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ドキュメンタリー映画「靖国」をめぐって   菅原龍憲(真宗遺族会事務局長) [2008年7月1日号(第92号)]

 1998年に作られた記録映画「在日」の呉徳沫監督に会ったとき「日本人はよくアジアとの『共生』ということばをよく使うけれど、これにはある種の欺瞞を感じますね。それを言うなら『共存』ということでしょうか。」とおっしゃった。

 『共存』ということばは、民族的ナショナリズムを突き崩して、それぞれが自立した関係の存在であることを意味している。少々覚悟のいることばである。それは今回の映画「靖国」の李纓監督の思いに重なる。日本の国民が権力とともに抱え込み、あまつさえその自覚を生ぜしめない靖国という呪縛構造、この「靖国の檻」の囚われ人から日本人が解放されるとき、はじめてアジアとの『共存』が生みだされるのだ、という李監督の強力なメッセージがこの映画に貫かれている。そう、およそ「反日映画」などとは程遠い。「日本人がこれまで見過ごしてきた歴史に、一人の中国人監督が柔らかい感性のまなざしを向けた」(映画論評)渾身のドキュメンタリー映画である。

 この映画は最後の刀匠といわれる人物が刀を鋳造する工程の中で、戦前作られた8100振りの靖国刀がもたらした意味を次第に明らかにしていく。そんな映像の中でこの映画に登場する人々の感情が織物のように複雑に編みこまれている。

 さて、この映画「靖国」をめぐって日本に激震が起こったことは周知の通りである。映画の上映をめぐって右翼の妨害行為が取り沙汰されたが、右翼が威嚇するのと、権力の立場にある政治家が威嚇するのではまるで次元が違う。政治的圧力は、言論・表現の自由という基盤を根底から脅かすものであるからだ。

 この恥ずべき政治的圧力をかけた国会議員、稲田朋美なる人物は「小泉首相靖国参拝違憲訴訟」の靖国応援団の弁護士で私も何度か法廷でまみえたことがある。このような「思想検閲」という行為が、およそ弁護士として己の魂を売り渡すものであることさえも気づかないというのであろうか。

 ところで、稲田はこの映画制作に公的助成金が交付されていることを問題視したというのだが、何を問題にしようとしていたのか。それは稲田とこれまた同類の有村治子の参議院内閣委員会(2008年3月27日)における文化庁とのやりとりに明らかである。

 有村は基金の助成金について『政治的、宗教的宣伝意図を有するものは除く』という規定があることを振りかざして文化庁に噛みついた。「この映画に登場する三人の内の二人(高金素梅と私は名指し)は現在も靖国神社を相手取って訴訟を起こしており、靖国神社とは係争関係にある。一連の靖国関係訴訟を代弁する政治的宣伝がそのままキャスティングに反映されている。これは明らかにこの映画が政治的、宗教的宣伝意図を持っているといわねばならない」と。
 それに対して文化庁の尾山文化部長は、「政治的テーマを取り上げることと、政治的な宣伝意図を有することは、一応分けて考えられるところであって、本件については、政治的なテーマを取り上げていても、政治的な宣伝意図を有するもの(例えば特定の政党・政治団体や特定の宗教法人のPR映画など)とはいえないと専門委員会で判断した」と、じつにまっとうな応酬をしている。

 そもそもドキュメンタリー映画というのは、主観的な表現行為であって、政治的に中立、客観的であるべきなどというドキュメンタリーなんてありえないことなのである。稲田も有村も口を揃えて言う。「いかなる映画であれ、それを政治家が批判し、上映を止めさせるようなことが許されてはならない」(2008年3月28日記者会見)。嗚呼!この欺瞞は底なしではないか。もとより権力だけが言論を封じるのではなかろう。このような政治的介入に、自主規制という無難な道を選び、自縄自縛に陥っているメディアをはじめ社会全体の「危うさ」をも改めて感じざるを得ない。

 これからこの映画を観賞される方のために、前もって特筆しておきたいことがある。この映画のエンディングの十数分は非常に寡黙である。歴史的場面のモノクロームの史料写真が次々と現れ、その背景に流れる音楽が清澄で重々しい。これはポーランドの作曲家、ヘンリク・グレツキが1976年、ナチスのポーランド侵略の五十周年記念日のために作った「悲歌のシンフォニー」(交響曲)である。これはゲシュタポの強制収容所の壁に書きつけられたユダヤ人少女ヘレナの詩に音楽をつけたもので、ソプラノの独唱によって歌われる。

お母さま、どうか泣かないでください。 天のいと清らかな女王さま、 どうかわたしをいつも助けてくださるよう。 アヴェ・マリア。

 南京虐殺の写真とともにこの音楽を用いたことに、李監督の思いが集約されている。実に印象的なエンディングであった。(山陰教区 正蔵坊住職)





映画「靖国」上映中止をめぐる大議論

映画「靖国」上映中止をめぐる大議論

  • 作者: 森 達也
  • 出版社/メーカー: 創出版
  • 発売日: 2008/06/26
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



