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2001年4月1日号(第63号) ブログトップ

人みなともに生きてゆくために  真宗フリートークネットワーク座長 殿平善彦 [2001年4月1日号(第63号)]

 昨年八月、私は久しぶりに韓国を訪れる機会に恵まれ、京畿道広州にある「ナヌムの家」(分かちあいの家)を訪問しました。

 一緒に行った人達と「日本軍慰安婦歴史館」を見学した後、元日本軍慰安婦のおばあさんたちと出会う時間がありました。

裴春姫ハルモニ(おばあさん)は、おばあさんと言うには申し訳ないほど華やかな雰囲気の持ち主です。金順徳ハルモニは、桃色の美しいチマ・チョゴリを着て、にこにこ笑って座っています。

 深刻な告白を聞くというよりは笑いながら話す世間話が楽しいのです。その後、おばあさんたちと近くの食堂で昼食をご一緒したのですが、ハルモニたちは陽気に昼間から食堂で踊りだしてしまいました。

 それはもう、実に楽しい一時をいただいたのでしたがハルモニと分かれた後、色々なことを思い、学ばせていただきました。

 ハルモニたちは戦前、日本軍によって「従軍慰安婦」になることを強要された日本軍国主義の直接の被害者です。そして戦後五十数年間、謝罪も、補償もされないまま過ごされてきました。
現在、日本政府を相手に裁判を起こしていますが、保守的な日本の裁判所の元では勝訴はおぼつかず、その被害の清算は依然として未解決のまま、彼女たちは今も被害者であり続けているのです。

 私は、そうした裁判も含めて、ハルモニたちの叫びに共鳴するものですが、その一方で私自身は、加害の側の一人として、場合によっては加害者(差別者)として糾弾される立場にあるとも言えるでしょう。

 私たち日本人とハルモニたちの間にある被害と加害の関係は、歴史的に動かしがたい事実であり、同時に現代においても引き継がれてゆくべき課題でもあります。

 しかし、そうした歴史の継承という課題には、時として「被害者からの告発と加害者の謝)罪」という図式が固定化されて、出口の見えない関係が続いていくという問題をも孕んでいることを認識せねばなりません。すなわち、どのような場合であれ、歴史的事実には謙虚に向き合いつつ、被害と加害の関係を冷静に分析することで、本当に告発されるべきは誰かを見定めることが大切です。

 ナヌムの家のハルモニたちは毎週水曜日、ナヌムの家から一時間以上かけて、ソウル中心部の日本大使館までデモの為に出掛けます。デモでは、日本国がハルモニ達を戦時下における人道に反する罪の被害者と認め、正式に謝罪し、補償すべきと主張します。

 彼女たちはこのように、日本政府に対してはその怠慢を厳しく告発しますが、それはナヌムの家を訪れる私たちをも告発しようという意味ではありません。「腹の中では・・・」と言われれば、それは分かりかねます。でも、たまたまナヌムの家を訪れていた私たちに対し、裴春姫ハルモニは水曜日デモから帰ってくるなり、「泊まっていきなさい」と暖かい言葉をかけてくれました。

 ナヌムの家のハルモニたちの行動に被害と加害、差別と被差別の、越えられないように見える壁を越えて行く智慧が光っているのです。

 同和問題の解決を主張する中で、差別と被差別を強調する宗門基幹運動も、このハルモニたちの智慧に学ぶことは多いのではないでしょうか。

 韓国では今、「ベトナム戦争における良民虐殺加害者としての韓国民」というテーマに向き合おうとする動きがあります。もちろん、自らの加害の歴史と向き合う動きには、日本のそれと同様の、或いはそれ以上の困難さが待ち構えていることでしょう。しかし、その姿勢にはハルモニの智慧と通づるものを感じます。

 加害と被害、差別と被差別というのも実は相対的な関係の中にあるといえるのです。

 教団が続けてきた基幹運動では、「事件」のたびに差別と被差別を認定し、差別者が被差別者に謝罪し、自分が差別者であると自己認定することを一方的に求められることが続いてきました。

 私たちの生活と、その中で惹起する出来事において、加害と被害、差別と被差別を認定することは容易ではありません。私たちはしばしば、加害者であると同時に被害者であり、差別的であると同時に被差別的であったりするのです。その事実をていねいに分析して、差別を克服していく道筋を明らかにすることが必要なのです。

