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水俣豪雨災害を通して  堀 真哉 [2004年1月1日号(第74号)]

 去る7月19日から20日にかけて水俣に局地的な集中豪雨があり、それによる大規模な土石流・土砂崩れが発生し、多数の被害が出ました。報道でご存知のように、宝川内集(ほうがわちあつまり)・深川新屋敷の二地区は土石流により甚大な被害を受け、十九名の方々の尊いいのちが失われ、家を失った方々は仮設住宅や市営住宅などで生活されています。又被災しながらも救助され、現在でも病院に入院治療されている方々がいらっしゃいます。この他、あまり報道されていませんが水俣川流域において、河川の増水に伴う家屋への浸水の被害により、一時避難生活を余儀なくされた方々が数多くおられ、山手の地区では斜面の崖崩れにより道路が寸断され、未だ復旧のめどが立っていない所もあります。今回こうした災害に直面した訳ですが、私自身目の当たりにして感じた事、思いなどを述べさせて頂きたいと思います。

 水俣市では7月18日から夏祭りが行われ、災害直前の19日の夜は花火大会で賑わったものでした。それが19日未明からの豪雨により、一瞬にして多数の犠牲者を出す惨事になるとは思いもよらないことでした。人生には三つの坂(上り坂・下り坂・まさか)があると聞きますが、まさしく「まさか」の出来事でした。自坊のご門徒も家族四人が亡くなられ、私の同級生も二人亡くなりました。一人は消防団員として、午前3時頃から自主的に地域の方を避難・誘導していた時に被災したのです。彼とは娘の通っている保育園でたまたま一緒になり、役員として一緒に活動した仲間でした。被災現場は以前の緑豊かな地形が全て土色に変わり果て、まるで鮮やかな緑色のその所だけ剥ぎ取ったように不自然なありさまでした。日頃「諸行無常」「生者必滅 会者定離」と聞かせてもらいながら、いざ厳しい現実に直面するとうろたえ、悲しみ、ご遺族や被害に遭われた方々に言葉をかけようがなく、自分の無力さを痛感しました。

 災害後、警察・消防・自衛隊の関係機関、地元や近隣の市町村の消防団・漁協関係者、ボランティアなど多数の方々が捜索活動や被災地の復旧、清掃などに尽力して下さいました。義援金・救援物資も多数寄せられているのですが、救援物資に対しての扱いの難しさを聞いたことです。物資を送って下さる方の気持ちは有難いことなのですが、被災者の方々が実際必要とされている物資と、足りている物資の調整がうまくいかないという事実がありました。被災者の方にとって逆に物資が重荷になることもあり、「今、何が必要とされているのか?」を確認し、被災者の方の現状・気持ちを踏まえた上でされることが望ましいと感じます。

 被災者の方々の気持ちを考えるということに関して、「かわいそうでしたね」「あなたがしっかりしなければ」などの励まし・同情の言葉を耳にしました。本当につらい人・悲しみから立ち上がれない人にとって、これらの言葉は酷で、傷つけるものだと感じさせられたことです。人の気持ちに寄り添うことの難しさと共に、だからこそ心をそのまま受け止めさせてもらうことの大切さを感じました。

 ある講演会で「共感」と「同感」の違いについて聞いたことがあります。一見、似たような言葉に思いますが全然違うのです。「同感」とはまず話を聞く「私」がいて、「私」が納得するために、自分の考えや思いにあわせるような聞き方をいうそうです。対して「共感」とは「私」が先ではなく、まず相手の立場から考え、気持ちに寄り添っていくような聞き方をいうそうです。この事は阿弥陀さまの願いを戴いて生きる私達にとって、大切な事を教えている様な気がします。気付かぬ内に自己満足に陥り、人の喜びを我が喜びとせず、人の悲しみを我が悲しみともしない自己中心のわが身を見つめ、あらゆるいのちに共感していくことこそお念仏申す歩みだと思います。

 早いもので災害から二ヶ月が経ちました。復興までにはまだまだ時間がかかりますし、それ以上に被災された方の悲しみ・痛みに対する心のケアが大事になってきます。私自身、災害を通して様々な方とお会いし、改めて人と人とのつながりの中に仏教者として「今何ができるのか」を痛切に感じました。現実の中から共に歩ませてもらう姿勢を問われています。(芦北組・西念寺住職)


