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2009年4月1日(第95号) ブログトップ

新門様をお迎えして  吉田水哉 [2009年4月1日(第95号)]

 一月二十一日、新門様御夫妻をお迎えすることができました。基幹運動推進委員各位の御尽力で教区内僧侶門徒の気持が同一方向にまとまったことと喜ばしい限りです。

 ただ一つだけ希望を申し述べさして頂きます。「御巡回の集い」のあり方です。

 黒田師の名司会ではありましたものの、各教化団体の現況報告に終始したことは残念です。門徒の皆様には消化不良の面があったのではないでしょうか。別の場所で副委員長なり、又しかるべき人がまとめて御報告されてもよかったのでは?・・「集い」では、僧侶門徒の方々の意見、例えば七百五十回忌大法要をいかにしてお迎えしようかとか、いくらでも検討問題があったと思います。

 幸い新門様御夫妻の方から門徒会館二階の会場へおいで頂き御下問下さり、二、三名御要望申上げることができよかったなあと感じました。新門様と私たちの対話の時間があったならばと感じたことでした。それにしても、新門様御夫妻と教区全員の一体感がかもしだされ、これからの基幹運動の進めかたもまとまり易くなったのも事実ですし、有難い「集い」でありました。

 御夫妻ともども心身ともにご健全ななかにお念仏の道を確かなものとなさっておられることに明るさを感じられることでした。称 名

〔益東組・光円寺前住職〕


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「怪文書」に思う  藤岡崇信 [2009年4月1日(第95号)]

去る一月二十日、新門・新裏方の熊本教区巡回に照準を合わせたかの如く、「維新団熊本」を名乗る一通のはがきが届けられた。

 翌日の別院での参会者の話題はこの件に集中し、聞こえてくる会話から、このはがきは教区内全寺院と教区会門徒議員に送付されているらしいことが判明し、その後は、この労力と経費を費やした「主」は一体誰だろう?という「差出人」捜しに移っていったようであった。

 残念ながら今日まで宗門内には、多種多様な「怪文書」が何回となく送付された経緯があり、今回の件もさほど珍しいことではなかったが、このはがきの内容には、宗会議員の非を指摘する問題も記載されており、私は簡単に破棄するわけにはいかず何回も読み返したことである。

 指弾された立場の私の思いを申し述べると、「総長を不信任した宗会が、今度は信任するという裏取引」との指摘の件、それは「宗会解散により、議員のメンバーに異動があり、そのことによって表決の違いが生じた」という事実を申せば納得していただけると思う。しかし返事を送ろうにも送る術がない。物事はオープンな意見の交換をへた後、皆が納得する結論にいたると思うが、困ったことに「怪文書」という一方通行の手法では、その意見の往復は全く不可能である。

 まさに残念なのはこの差出人名が不明という事実であるが、実際、何人かの方より、あのはがきの内容に全て賛成ではないが、共感を覚える点もある。差出人名が記してあれば、教区内の人々に訴えるインパクトが数段違っていただろう。また同じ思いの人が結集することもできただろうに・・という声も聞かれたほどであった。

 従来、ご法義相続と繁盛とを目的として、宗門人皆が各自の思いを出し合い、よりよき方途を模索していく場として、組会があり、組長会、教区会、そして宗会議員は選挙によって選出するという民主的なシステムが設けられているにも拘らず、今日、それらが本来の機能をはたしていないのだろうか。各部署は強権的、独善的であり、各自の思いを率直に述べる雰囲気が欠如しているというのか等々の強い危惧の念を抱くことである。

 わが教団は、「伝道教団」「同朋教団」を標榜しながら、現実は、宗門を形成している各人が己の意見を言いづらい、言い得ない、その結果こころならずも「怪文書」といういびつな発言によらざるを得ないという状況をつくっているとすれば、私たち一人一人が大いに反省し、早急にその改革に取り掛からねばならない重要な問題であると思うことである。

 同時に、自分の意見を公の場で発言できないという不満を「狂区会」「粗長会」という、おとしめる名称を冠して相手を侮辱する文章――「怪文書」を用いるという手法の問題である。私たちは時としてそのような思いにかられることもあるが、それは念仏者として一体如何なものであろうか。

 また私が気になったのは、新門・新裏方を迎えた当日の午後と夜の会が終了し、お二方が席を立たれた後とはいえ、出席者をその場に待機させて行われた教区会議員の発言である。

 その趣旨は、「我々の本願寺への陳情は、門徒講金における教区間の不公平是正、即ち熊本教区門徒の負担を軽減することを訴えるため」という、「『怪文書』指摘に対する弁明」であったかと思う。