 部落問題に則していうならば、問題の解決とはつまり、部落差別そのものを克服していくことであって、差別者を槍玉に挙げることが目的ではないのです。ところが、実際はどうかというと、教団においては部落差別を克服し、人権がまっとうに認められる社会を創ろうという努力からは外れ、差別者(差別発言をした者)捜しと、その人間の糾弾、人格の否定に異常なエネルギーを費やしてきました。いうまでもなく、そのような方法をとり続ける限り、部落問題の解決に向かうどころか、逆に新たな人権破壊、蹂躙を引き起こし、かえって事態を悪化させるという事さえ起きてきたのでした。

 ここには、人間を加害・被害に二分して告発し謝罪させるという、単純な図式化があります。時には、その図式が宗門の政争の具として利用されるという事態にまで至っています。私たちは、今こそハルモニたちの智慧に学び、袋小路を抜け出す努力を始めることが必要です。

 とまれ、私自身は人を傷つけることに鈍感であります。だからこそ、相互に人権を尊重しあうことを大切にしなくては、手を取り合うことも難しいのです。

 念仏申す者は人皆共に生きてゆくことを願いとしている筈です。「差別者」と言われることを恐れて沈黙する精神の貧しさを克服し、同和問題を、基幹運動を自由に語り合うことから始めてみませんか。

 藤岡崇信さんは、深き精神において行動される念仏者であり、新しい基幹運動のあり方を求めて、私たちと思いを共に深めてきた方であります。

 藤岡さんは袋小路の基幹運動を越え、差別と本当にたたかう精神を自覚出来る真宗者として歩み出すことを訴えて来られました。今、宗門に、そして私たち真宗者に求められるのは、事実を事実として謙虚に見つめ、本来告発されるべきは何なのかを冷静に見極める智慧であり、解決へ向けて共に歩もうとする姿勢でありましょう。

 今般の宗会議員選挙にあたり、藤岡さんの当選を願い、多くの方々のご支援を心から訴えるものであります。

放送禁止歌

放送禁止歌

  • 作者: 森 達也
  • 出版社/メーカー: 知恵の森
  • 発売日: 2003/06/06
  • メディア: 文庫


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真宗信心の内実を問う―口業と意業と―  大谷派明願寺住職 久保山教善 [2001年4月1日号(第63号)]


「めでたさも ほとんどない『がしかし』の春」
「鬼さんが痛そう かわいそう というような子に 育ててみませんか?」
「身勝手な 幸福追求 日常不毛」
 以上の三つは自坊道路に面した掲示板の、今年に入ってからの言葉である。掲示伝道法語とは呼べない代物だが、一応自前、オリジナルである。あえて註釈すれば、1月は一茶への返句、2月は節分行事する仏教寺院への批判、現在(3月)も同種の類である。亡き母から壁新聞と酷評されていたが、「変っている」「おもしろい」と読んで下さい、定例の学習会に夫婦で、更には友人を誘って参加なさるお西の若手僧侶の来寺のきっかけになったことは、私を勇気づけている。

東西の壁は乗りこえれぬか?
 3年前の蓮如500回法要も終わってみれば「バラバラでいっしょ(東のテーマ)」に行えなったし、このままでは10年後の宗祖750回御遠忌も、東西本願寺別々に勤修されるであろうことは目に見えている。親鸞に背き、手垢まみれにしてきた世俗の教団には、もはや自浄作用は不可能だろうか?
 1989年11月から始まったベルリンの壁解体は、遂に政治体制・思想の壁をもぶち壊し、民族の悲願・東西ドイツの統一を成しとげた。昨、2000年6月には、南北朝鮮のトップ会議が実現、ここでも〝統一〟への曙光がきざしてきた。
 なのに何故、宗祖も、所依の経典等も一緒でありながら、東西本願寺は一つになれないのか?人為的に分断されたものは人為的に修復できると考えるのが、単なるたわごととお思いだろうか?以下、私の気付いた範囲での真宗教団の現状・問題点を提起する。東の一員だが、西の藤岡師とは基本的に見解が同一であると確信している。

