越(この世を超える、人間を超える)が求められるようになるのではないか。
しかし超越も様々である。去年オウム真理教の信徒の裁判が結審した。オウムは超越を求め、その結果悲惨な事件を起こした。真宗の超越をどう明らかにし、どう伝えていくのかがこれからの課題だと思う。外海卓也(緑陽組・浄喜寺)


「こだま」編集に入った頃、世の中は有頂天のバブル絶頂期、証券会社に入社した娘のボーナスが35年勤続の自分より多いと親は愚痴ったが、顔は笑っていた。「 蛄不知春秋」蝉は夏を夏と知らないという。当時、今はバブルと知って踊っている人はいなかった。大震災・原発事故が経済優先主義の転換点になることを願うが、どうか?バブルを懐かしむ人もいる。甲斐晃裕(託麻組・専念寺)


私たちが編集局を担ってはや一年。「こだまの理念」を再確認する事から始めたが、これを的確に表現し尽くす事は意外にも困難だった。しかし、それは100号誌面の中にあったのだった。「教団のあり方をともに考え、教学に対する意見を交換し、念仏者としての歩みをお互いに点検する場」(泗水康一さん)。「こだま」の第2号にあったこの「こだまの理念」を、読者の方が再確認して下さっていたのである。これまでの「こだま」も、これからの「こだま」も、読者に支えられてこそ…。この最も大切な再確認が出来た事が何よりも幸いな事だった。大松龍昭(種山組・大法寺)


二月に父住職が病死した時、これほど様々な出来事(正に国難的事態)がその後起こるなど予想もつかなかった。当時、我が身の(多少は自坊の…)心配ばかりしていた自分が心底恥ずかしい。忘れ難い一年となりました。古井義章(熊本組・法泉寺)


今年は、災害で多くの方が亡くなられ、諸行無常の思いを痛感させられました。なくして初めて、当たり前だったことが、有難いということに、気づかされました。ますます、頼りにするところはお念仏しかないなと気づかされました。合掌 河内田晃世(緑陽組・真教寺)


ある意味今年、いや戦後の昭和・平成の流れを象徴したような言葉ではなかったか。
飲酒運転で子ども二人を撥ね殺した加害者の弁。
「酒を飲んで運転したが、子どもに衝突した覚えはない。ガードレールにぶつかったと思った」(新聞報道より)
(もしそうだとすれば)自らの過ちに対して懺愧の弁を述べるでもなく、「想定外」と言わんばかりの自己弁護。先の原子力の事故にしてもしかり、戦後の経済成長至上主義のなれの果てのようにも聞こえてくる。
「私は悪くない、想定外だった」。
自らの煩悩に向き合い、時代の・娑婆の煩悩と向き合う真宗僧侶集団。懺愧の弁をいよいよ忘れたかのような娑婆の中にあって、如何に獅子が吼えるがごとく伝道していくのか。橘 孝昭(宇土北組・正栄寺)


今年を振り返ってやはり、心に強く残ったのは東日本震災でした。震災後、関東大震災での九条武子様のご苦労を偲びながら過ごしておりました。いのちは無常であることを痛切に感じ、自分に今出来ることは何か考えておりましたが、時が過ぎるにつれ関心が薄れてゆく自身の姿を反省しております。東北の皆様が笑顔を取り戻し、前に進む元気を取り戻せるように、お寺と私自身が発信源となって地域の皆様に伝えて行こうと思います。能令顕真(益西組・延福寺)


昨年、本山での門徒推進員養成研修「中央教習」にスタッフとして二回出講させて頂いた。
連日午前五時半から午後九時までみっちり組まれたカリキュラムを4日間必死になって受講されるご門徒さんの姿を目の当たりにして感動が込み上げた。
決意表明式を終えたとき、手を取り合い抱きしめ合い涙しながら喜び合うその姿に、私も目から溢れる涙を堪える事が出来なかった。
中央教習は僧侶資格があれば見学可能だ。
教習を終えた門推さんからの感想だけでは知り得ない教習の様子を知って欲しい。どのような「思い」を持って帰って来られたかをリアルに感じて欲しい。
私自身その「思いは」中教の現場に携わって初めて知る事が出来た。
門推さん方の「思い」は中教の現場を知る以前の私の想像では到底及ばないものだった。
大道 修(益東組・教尊寺)


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  • 出版社/メーカー: 光文社
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出遇い 生かされて  宮本智子 [2012年1月1日(第106号)]

お念仏との出会いは条件や立場の違いで人の数だけ出会いの数もあることでしょう。

私の場合はお念仏の意味もわからない幼い頃のことで祖母に連れられてのお寺参りだったと記憶しています。

成長期に祖母は亡くなり、お参りのご縁も遠くになってしまいました。

結婚し、家事、育児にと追われた日々を暮らしている時、姑に「私にかわってお寺さんに参って」と声をかけられ、体調不良の姑と交替し所属寺法要にお参りしたのがご縁でした。四十代後半の頃でした。

子どもの頃、祖母の口癖だった「アナタは一人じゃなかよ。ナマンダブと一緒」と、いじめられっ子だった私を励ますように言っておりました。

「南无阿弥陀仏」とは何のことやら?どのような意味があるのか、この年になっても全く解りませんでした。

そこで私は門徒有志五、六人に呼びかけ、寺において月一回、年間十回御住職を講師に願って三年間ほど『正信念仏偈』の勉強会を開いていただきました。お忙しい御住職には大変ご迷惑をおかけしました。感謝致しております。

その間も常例会、法座等の聴聞は重ねておりました。

学ぶにつけ、浄土真宗のみ教えの奥深く広大なることに気付き、系統立てて学びたくて中央仏教学院通信課程を受講し修了することができました。

阿弥陀仏の大慈悲心、親鸞聖人のご恩を思い、お念仏申すことのできる身にと育てていただき、ありがたく、人間として、生かされていることの大切さを知らされました。これを私自身の喜びだけに留まることなく、また、私自身の都合で誤った解釈をすることなく、み教えに照らされた、今後に続くように連続研修会・常例法座、季節ごとの法座等聴聞を重ねて参りました。門徒推進員に、ビハーラ実践活動に、また非戦・平和を願う真宗者の会の会員として、街頭でのパンフレット配布のお手伝いに体力の許す限りお手伝させていただいております。

阿弥陀仏に見守られ感謝の思いで参加させていただけますことを…。合 掌
釈顕真(熊本西組・成満寺門徒)



親鸞の世界 (真宗文庫)

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  • 作者: 鈴木 大拙
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編集後記 [2012年1月1日(第106号)]

◇去年は、東日本大震災、福島原発事故、ヨーロッパの債務危機など、安定していると思われていたものが破綻したり、破綻の可能性が深まっています。

◇本願寺教団では親鸞聖人七五〇回大遠忌法要が厳修され、沢山の参拝がありました。しかし、私たちも「破綻」と無縁ではありません。

◇たとえて言うと、私たちの寺院は浄土真宗という本業と、葬式仏教という副業から成り立っています。好調であった副業の陰で、本業の浄土真宗は衰退しています。いま副業のほうも先行きが悪くなりました。

◇本業は副業をどれだけ伸ばしても復興はできません。「浄土真宗らしい葬儀」も関係ないことです。

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