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真の日韓友好はここから(上)   甲斐利雄(明成皇后を考える会) [2008年7月1日号(第92号)]

 韓国李王朝最後の女帝・閔妃は、広辞苑や熊本県大百科事典では、「びんぴ」の項に出ています。死後におくり名されて、現在は普通「明成皇后(ミョンソンファンフ)」と呼ばれています。

 私は冬になると毎年のことですが、今年も小さな和凧六十枚手作りしました。絵は赤青黄の巴模様、その下に無窮花(むくげ)の花三輪を配し、その脇に、「日韓の過去を直視して さらなる友好を」と書き添えました。

 ポスターも手書きです。「知るべきを知らされず、教うべきを教えてこなかった。それが『明成皇后暗殺』です」とフレーズを付けました。いろんな会場に凧とポスターを展示させてもらいました。いろんな方に語りかけては、凧を差し上げました。宣伝効果は、即訪問団応募にはなりきれません。もどかしさが残ります。

 「明成皇后暗殺」、韓国ではみんなが知っている。しかし、日本では、この日韓の忌まわしい過去がほとんど知られていないのです。

 時は、今から113年昔のことです。

 日本は日清戦争に勝って、多額の賠償金と領土を清国から取ったのですが、三国干渉により遼東半島だけは戻さねばなりません。韓国国王・高宗(コジョン)は、日本による政治圧迫を跳ね除ける良い機会がやって来たと思い、それからはぐんぐんロシア側へ寄って行きます。

 日本政府は、韓国をロシアに取られてしまうのではと、危機感を募らせます。当代随一の朝鮮通と言われた井上公使さえも遂に打つ手がなく、後任に三浦梧楼公使を迎えます。

 その頃、日本国内では、高宗の親ロシア政策は、閔妃から出たものだから「閔妃殺(や)るべし」の声が上がっていたそうです。

 1895(明治28)年10月8日の早朝、閔妃と対立関係にあった国王の父・大院君(テウォングン・閔妃にとっては舅)は、日本人壮士達に担ぎ出されて、突如王宮に乱入しました。

 いくらかの戦闘はあったが、閔妃の見分けがつかないままに、閔妃らしき女官を三人斬りました。探索の末やっと閔妃がわかると、油をかけて焼き捨てたのです。(日本外交文書機密第三十六号)

 朝もすっかり明るくなった中での大事件です。アメリカ人、ロシア人がその現場を目撃し、市民大勢も日本人が王宮から引き揚げて行くのを見ていました。

 日本政府は、世界の非難が日本に集中するのをおそれて、事件関係者四十八名を広島裁判所につなぎ審問。その結果、事件発生から89日目の翌年1月20日、「証拠不十分につき全員放免(無罪)」にしました。

 一同は東京新橋駅で、佐々友房や貴衆両院議員他、数百名の歓迎をうけました。(東京日日新聞)

 実はこの事件の指導者は、朝鮮公使・三浦梧楼でした。また驚いたことに、48名中21名が熊本県人でした。彼らは、皇后居室の乾清宮へまっしぐらに飛び込んで行ったそうです。名だたる大政治家安達謙蔵もその一人、当時は漢城新報社長でした。小早川秀雄は、後で九州日日新聞(現・熊日)の社長、松村辰喜は、阿蘇を国立公園に格上げして、観光阿蘇への道を拓きました。等々。本年2月1日の『熊日』、「上塚周平とその時代」にも関係者達の人脈模様とその後の日本のことが見られます。

 「明成皇后を考える会」発足に大きな刺激を与えた韓国人ドキュメンタリスト・鄭秀雄(チョンスーウン)さんが、東京の国会図書館に埋もれていた政治家の書簡コピーを百数十枚持ち込んできました。熊大の小松教授が解訳、鄭さんが感じ取っていたのとほぼ同様でした。

 三浦首謀説へ誘導せんとする言説を流布した元老権力者達が、裏では三浦に「閔妃殺害」を教唆していたのではあるまいか。鄭さんの真実を追究する活躍は続けられています。

 現在、韓国演劇の話題の二作は、共に明成皇后の生涯と悲運を描いたものです。この舞台で、韓国にも日韓歴史の真実を考える人が増えていくと思われます。

 そんな今だから、皇后暗殺の中心勢力を出した熊本が、全国に先駆けて声を上げねばならない。その声を全国に波及させたいと願うのです。

 第三次明成皇后史跡訪問団は、10月6日から9日まで。今回は皇后第113回忌の命日墓前法要に参列します。日本人の団体が、命日墓参するのはまさに初めてで、日韓友好史にのこる記念日になります。沢山のご参加を期待しています。  〔阿蘇市一の宮・在住〕




朝鮮紀行―英国婦人の見た李朝末期 (講談社学術文庫)