真俗二諦のナレの果て(口先だけの御安心)
 1968年に始まった部落解放同盟による、難波別院輪番の差別事件糾弾以来、教団当局は「同和と靖国は避けて通れない問題」といい続けてきた。そういいながら見事に避けて通っている。精神主義を信奉し「自己とはなんぞや、を明らかにするのが信心で、同和・靖国等やってる暇はない」とまでいいきった元宗務総長も、差別発言で糾弾されることとなる。事はトップ個人の問題でなく、官僚や議員たちの体質、ひいては彼等を結果として認め支えている我等教団人全体の「機の深信を欠いた生きざま」そのものにあるのだろう。在野の運動体からの糾弾に対してはこの上なく謙虚で、我等教団内ならの告発等には耳を傾けようとしない。そのような使い分け・お上的有り様こそが差別的なのだ。
 戦争・靖国、原発・環境等の問題(人間そのものが地上から抹殺されていく危機)を危機と感じない鈍感さの一方で、こうした問題こそ人間の罪業の具体的相であり、信心そのものの課題だと取り組む教団内少数者(反靖国連帯会議や真宗遺族会等)に対しては、敏感に敵意すらムキ出しにする。即ちそうした問題をどこまでも外に覩て、やれ政治問題だの社会問題だのといいつつ、仏法=内観の道という極めて単純な二元論的図式に観念的に固執していく。「身の方が正直」であること「ボーズはポーズだけ」ということは、とっくに門徒大衆の看破する所だが、懲りない面々は自公保与党の代議士よろしく、選挙前になると立派(そうな)コーヤクを口にする。
 私はかねて、選挙そのものが浄土真宗の宗風になじむのか?という疑問を抱いている。藤岡師はおそらく娑婆以下の態で争われてきた(であろう)選挙の様をじかに体験しながら、あえて教団内の〝心ある〟人々の目覚めと勇気を待ってあるのだろう。

地縁・血縁も脱け出れず
 私も数年前、宗会議員選挙で義弟の側に立たないという苦渋の選択をした。〝しこり〟みたいなものは未だに当然のこととしてある。しかし、それ以上に得たものは大きい。善鸞義絶の意味が少しは読みとれるようになったし、日頃「仏縁・法縁の尊さ、重さ」を口にしながら、イザ選挙ともなれば〝しがらみ〟から一歩も出れない欺瞞・自己矛盾は少なくとも超えられたと思う。
 最後に一言!親鸞聖人を宗祖と仰ぐなら、せめて一度位は「主上臣下、法に背き義に違し、忿りを成し怨みを結ぶ。」という言葉を、実際に声に出してみることだ。それも地元・自坊で。そのことがいかに勇気のいることかを実感できる近道であり、同時に藤岡師のこれまでの地道な御苦労の意味を領解できる手だてでもあろう。

終わりなき歩みを共に―親鸞の生涯に学ぶ

終わりなき歩みを共に―親鸞の生涯に学ぶ

  • 作者: 和田 稠
  • 出版社/メーカー: 樹心社
  • 発売日: 1994/11
  • メディア: 単行本


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編集後記 [2001年4月1日号(第63号)]

◎拙寺の彼岸会で「日曜日はここが投票所になるので…」と話すと「お寺がこの時期選挙ですか」と世話人が驚いた。
◎春彼岸、忙しい人ほど、こころを静めて仏参し、聴聞に努めましょう…と勧めるがわが、俗事の最たる選挙に振り回されないようにしたい。
◎もちろん、四候補とも法要にもご出講されたり、坊守さまとしてご自坊の法要を支えられたり、二利ご双行のお彼岸とうかがっている。
◎先日の立会い演説会、二十分は意外と長く、候補者の個性もよくでていた。ただ聴衆の少なさは…「ソフトボールの時にすっとよかタイ」と冗談も出たが、若手の少なさに憤慨される方もおられたようだ。
◎殿平・久保山両師はおかしいと思ったことに「おかしい」と声を上げ、行動されてきた方である。あたりまえのことなのに、なかなかできない。ことに因っては、ひとり矢面に立つことになるからである。
◎編集人としては、藤岡さんへのエールの部分は読み飛ばしても、両師のメッセージは受け止めていただきたいと思う。即ち「若い人よ、ものを言おう。白髪あたま一人、いつまでも立たせておくな。多くが立てば、ひとり矢面に立つことはない」


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