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2010年7月1日(第100号) ブログトップ

洋の東西 共に凡夫の国   禿浩道(こだま編集長)   [2010年7月1日(第100号)]

 今から150年前、咸臨丸で福沢諭吉等がサンフランシスコに上陸。以来、西洋近代文明を摂取することによって、日本を文明化して国の独立を達成して行くことが諭吉によって主張されて来た。

 日本と西欧との出合いの当初は、西洋の文明を摂取する必要をせまられる思いが湧き、そのように歩んで来たのであった。

 150年の間に、西洋文明を知り尽くして見て、これからはその文明の欠点までも摂取する必要はなく、東洋文明を逆に輸出し紹介して行く時代を迎えている。

 去る2月27日、25日北米の宗祖七百五十回会法要に参列した際、クリスティーンという人とのご縁があった。

 米国は78パーセントがクリスチャンで、仏教徒は1パーセントである。この1パーセントの中にクリスティーンさんは所属。彼女は普通の暮らしの中では仏教に出逢う事は出来ない。

 キリスト教の社会だから、普通に暮らしている場合は、それとのご縁ばかり。しかしキリスト教の教義にしっくりこない思いがあった。偶々図書館で仏教書に出逢い、それから佛教を求め始め『求めていた宗教がみつかってベリーハッピー』と語っていた。そして日本に生まれたかったと語った。それは日常の中で仏縁に恵まれる環境という部分をそのように表現された。

 つまり佛教は西洋文明に無い東洋の輝く文明なのである。これを積極的に輸出し伝えてゆく時代が当来しているということである。

 黒船が訪れて以来、西洋文明の欠点にも振り回されて来た。その一端が米国への入国の際、疑心暗鬼の厳重な審査は靴に付いた埃にまでも神経を使い為に長時間、長蛇の列でのゲートをくぐる現状となっている。

 江戸時代、寺から発行された通行手形で藩の邦境を越さねばならなかったのが、廃藩置県後の今は自由に行き来できる。ガガーリンが宇宙から帰還して地球は青かったと述べた。宇宙から見る地球に国境は見えない。何故、疑心暗鬼し、国境の垣根を高くするのかは文明に欠点があるからである。150年の間に見えてきた西洋文明にも、凡夫が造る虚仮なる現象が数々見られる。

 大戦後、戦勝国による東京・横浜裁判で日本軍七三一部隊の細菌兵器開発関係者を、その情報提供を条件に裁判にかけなかった事実は、真実を追究する裁判ではなかった、裁判を牛耳った国の都合で左右された虚仮のものであった。故に、その細菌兵器の研究者がかかわったらしき炭素菌郵送事件に9.11後の米国はオドオド怯えた。あるいは沖縄返還の折に核密約をした等、聖徳太子の世間虚仮は西洋文明にも当てはまっていることが見えてきた。虚仮なる文明を手本にする必要はない。

 唯佛是真なる佛教を伝えることによって、疑心暗鬼の闇造りから十方の衆生を解放する使命を仏教徒は背負っている。

 是真たる佛教の是真の実証を親鸞聖人が生涯を通して証明されている。武器で迫って来た人を念仏で回心せしめた実績は正に唯佛是真を証明し、経典の兵戈無用の証明でもある。疑心暗鬼の象徴、基地を米国に提供する現政権の選択は、虚仮なる文明にこびたものであり闇に趣く一歩である。佛教国日本にふさわしくない選択であるということに世間が気付くよう、親鸞徒が世間をリードすべき時を迎えているのではあるまいか。

 それを可能ならしめる道理が大無量寿経巻上に十二光の無量寿佛の徳をもって示されている。この光に遇うものは三垢【地獄・餓鬼・畜生】消滅し、身意柔軟なり、によって確実である。十二の徳名がそれぞれに阿弥陀佛の絶大な働きをあらわし、どんな難問も解決する力のあることをその名が物語っている。即ち無量光、無辺光、無碍光、無対光、焔王光、清浄光、歓喜光、智慧光、不断光、難思光、無称光、超日月光と。

 米国の佛教徒が平和に向けて今立ち上がろうと謳っていた事を紹介し、日本においても今その歌声に呼応するようお呼びかけして、百号記念の原稿とさせて頂きます。南無阿弥陀仏



 今号で「こだま」は100号になりました。これを期に編集長を若いお方にお譲りします。若い方々による新鮮な紙面で、これからも読者の方々と「こだま」仕合って、この機関紙が熊本の地で血の通う一体感により、益々念仏の薫りただよう法義繁盛につながる機関紙にと育って下さることを念じます。[小国組・善正寺住職]




さらば日米同盟! 平和国家日本を目指す最強の自主防衛政策

さらば日米同盟! 平和国家日本を目指す最強の自主防衛政策

  • 作者: 天木 直人
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2010/06/22
  • メディア: 単行本



「こだま」よ、響き続けて  泗水康一 [2010年7月1日(第100号)]

 「こだま」創刊から25年、100号とのことです。よく続けてくださいました。四世紀半のご苦労に感謝します。

 私が読み始めたのは50号ぐらいからですが、ずいぶん多くのことを教えてもらいました。「宗報」や「本願寺新報」「大乗」にはでていない事実や考えを知り、刺激を受けました。とくに神道や、キリスト教、大派の方々の意見にも触れることができ、有難いことでした。そして怠惰に過ごしている自分を恥ずかしく思うことがしばしばありました。

 「三号で気力体力使いきり」。同人誌の発行で、こんなことが言われます。創刊の情熱も三号くらいまで、その後は原稿が集まらないし、読者も増えない。経費も手間もかかり、ついにダウン。そういうケースが多いのでしょう。

