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2012年10月1日号(第109号) ブログトップ

「実践運動」のはじまり   託麻組・真行寺住職 藤岡 崇信 [2012年10月1日号(第109号)]

 1986(昭和61)年より、わが宗門は、まさに「宗門の基幹運動」として、門信徒会運動および同朋運動を推進してきました。

 この運動に永年携わってこられた方々の熱意と努力は、宗教教団として、また真宗者として、真剣に取り組むべき問題を明示し、その実践を厳しく促したという大なる足跡を残したと思います。

 しかし、永年の運動経過の中、一部の人々ではあろうが、その運動内容への偏りが指摘さるようになったのも事実でしょう。

 今日までこの運動の継続にあたっては、時に応じて反省と点検が行われてきましたが、特に今年度から運動の目標を「いのちの尊さにめざめる同朋一人ひとりが自覚を深め、浄土真宗のみ教えを社会に広め実践していく活動」と定義し、運動名称も「御同朋の社会をめざす運動」(実践運動)と改め再スタートしました。

 『宗報』七月号に、今後二年間、宗門を挙げて推進するこの実践運動の「重点プロジェクト基本計画」について、「そっとつながる ホッがつたわる  ~結ぶ絆から、広がるご縁へ~」、そして、①総合テーマ ②実践目標等、詳細な内容が記述されています。また九月四日には、熊本教区における公聴会も行われ、そこで種々の質疑も行われましたので概略はご承知のことと思います。
 実は五月頃から、教区の方々や宗会議員の間において、今年度から新たにスタートした宗門の基幹運動というべきその内容が未だに公表されないが一体どうなっているのか?という懸念の声が交わされ始めていました。

 そして八月七日、別の議題で常任委員会が行われましたが、会の終わりに、その「実践運動」の件が提起され、総務からは「近々各教区を巡回して公聴会を開く予定である。どうかご心配なく」との返答がありました。

 それに対し、宗会の効率化を図り規模を縮小したとはいえ、このような重要な内容を一部の者で決定することは如何なものか。広く意見を求め、より良い内容のものを作成すべきではないのか・・等の意見が述べられ、総局は渋々、八月二十一日に宗会議員に対する説明会を開きました。

 その折の主な意見は、先ず「実践運動の内容」について、
①七五〇回大遠忌法要も終了し、これからわが宗門の再生に向けて、真剣に取り組まねばならない今、この内容は一体何か。各寺の法座の参詣者は激減し、葬儀等の簡略化、寺院収入の減少という状況のただ中にある地方寺院の実態を把握し、今日、ご法儀繁盛のための喫緊の課題は何かという、この視点を熟慮した上での運動趣旨の作成であるのか。
②「宗門の課題リスト」として、環境問題、エネルギー問題を提示しているが、避けて通れない肝心な問題――原発に対しての宗門の基本姿勢は全く示されていない。また「お寺に小規模の太陽光発電システムを設置し、電力を作る仕組みを子どもたちが学ぶ機会を提供する」という記述もあるが、小規模の発電システムでも価格は百万円、また子どもたちに、難しい発電システムを誰が説明するのか。全体的にあまりにも杜撰な、受けの良い作文に終始しているのではないか、という厳しい意見が出されました。

 次に、この運動の内容が発表されるまでの過程についても種々の意見が出されました。

 それは前記の通り、この四月一日から、従来の宗会を「スリム化」し、「経費節減」と「宗務のスピーディー化」をはかるという趣旨のもとに、まさに平成の大改革が行われました。しかし、いかに大改革といえども、宗教団体であり、全国に約一万ヶ寺、そして多くの門徒を抱えている教団であり、そこに宗教教団の使命として教化活動の実践と、また教団・本願寺の運営管理等を裏付ける財的支援を仰がねばならないという現実がある。そこには当然、多くの教団構成者の思いを聞き、宗門全般の意思を尊重することの必要性は論を俟たない。