 あの会場における参加者の心中は、お二方の今後への熱い意気込みをお聞きし、その思いへの共感に包まれていたと思うが、そうであればこそ、教区会代表として、「出費ご多端の折ですが、今後とも宗門護持発展のためにどうか宜しく」という挨拶をすべきであったろうに、と思ったことである。

 門徒の本山離れは加速度をなし、宗門財政は年々逼迫している現状を思えば尚更のことである。勿論、「怪文書」の主が懸念している「淨財が特定人物の物見遊山や飲食費に費消される」ことなく、全ての淨財が無駄なく宗門の発展に活用されるべきことは言を俟たない。

 経済の低迷、吹き荒れる過疎問題等々、宗門財政を支える基盤も難問山積の中、賦課制度の見直しと同時に、宗門人全てが「身を粉にし」「骨をくだきて」佛恩報謝にいそしむ道をどのように築くのか、その目的と方法を誤らず確かな歩みをしなくてはならないと改めて思うことである。 (託痲組・真行寺住職)



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随行長総務様への便り   禿 浩道 [2009年4月1日(第95号)]

 この度はご巡回とご巡拝の随行長総務として新門様ご夫妻への気配りをなさりつつお勤めをこなされました事、宗門人の一人として有難く感じました。

 さてこの行事を通して大法要円成への感を盛り上げ醸し出す事は勿論ですが、他方の目的は新門様がこれから背負う宗門の地方の現状を把握し認識する事も込めての巡拝の旅でありましょう。正確な認識をお持ち頂いて的確な将来への指針を御門主に成られました時にお示し頂けるようにする大事な巡拝の旅であるかと存じます。それにつき熊本独自の課題につきお知らせ申し上げます。

 半世紀前この熊本別院設立強行に際し、集団離脱が起こりました。離脱した寺院も多くは教学に励んでおられますが、中にはある一寺院がその後祈祷寺院に成り下がっています。大谷に流れる法水が離脱によりその寺までは流れ込まなくなったからである事はあきらかです。水田に水が流れ込まなくなれば荒れ田に為るのは必然で同様に法田も半世紀の間にそういう状況になっている事は同朋教団にとって憂憂しき事態であります。離脱させた側も離脱した側も親鸞聖人により一味の安心を頂いた同朋なのであり、大法要の円成とは熊本に於いては半世紀前に前回の大法要記念事業で別院設立に際して稚拙な手順(民主的手順を踏まなかった)の故に離脱寺院をはじき出して造った宗門の傷を治し元通りに同朋教団の懐にはじき出されている寺院を抱きいれ法水を流し込み美しい法田の回復を図る事が親鸞聖人への報恩となりこれが熊本での大きな法要円成と成るでありましょう。それにつき傷を治す暖かい手当てを宗門としても用意頂き熊本教区でも治癒に向けてのリハビリに精出すよう叱咤激励下されば有り難いと存じます。祈祷寺院にまで成り下がった所を治癒させるには相当のリハビリが必要でしょうが、本願力は一足飛びに治癒せしめる力がある事に希望の明かりは残っており感謝しつつお知らせ申し上げます。      称 名

参 考   
離脱が起こる前熊本教区寺院数
五百二十一カ寺
熊本教区寺院数(本年)
四百六十九カ寺


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編集後記 [2009年4月1日(第95号)]

◎今号は、新門様・新裏方様のご巡回特集記事という意図ではなかったのですが、たまたま三篇ともそれに関する内容になりました。それぞれ視点が異なるので、そのまま掲載しましたが、吉田師は、新門様ご夫妻のご巡回直後、まだ感激の冷めやらぬ時に、ご寄稿をいただきましたのに、発行までに二ヶ月の期間を経過し、申し訳なく思っています

◎四月二日の「御影堂平成大修復完成報告法要」後に、ご門主より、ご消息の発布があるようです。重々しい発布式を行った「ご消息」が、その後どの程度、宗教的重みをもって地方寺院や門徒へ伝わっているのか、単なる「京都・本願寺」でのセレモニーに終わらせてはいけないという思いと同時に、現代の真宗門末事情が気になるところです

◎最近、「維新団熊本」の怪文書・第二信が出たそうですが、私の方には来ないので、その内容は不明ですが、この「こだま」紙は、特定個人に対する誹謗中傷を意図する内容以外、教団・教学問題等々、各自の思いを自由に出し合っていただく場を提供しています。皆さまのご投稿をお待ちしています。

◎桜の花の好季を迎えていますが、どうか皆さま、お元気にてご法耕の程をと念じています。   合 掌

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