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  • 作者: イザベラ・L. バード
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1998/08
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病床にて 月愛三昧に想う   吉水 照 [2008年7月1日号(第92号)]

     2月28日
 朝未だきに空に浮かんだ半月、何と不思議な姿なのか。半分は薄雲に隠れて半分の姿。時折耳にする残月…、いましみじみと眺める。朝の空に浮かぶその姿は、夜への心残りがあるような、詩情的で優しい風情。「何か心残りがありますか?」そう問いたいような、ほんわかと人の心に沁み入るような静間の中の優しさに包み込まれるようで、しばし眺め込んだ。そして、ふと私は先日の日の出を思い返した。

 東の山々の色が除々に出始め、黄金色が山の頂より山間の裾野に広がり、少しずつ薄紅色が増し増しての日の出。
 素晴らしいと言うより“おう!”と思わず声を上げたいほどの日の出である。

 大地球を輝き出し、燃えたぎるような、強烈な厚い愛情の声が聞こえるよう。「今日も強く生きよ。」との呼びかけであろうか。それは雄々として遠大さを通り越した姿、大自然の不思議さであった。

 この雄々たる太陽の一日間の廻りは、万物に光を与え、夕べには、西の彼方に光を散らしつつ沈む。

 その後、遅ればせながらと月は出る。大自然の中の二つの光…。

 月はやんわりと人々の心の中に潤いを醸し出し、優しく心の闇を包み心を和ませる。

 太陽と月との正反対の味わいを思うに、これまでの人生の中での数限りない悲苦。大自然の流れの中で、ようも今まで生かされたと較べようもない大いなるものの味わいに、今に至りて感謝と反省と、思うことの多さしきり。心しみじみ空を眺めた。


     3月1日
 月愛三昧のみ教えに出合うた。先日の大自然の深みと美の中で、み仏の慈悲、月愛三昧の意味、み仏の深きお心の尊さに気付かせていただいた。

 4年前、鍋島先生から『アジャセ王の救い』の本を頂き、ようようして、心静かに読む時間が与えられた。

 その本の中での月愛三昧、出合いである。「何かをすることではなく、そばに居ること」、それが月愛三昧の真意であると知らされた。

 太陽の光はみ仏の智慧、暗闇を晴らすという照破性、ものを育てるという調塾性。真実に目覚めさせる智慧の働きが込められている、という。

 月の光はみ仏の慈悲。夜の闇をなくし、明るくするというより、闇を透明な月の光で静かに清める清浄性、優しく私を包みこむ優美性、そして独りぼっちの私を包摂する慈愛の働きが込められているという。

 人生の晩年に、今さらながらみ仏からの呼び声、声なきみ声に導かれ生かされていたことに感謝。月愛三昧、唯々心に響く尊さ、嬉しさ。(託麻組・崇専寺)




アジャセ王の救い―王舎城悲劇の深層

アジャセ王の救い―王舎城悲劇の深層

  • 作者: 鍋島 直樹
  • 出版社/メーカー: 方丈堂出版
  • 発売日: 2004/06
  • メディア: 単行本



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編集後記 [2008年7月1日号(第92号)]

◎今年もまた梅雨の大雨が各地に被害をもたらしましたが、御地は如何でございましたでしょうか

◎6月7日、私は映画「靖国」の京都公開の初日に観に行きました。これまで国会議員の介入や上映中止騒ぎ等々のいわくつきの映画故、右翼の妨害があるのではと、一抹の不安を抱いていましたが、平穏な状態で観終えることができました

◎小泉元首相の参拝はじめ、戦中にタイムスリップしたかの感を抱かせる「靖国」推進派の主張も十分盛り込まれ、一方、合祀取り下げを求める菅原氏等の主張や、「靖国」反対の活動、戦時中の残虐写真も映し出され、李監督の靖国神社に対する判断は、あくまで観客に委ねるという徹底した姿勢が感じられました

◎私は、菅原氏の発言シーンには思わず相槌の声を出したい思いで最後まで釘付けにされました。ともかく「靖国」に対する種々の生々しいシーンを突きつけられ、改めて、「真宗者にとって?」という視点や、その議論の場を提供してくれる作品であると思います。熊本では8月23日より、DENKIKANで上映の予定だそうです

◎甲斐利雄氏は、教職員OBです。一般的に、現職時代には平和問題への取り組みをしても、退職を機会に一切手を引くという方も多いようですが、氏は相変わらず、黙々と非戦平和への願いを実践しておられます

◎この「一途」なお姿に、私はかの維摩居士の身業説法を重ね合わせることです。そして思うのです。このような方の日頃のご活動があってこそ、日本の右傾化に歯止めがかかっているのだと・・

◎吉水氏は、ご住職亡きあと、永年、住職と坊守の二役を勤め、最近新発意と住職を交代されました。その後、ホッとされたのか、体調を崩されていましたが、入院生活での法味随想をご寄稿いただきました

◎時節柄、ご法体ご自愛下さいませ。(崇信)

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