 この大原則から、如何に宗会のスリム化を図るとはいえ、宗法第四一条には、「宗務の重要事項に関する企画立案について諮問するため、企画諮問会議を置く」、また、第四二条には、「宗務の執行に必要な重要事項を議決する機関として、常務委員会を置く」と規定している。特にこの常務委員十五名中、三名は、僧侶・門徒宗会議員以外の有識者で構成され、それは宗門の今後を鑑み、今まで以上の広い視野と識見を持った方々の意向を導入したいとの思いが込められたものでした。

 しかし、今回の「宗門の基幹運動」たる実践運動の成案に関しては、この両委員会にかけることもなく突如浮上してきた事に、この重要な問題を何故に!、この宗法無視の総局の姿勢と独走を看過してはならないという懸念の声が相次ぎました。

 私はこの実践運動の基本策定こそ、有識者の意向を十分に汲み込むべきであったと残念に思うと同時に、出遅れてもよい、時期にマッチした宗門再生への確固たる運動として、手を携えスタートしたいものだと思うことであります。


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鉄眼版一切経(大蔵経)  球磨組・忍成寺住職 尾方 尚晃 [2012年10月1日号(第109号)]

 私の手元に大判の『仏説阿弥陀経』の折本があります。

 ひょんなご縁で黄檗山宝蔵院から取り寄せたものです。

 二年ほど前雑誌で黄檗宗本山万福寺塔頭・宝蔵院にある鉄眼版大蔵経の復刻がなされているという情報を目にし、急に欲しくなったことに始まります。


 中国では983年(宋の時代)に初めて大蔵経の木版印刷がなされ、これが日本に伝わったのが九八八年でこのとき日本人が初めて大蔵経を目にすることになったと聞いています。

 高麗でも11世紀に開版された『高麗版大蔵経』が1232年に焼失し、1251年に再調されました。これが現存する最古の大蔵経。この印本が日本にも請来され、後の『大正新脩大蔵経』もこれを底本にしているといわれています。

 日本では輸入した印本は大変な貴重品だったと思われます。書写のみに頼った日本では広く経典を研究できる人は非常に限られたことでしょう。

 日本においても、大蔵経を印本ではなく自ら印刷しようという試みが何度かあったようですが完成せず、ようやく江戸時代(1648年)に天台僧天海によって印刷されました。しかしこれは木製活字を組んで印刷するもので印刷には大変な労力がかかり、印刷できたのはごくわずかであったといわれています。

 そこで鉄眼の登場です。版木に一文字一文字を刻んで版元をつくりそれを大量に印刷するというものでした。1600文字分の版木が6万枚、大変な作業です。


 実は鉄眼道光という人は、浄土真宗しかも熊本県に大変縁の深い人です。

 鉄眼は熊本県益城の真宗の学僧であったということですので教区内にも縁家の方がおられるのかもしれません。

 真宗教団の学究にいそしんでいた鉄眼は、学問の中身よりも出自や人脈が横行する体質に嫌気がさし教団を飛び出し、その後長崎にいた日本黄檗宗の開祖隠元に弟子入りしたということになっています。私個人的には、中国人僧である隠元の経典調達能力も鉄眼にとって大変な魅力だったような気もします。

 隠元のもと、めきめきと頭角をあらわし精進をする鉄眼でしたが彼には長年持っていた大きな課題がありました。それは日本には立派な寺院がたくさんあるのになぜ仏教の一大叢書が広く流布されないのかということでした。

 ついに鉄眼30代の半ば、師の隠元に大蔵経を版木に刻んで大量に印刷をする志を話します。師隠元はこれを喜び中国明代の『万暦版大蔵経』を版元用に渡し、版木収蔵庫として現在の宝蔵院を建立、さらに京都の木屋町に版元(印房)を置くことにしました。

 しかしこの計画には大変な資金を必要とします。まず良質な版木が要ります。

 今この版木を作るには30億円はかかるとも言われます。鉄眼は全国を勧進行脚。その頃までの慣例と異なり、一部の有力者だけでなくあらゆる階層の人に経典の刻版事業を訴え、浄財は順調に集まりました。

