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ご支援頂いた皆様へ  佐賀県『自治会神社費徴収拒否訴訟』 原告A [2002年7月1日号(第68号)]


 今年も春がめぐってきました。2002年4月20日午後2時、花吹雪の中で「神社費を自治会費で強制徴収するのは違法」「信教の自由を侵す」という判決を頂きました。足腰も痛み、80の坂が目前ですが、日本で初めて「信教の自由」について憲法判断が下されました。私は親鸞さまの「神祇不拝」を貫き得たことを嬉しく思っています。

 私が提訴した原因は、1992年4月、私の住む儀徳町自治会総会でY区長が「天満神社の建物のみを自治会の財産に取り戻し、伝統を守るために地域法人にする」と提案されました。

 日頃から国家神道の教育のもと学徒動員として侵略戦争に駆り出された私は神道護持の意志はなく、またこの提案に疑問を持った私は、福岡の倉岡雄一弁護士に尋ねに行きました。倉岡弁護士は「氏子以外は神社について権利がありません。信教の自由の問題がからみますから事は複雑です」と申されました。早速私はその旨を区長に知らせようと訪問しましたが不在で、奥さんに弁護士さんの申した通りを伝えたら、いきなり「神様に反対するなら此の町を出てゆけ、神様の居ない町に出て行け!」と啖呵を切られました。私はムッとしましたが、無言のまま帰宅しました。その後、かって私の教え子であった警察関係の方にこの天満神社の件を尋ねましたが、弁護士の説明と同趣旨の返答でした。

 1993年4月の自治会総会で「私は事情があって天満神社の件には参加しないが、今まで通り自治会員として認めてほしい」と申し出たところ、区長は「慣習だから〈信教の自由は〉認めない」と言われ、それ以来私は儀徳町区から「除名」され村八分にされました。一方的に非区民扱いが進行し、私は区長に「神社維持運営費を除いて区費を納入させて下さい」と申し出たが、拒否されました。

 そのため1994年10月佐賀地方法務局人権擁護課に救済を申し出ました。しかし何ら解決することなく、1996年9月から3度、佐賀県弁護士会人権擁護に人権救済を申し出ました。

 やっと1991年1月28日付で佐賀県弁護士会会長の「人権救済の勧告」が出ました。翌日新聞やNHKテレビに報道されましたが、当区長は「これは明治時代からの慣習だ。今後も続けていく」と信教の自由を認めないコメントをしていました。この新聞記事を目にした藤岡崇信氏は何なりと力になりたいと私に会いに来て下さいました。そして直ちに郡島氏、久保山氏らに連絡を取り、藤岡直登氏らと支援に動いて下さいまして、「信教の自由を考える会」が結成されました。私はその後も、東島浩幸弁護士とともに勧告に沿う協議を区長に申し入れました。しかし「A氏は儀徳町の区民ではない」という回答がありました。

 ついに1999年12月24日訴状を佐賀地方裁判所に提出し、翌年2月4日午后1時20分より、第一回目の裁判が行われまりました。その夜「裁判をやめろ」としつこい電話があったのを皮切りに、無言電話のいやがらせが続きました。

 そのような周囲からの強圧の中、私は佐賀駅を歩きながら全身の力がスーッと抜け、身体がくずれおれて横たわるという事態もありました。

 しかし、それらに屈することなく基本的人権の中で最も重要な「信教の自由」について救済を求め続け、今年2002年4月12日、やっと「信教の自由」の正しい判決が出て、4月27日確定したのです。

 日本では、これまで神道は伝統的民族宗教みたいに申されてきましたが、よく調べてみますと、弥生時代以降に朝鮮半島を通して流入伝来したシャーマニズムといえるようです。仏教公伝後、約四十年ごろ『日本書紀』用明天皇の巻に初めて「神道」の文字が見えるようです。明治以降天皇制の強化のなかで国家神道になり、軍国主義のバックボーンになりました。

 これからは日本では、正しく「信教の自由」を守り、維持し、運営されなくてはなりません。戦後50数年たって、やっとここまでたどりつきました。浄土真宗の私を含め、神道以外の異教徒の方々は、精神的重圧として踏み絵のような心の苦しみを毎月味わってきましたが、やっと一息つくことができました。共に喜んで下さいませ。 

 ご支援いただいた方々に心から厚くお礼を申し上げます。


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瀬戸内海

町内会で常会長をしています、当然神社のお祭りの会費も徴収しています。
信教の自由は当然認められるべきです。しかし頑なにならないで頂きたいというのが感想です。
わが町も今の民主主義以前はるか数百年前から存在する神社の祭礼及び維持に町内で寄付するのが恒例です。別に強制もしていません。しかし祭礼の見学は自由です。
新興団地やマンション住まいの方々に伝統とは無縁の方々には理解できないでしょうが長年の常識と習慣です。又神主さん家族の生活費にもなっています、恐らく貴殿には信じられないかも知れませんが。町内には左派議員も各宗教施設も宗派も沢山ありますが、祭礼の時は皆さん伝統を楽しんでおられます。町の常識です。アメリカでミサにいっさい行かない自由と、古来以来の神社の維持というのは違うのでは無いでしょうか。いわんや村八分や交際拒否は地域が悪いのは明白です。
by 瀬戸内海 (2021-08-24 11:46) 

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