 それが、B4版、表裏二ページが基本型のミニ機関誌が25年も続いたのですから、改めて驚きです。編集スタッフの顔ぶれがほとんど代わらず、創刊からの思いを抱き続けてこられたからでしょう。

 「教団のあり方をともに考え、教学に対する意見を交換し、念仏者としての歩みをお互いに点検する場」(第二号)として、読者の声が山彦のようにこだましあう誌面にしたい、これが発行の趣旨であり、誌名の由来とのこと。25五年間、それが実行されてきました。

 教団のあり方を考える基準は、その運営が宗祖の教えに沿っているか、検証することでしょう。そして批判、評論するだけでなく、実践が伴わなければなりません。藤岡先生を中心にした編集スタッフは実践の人々、念仏の行者であったとお見受けします。そのメンバーが次号から若返り交代されるそうです。先生の初の宗会議員立候補を機に「こだま」が創刊されたことを思うと、やはり時代の流れを感じます。宗祖の教えを現代社会にどのように伝えていくか、新しいスタッフに大いに期待しています。

 宗教と政治、大遠忌記念事業のあり方など、これでいいのかな、と思うことがたくさんあります。今後とも、常に問題意識を持ち、宗門内外の多様な意見を紹介し、考えるヒントと刺激を与えてください。「こだま」がさらに高く、広く、長く響きますように念じています。合 掌〔菊池組、等覚寺住職〕


教団改革への発言 (1971年)

教団改革への発言 (1971年)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 信楽峻麿 永田文昌堂
  • 発売日: 1971
  • メディア: -



「こだま」と私と不協和音   遠山雅美 [2010年7月1日(第100号)]

 今号で百号を迎える「こだま」を私は一体いつの頃から読み始めたのだろうと、記憶をたどってみますが、なかなか思い出せません。ただ、当時こだまを読む毎に残るのが、なんともいえない違和感だったことを思い出します。

 それは、何故ここまで社会の問題と向き合えるのか、何故ここまで人と向き合えるのかという疑問や、私にはできないという後ろめたさや、その真摯な生き様への憧れなど、様々な思いが絡み合ったとても複雑なものでした。

 たとえば、ヤスクニ問題への取り組みです。もちろん私には問題の本質も分かりませんでした。そして何より、向き合うには大きすぎる相手です。私に何ができるでしょう。また、佐賀県の自治会神社費を拒否し村八分状態に置かれた方への支援です。新聞記事を見、放っておけないと会いに行く…、そこから始まる地道な支援です。

 これらのことを読むにつけ少しずつ蓄積される違和感は、いつしか私の中で不協和音となって響いてきました。それはまるで私に安らかな時間を許さないかの如きでした。けれど、この違和感が、不協和音を奏でると同時に、考える機会を与えてくれ、時間はかかりましたが、学びへと導いてくれたように思います。

 このことをきっかけとして、たくさんの人に出会い、大切な言葉に出会いました。

 「仏法を根底にすえ互いがぶつかり合う、そこから真実が見えてくると思います」文言の一字一句は定かでありませんが、何かの折の藤岡崇信先生の言葉です。

 何故ここまで…という疑問に対し、仏法に依って生きる人の必然の歩みであったことを示された気がしました。

 一方、その歩みを理解できなかった私は、教えに出遇っているつもりが、自分が救われる喜びに終始するのみで、社会の矛盾を問題として捉えることもできず、自分以外の誰かの悲しみに目を向けることもなく、仏法さえも自分に都合よく受け取っていたに過ぎなかったのです。

 仏法を根底にすえた発信が、そんな私に不協和音を起こさせるのでしょう。楽な道のりではありませんが、私はこれからもこの不協和音を抱えながら歩いていきたいと思っています。合掌〔熊本組、広徳寺坊守〕


それでも、日本人は「戦争」を選んだ

それでも、日本人は「戦争」を選んだ

  • 作者: 加藤陽子
  • 出版社/メーカー: 朝日出版社
  • 発売日: 2009/07/29
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



編集後記 [2010年7月1日(第100号)]

25年間、「こだま」は皆様の熱いエールに支えられて、お蔭さまで今回100号を迎えることができました。先ず深く感謝申し上げます

◎発刊に至る私たちの思いは、創刊号の欄外に記している「あなたは親鸞を捨てますか」「いま、大海に一石の尊さを」に込められていますが、時あたかもわが国の政治状況は、靖国神社国家護持を突破口に神道国教化への動きが活発で、何としてもそれを阻止しなければという強い意気込みがありました

◎また編集方針は、編集者の一方的な発信ではなく、皆さんの率直な思いを届けていただく、その意見のやり取りを大事にという趣旨を「こだま」という名称に託したものでした

◎30号記念には、それまでの一部を冊子にまとめ、その表紙に「法城を問う・法灯を見つめて・法味をよろこぶ」と記しました通り、それが紙面の内容だったと申せます

◎100号を一応の締め括りとして、私たちは今後、外海卓也編集長以下若手にバトンタッチいたします。新しい視点からの「こだま」に更なるご指導とご支援をお願いいたします

◎今回は、手書きの創刊号の1面と4号の2面を同封し、また100号記念に、ご住職・坊守様に、総括のご玉稿をいただきました。有難うございました。(編集者一同)


公教育と信教の自由―先生方へのお願い (1985年)

公教育と信教の自由―先生方へのお願い (1985年)

  • 作者: 藤岡 崇信
  • 出版社/メーカー: 永田文昌堂
  • 発売日: 1985/10
  • メディア: -



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