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創刊雑誌「DAYS JAPAN」紹介<世間虚仮・唯仏是真>  禿 浩道(こだま編集長) [2004年1月1日号(第74号)]

 昨年8月31日、内牧・明行寺にて、教区第3ブロック仏教壮年大会が開催された。写真家森住卓氏がイラクで取材した写真を説明しながらの講演であった。それはブッシュ前々大統領が湾岸戦争時に使用した劣化ウラン弾が、今どのような被害をもたらしているか?が歴然とする話であった。

 この弾は、10センチ以上も厚みのある装甲車に穴を開けて使用不能にするだけでなく、黒焦げになった装甲車は、放射能を発散し続けるという。被爆者は白血病患者となったり、内蔵破裂、無脳症、小頭症の子供たちが多数生まれ、苦悩している姿を写真はとらえていた。広島や長崎の被爆者の子供にも小頭症の方が生まれていたと同じ現象である。

 現ブッシュ大統領は、イラク攻撃に際し、イラクが大量破壊兵器と生物化学兵器を所持しているということを大義名分にした。相手国イラクの大量破壊兵器、つまり核兵器を問題にしながら、父の使用した劣化ウランの核兵器は問題にすることなく、自らも再び五百トン爆弾を浴びせている。イラクの人々の苦悩は更に今後も長く尾を引くに違いない。50年前の日本人の苦悩と同じである。

 この苦悩の中で日本人が国是として生み出した事柄は、非核三原則である。しかし今回の総選挙で非核三原則は殆ど語られなかった。核を使用する米国を支持するということは、かってわが国が経験した苦悩を他国が受けることになるが、今回は他国のこと故に是認するということだろうか。

 これは諸外国の目に、日本は身勝手な国と映るであろう。この国は、今日わずか50年余にして非核の精神の節度を失おうとしている。 9.11のテロが悪であるからテロの根源を断たねばならない、という論法によって戦争が始まったが行動を起こす前に、何故テロを起こしたかという正確な点検がなされてきただろうか。我々真宗者がしっかりこの点検について言及する時が今ではないだろうか。

 9.11が起こるには当然、それ以前「因・縁」があったはずである。しかし今日まで、その因縁の部分について正視する話があまり聞かれない。ジャーナリズムが及び腰ではないか。

 第三ブロック仏壮大会の森住氏の取材による講演で諦らかに見えてきた事は、今次イラク戦争で米国が報じている事に「やらせ」や作り話の偽りがあるという点である。

 バクダットでサダムフセインの銅像を戦車で引き倒す場面をテレビで見せつけられたが、米軍がシーア派を連れてきて、倒させている場面を映像化したもので、カメラの視野に入らない所にいたイラク人は、銅像の引き倒しに関係していなかったという。このように虚偽の報道を通して戦争遂行を正当なものと見せかける虚仮なる振る舞いが実行されている。

 釈尊は苦の果が起きたらその因縁を正確に把握すべく、如実知見による正見を説かれる。「だましのカメラ」は正確な因縁の把握を妨げる。

 このような現状に危機を感じた人々が、日本に流れ込む作為のニュースではない真実を伝えたいと雑誌の発刊を企画しておられる。この雑誌発刊の柱を「★人間の命と自然を守るためのキャンペーンを進める雑誌 ★権力の監視をするというジャーナリズム本来の役割をする雑誌 ★調査報道の雑誌」と掲げています。

 虚仮でない是が真実という部分を私たちが見ることができるよう私はこの雑誌の発刊を期待しているし、皆さまにもご講読をお勧めする次第です。知り方が「痴」でなく、「智」の知り方を通して、いま世界がテロ根絶に「戦争というテロ」を正当化している状況に対し、私たち国民の手で正確な点検が成し遂げられますように。(小国組・善正寺住職)

DAYS JAPAN (デイズ ジャパン) 2006年 10月号 [雑誌]

DAYS JAPAN (デイズ ジャパン) 2006年 10月号 [雑誌]

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: デイズジャパン
  • 発売日: 2006/09/20
  • メディア: 雑誌