 ところが延宝二年(1672年)6月大坂で大洪水が起こり被災者が続出。鉄眼は「一切経より人命が大事」と集めた資金を使ってしまいました。

 そして改めて全国行脚の旅に出ますが、資金が集まったところで、今度は近畿地方の大飢饉になります。鉄眼は今度も救援のためすべて放出します。

 そして三度目の全国行脚に出かけます。そしてそれを終えた時には過酷な旅のため鉄眼は病気になってしまいます。しかし鉄眼の志と善行は多くの寄進と協力を集めついに1681年発願17年目にして七千巻の経典の版木が完成しました。鉄眼はその翌年53歳をもって遷化しました。
「鉄眼はその一生に三度一切経を刊行せり」とも言われています。


 使われた版木は良質の吉野桜。タテ26センチ、ヨコ82センチの版木に2丁分、それが表裏に刻印してありますので版木一枚に4丁分。その版木が6万枚。1丁分が四百字原稿用紙に一枚分に当たり、今の原稿用紙はこの鉄眼版が元になったといわれています。なるほど手に取ってみるとずいぶん大きいですが原稿用紙と同じ形式をしています。

 さらに底本にした明時代の万暦版大蔵経の字体を彫りやすく、くっきりと印字できるように工夫がされました。これがいま日本で最も多く使われている明朝体という字体のもとになっています。またこの事業に携わった職人たちの開刻技術はその後の日本の印刷技術に大きく貢献したといわれています。

 そして何よりも、それ以降広く多くの人が経典を手にすることができるようになった功績は計り知れないものがあります。

 しかし、新たな技術の開発により今では簡単に経典を手に入れることができるようになり鉄眼版はその役目を終え宝蔵院で重要文化財としてひっそりとたたずんでいます。復刻作業も刷り師の後継者が途絶え難しくなるだろうといわれています。


 さて、私がその印本を欲しいと思った根拠は単純なものでした。情報過多の中で言葉が軽くなったと感じているなかで、一文字一文字丁寧に刻んだ経典を読み経典の重みをしっかりと感じたいという情緒的なものでした。

 私のお寺から1キロほどの所に「新宮寺」という黄檗宗のお寺があります。そこのご住職を通して本山万福寺宝蔵院に連絡を取ってもらいました。「うちの寺は浄土真宗なので浄土三部経が欲しい。鉄眼版を印刷してもらえないか。」という問いはあっさり断られました。

 理由は「無量寿経、観無量寿経は大きなお経だからずっと印刷していない。きちんと印刷できるか確認できてないし、その予定もない。」ということでした。

 しかし「阿弥陀経は印刷できそうだ」ということで、お願いすると、しばらく待ってくださいということでした。

 しばらくして連絡があり、「鉄眼版一切経開刻330年記念事業として『仏説阿弥陀経』を特別印刷の企画をするのでしばらく待ってほしい、出来上がったら真っ先に届けますので、」ということでした。黄檗宗は念仏禅ともいわれるように、宗門においても「仏説阿弥陀経」は読まれることがあるそうです。

 さらにひと月して届きました。真っ先にということでしたが、製本番号は一番ではなく百番、当方は宗門外の人間ですからそうでしょう。

 宝蔵院ご住職の「待たせて申し訳ありませんでした。大切に使ってください。」との添え文がありました。

 しかし黄色の宇和泉貨紙という良質のコウゾ紙に330年たったとは思えないほどくっきりと文字が写されています。「阿弥陀経」と小品2巻がまことに丁寧に折本として製本されています。代金七千円也プラス送料350円。期待通りのものでした。

 手に取りながら、当時の鉄眼の「広く経典が流布されるように」という願いが見事に再現されている思いがしたことでした。

 商売のうまい教団だったらきれいな桐箱に入れて「ン十万円でお分けします」というのもあるかもしれないけど・・・・・。

 禅宗というのは時々シビレルような素敵なふるまいをするんですね。


 しかし気になるのは、「無量寿経」と「観無量寿経」がこのまま印刷されないまま版木が朽ち果ててしまうのかなぁ、ということです。


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災害ボランティアから学んだこと(上)    高瀬組 法雲寺住職 加藤尚史 [2012年10月1日号(第109号)]

 七月十三日。小雨の降る中、たどり着いた合志組満徳寺(岡崎了明住職)の風景は変わり果てていた。足を入れると二十センチほどもぬかるんでしまう土砂が、普段美しく手入れされていた境内一面と本堂を含むすべての建物の床下に堆積し、床上まで浸水し泥水に洗われた畳が散乱している庫裡の光景は、復旧への長い時間を覚悟せざるを得ないものだった。しかし、災害発生の翌日にもかかわらず駆けつけたご住職の高校時代の友人たちが、泥にまみれながら黙々と作業をされていた姿に、尊さと希望を見いだしたのも事実だ。

 以来、たびたび復旧作業に伺うこととなったが、作業は予想以上の早さで順調に進み、庫裡の修復は残るものの八月二十八日の土砂搬出作業を持って一応の復旧となった。その順調な復旧について、二十二年前にも今回同様の水害被害に見舞われた満徳寺のご住職は、前回との最大の違いに様々な形で訪れてくれた「ボランティア」の存在の大きさを指摘した。阪神大震災を契機に日本でもボランティア活動が根付き、昨年の東日本大震災を経験した今では、その存在自体を抜きにしては復興そのものが語れないほどの大きな力となっている。今回の災害でも、その動機や願いは様々なものであろうが、ボランティアセンターを通じて派遣された個人や商工会の団体、高校生など、多くの人々が活動者となった。寺院の関係者も、SNSやメール等で情報を共有し、集中作業日を設定するなどの工夫を凝らしながら、合志組を中心に教区各地の住職寺族、教化団体等、多くの方々が、自然発生的に集合しボランティアとして作業していただいた。ただ、「ボランティア」の存在をご住職に強く意識させたものは、主に寺院関係者の作業日に駆けつけてくれた、実はこれまで全く面識もなく名前さえも定かではなかった多くの住職、若院、寺族方だったという。

 「仏教は福祉である」という観点からの実践と原始仏教を研究のテーマとする吉元信行氏は、その著書に於いて、釈尊が初転法輪の後、比丘達に遊行を命じた目的について「多くの人々の利益、多くの人々の安楽、世間への共感のために」とうたわれていることを主張する折、本来漢訳経典においては「憐愍」と訳されている「アヌカンパー(anukampa)」という言葉に「共感」という訳語を使用している。「アヌ(anu)」は「それによって、したがって」、「カンパー(kanpa)」は「心が震える」。吉元氏はその理由を「憐れみというよりも、相手を見て自分の心が震えるほどに何とかしたいという気持ちです。」と記す。今回の災害を通して、苦悩や苦痛、苦労の中にいる人を見過ごすことが出来ない、また、見過ごさないことが教えをいただく者の務めであるという仏教者としての思いを、あらためて確認しあった結果ではないか。作業の最終日、「明日から寂しくなりますね。」と冗談交じりに声をかけると、「被害にあって確かに大変だったけれど、多くの人に会うことが出来て嬉しかったなあ。」と、微笑みながら静かに答えられたご住職の言葉が印象的であった。


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過疎における寺院の存続は?!    益東組・教蓮寺住職 平野 證眞 [2012年10月1日号(第109号)]

南阿蘇外輪の裾野に広がる風光明媚な標高400~500メートルに位置し、五ヶ瀬スキー場に隣接する農業 (米・トマト・ キャベツ・椎茸等) を基幹産業としている門徒、数十戸を抱えた清和村の中での小さな過疎寺院である。清和高原天文台、文楽人形の里と清和と阿蘇郡旧蘇陽町、旧矢部町の三ヶ町村が合併し山都町となり七年あまり経過している。

戦後から近年の急激な社会構造の変化に寺院はそれに追いついてないところがあって大きな岐路を迎えている。葬儀と墓地の在り方、意識の変化 (命そのものを軽視する傾向にある) 等、 また長寿社会になり死そのものの考え方やライフスタイルが変わってきている、このような諸問題に仏教はどう対処していくのか。