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国立追悼施設問題を巡って②  北豊教区 有光顕澄 [2004年1月1日号(第74号)]

 昨年12月24日、福田官房長官の諮問機関である、「追悼懇(略称)」は、最終報告書をまとめた。『報告書』では、追悼の対象を戦没者だけでなく「国際平和のための活動における死没者」にも広げるという内容である。

 一方、武野総長(当時)を中心とする新しい国立追悼施設をつくる会(以下「つくる会」と略称する)は、こうした政府主導の新しい国立追悼施設構想は、第二の靖国の役割を持つこととなるとして、四項目にわたる申し入れを政府に行った。その中、特に、追悼の対象とする戦没者について、「新たな戦争の受け皿にしないものとする」事などが強く主張されている。

 「懇談会報告書」、「つくる会」の両者の主張に共通する事柄は、靖国神社問題の克服と国家の命令によって招集され命を捧げた者を放ってはおけないという国家による追悼である。つまり、靖国神社国営化や首相の公式参拝にまつわる対外的なアジア諸国との関係と、国内的には「信教の自由・政教分離」といった憲法問題である。我が国の政府は、二十一世紀という新しい世紀を迎え、何時までもこうした問題を引きずり続けるわけにはいかないといった裏事情を垣間見るのである。(首相小泉の野心とは別に)

 今年、7月と11月、京都の興正会館において、「国立追悼施設問題を巡って」のシンポジウムがもたれた。状況が逼迫していることなどもあって、主催者の予想を超える参加があった。シンポでのポイントは、新しい国立追悼施設が必要か否かであった。靖国を相対化する現実的な対応と、国家による追悼の問題性、つまり「国家・国民のために命をかけたことに、国がその霊を慰め感謝する。そういう形を整えることが遺族の誇りになる。」(本年9月、東京・市谷の防衛施設内での慰霊碑完成式典における森前首相)といった発言にみられる、国家による死者の意味づけと死者の再利用の問題である。

 いま、原稿を書いているただ中に、イラクでのテロ行為による二人の外交官の死が飛び込んできた。また、自衛隊のイラクへ派兵を実施する基本計画を小泉内閣は決定したなど、実に生々しい状況下に置かれている。当然いろんな思いが私の中に錯綜してくる。

 現状では、イラクでの自衛官の殉職があっても、靖国神社には祀れない。当然、国家による追悼の問題がクローズアップされてくることは予想できる。外交官の死、そして、テレビに報じられた外務省葬を見ても、「追悼懇」の『報告書』にある「国際平和のための活動における死没者」の国家による祭祀の問題が現実味を帯びてくる。

 靖国に代わる無宗教の施設か、それとも、国家によるいかなる追悼も認めない、という立場のいずれの主張が現実的に意味を持つか、選択に迷わざるをえない。おそらく、半数以上の国民は、靖国に代わる施設を支持するであろう。

 私たちは、敗戦五十年の年に福岡県が主催し、営まれた戦没者追悼式の在り方に抗議し、政教分離、信教の自由、平和的生存権などを中心に据えた「8.15訴訟」なる裁判を福岡地裁に提訴し争った。その際、無宗教による式典に使用される標柱の「霊」、「祭壇」や「献花」「黙祷」、そして「礼拝」は宗教的な意義を持つものであることを主張した。

 2000年3月31日の判決で、田中哲朗裁判長は最高裁の判例などを踏襲し「国家が宗教との関わりを持つことを全く許されないとするものではなく、宗教との関わり合いをもたらす行為の目的及び効果にかんがみ、その関わり合いが我が国の社会的・文化的諸条件に照らし相当とされる限度を超えるものと認められる場合にこれを許さないとするものであると解すべきである。」と判じている。無宗教の追悼施設とは如何なる施設であろうか。国家と宗教の関わりさえクリアされていない我が国の状況下の中で。(北豊教区・方京仲組・真行寺住職)*この原稿は2003年12月に執筆いただいたものです。

「心」と戦争

「心」と戦争

  • 作者: 高橋 哲哉
  • 出版社/メーカー: 晶文社
  • 発売日: 2003/04
  • メディア: 単行本


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