少子高齢化と人口の流失により門徒も年々減少の一途を辿っている。町の人口は約17900人前後で月に平均25名、多い月は50名位減少している。時には増える月もあるが(将来は限界集落にさえ?) 小・ 中・高に通学する子どもすらいない。寺院の合併等も考えなくてはならないのではと思う一方で、合併承認冥加金等が発生するなど、 実際は厳しいように考える。

寺院活動は、春・秋の彼岸会法要、報恩講法要等の法座を持つが高齢化と交通の利便が悪く、なかなかお詣りが難しい。(寺院としての取り組みをどう展開していくか) 聞法の場としての寺院機能と振興・教化が果たされていない。月忌等のお参りはなく、仏事が年に数回と葬儀が年に一回か二回程度である。また、寺院の中でも門徒戸数が多い寺院、少ない寺院と格差もあり、 門徒戸数が少い寺院は当然運営が厳しく何らかの方策を立てなくては近い将来廃寺に追い込まれるのではないかと懸念する。(ここでも解散承認冥加金発生?)他の仕事(兼業)をやりながら寺院を養っている寺もあるが、近場に勤めるところがなくなっている現状もあり厳しい。

近年本願寺賦課金 ・ 特に教区賦課金が高騰し納入困難状況にある(予算の約四割強は人件費・退職金等も予算化? 従来の門徒講金(第四種賦課金) 等を300~500円内に抑えて門徒戸数の実数を報告したらよいのではと思う。

当寺院は住職個人も相当負担して納付している厳しい現状です。こういった過疎の寺院には賦課金の点数を下げる、或は単価等を軽減設定する特例措置はできないものだろうか、このような寺院は外にもあるのだろうか、当寺院だけの問題なのかも知れない。寺院の修理、修復(これも住職個人でしている) 護持運営及び維持管理さえも儘ならない…。

以前熊本別院移転の話を聞いたことがあるが、 もしそうなって負担金等きたら、過疎の寺院にとっては大変な事だろう。(単立にとも考えたり!)

全国の過疎地域の寺院にも同様なことがあるのでは?また将来を担う寺院の後継者不足にも陥っている。後継者がいても職(他の仕事)がなければ寺を 養うことができない。これから過疎寺院互いの情報交換をしていく必要が大事ではないだろうか。

先に本願寺はアンケート調査を実施されたが、調査内容以上に過疎寺院の状況は厳しい現実にある。しかし難しいとは云っておれないし、なんとか維持教化 に頑張るしかない。

待つ寺から攻める寺へチェンジし、ネットの活用あるいは、 都市への積極的な開教をもとめていく等、何れにしろ、このままでは心のケア、開かれたお寺は、ご法義繁昌は勤まらない。お名号のお取りつぎは、坊さんとはどうあるべきか 過疎の寺院はかってない変革のときにきている…。

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編集後記 [2012年10月1日号(第109号)]

 平野・尾方両氏の原稿はご投稿、藤岡・加藤両氏の原稿はご寄稿です。紙面の余裕がないので、今回は2点についてのみ触れます。
 まず1つは実践運動(重点プロジェクト)。昨年の宗本分離以来、図られてきたスリム化・スピードアップ。確かに速度を上げれば早く目的地に到着できましょう。しかし、同時に様々なリスクも増します。従って、時にはブレーキをかけて周囲を確認し、あるいは方向の修正を行う必要があります。でなければ、到達すべき目的地自体を誤る事もあるはず。今のトップダウン的「実践運動」の在り方には、その危うさが感じられてなりません。
 もう一つは過疎化について。これも大きな問題に違いありません。ならばと「待ち」から「攻め」に転じて、都市部に新たな起点を求めれば、既存の寺院に対する“気遣い”も欠くことはできない…。過疎化寺院の苦悩・苦闘は、誠に簡単には表せないものがありましょう。
 『こだま』では、この「過疎化」の問題をしばらく継続テーマと致します。皆様のご投稿・ご意見、お待ちしております。  (大松龍昭副編集長)


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