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「追悼されざる犠牲―札幌別院朝鮮人犠牲者遺骨問題―  北海道教区 一乗寺住職 殿平善彦 [2003年1月1日号(第70号)]

「天皇の兵士たち、水兵たちがひきおこした何百万の死については、単に数字としてではなく、ひとりひとりの人間としては、まだ想像できなかった。日本人以外の死者には顔がないままだった。その中に見知った姿がなかったからである。」(ジョン・ダワー『敗北を抱きしめて』)

 本願寺札幌別院の納骨堂に朝鮮人の遺骨が残されているらしいという密かな噂は、ずいぶん前からあった。しかし、そのことが札幌別院にとって、或はその噂を知る個々人にとって何を意味しているのかを感じるものは皆無であった。

 北海道教区基幹運動推進委員会の一部のメンバーによって調査がはじまったのは、1999年末。その調査の過程で驚くべき事実が判明していった。

 100名以上の氏名が記された犠牲者名簿とともに、名簿に相当すると思われる遺骨が別院内で見つかった。遺骨を預けたのは札幌別院の有力檀家である地崎組(現・地崎工業株式会社)と、それに関係する業者であり、一時預かりの名目であったのが、そのまま放置され、反世紀以上が経過していたのである。

 名簿には遺骨の氏名、死亡年月日、本籍、所属企業又は業者名、一部には年齢などが記載されており、名簿から、それら遺骨が戦時下の強制労働による朝鮮人犠牲者のものであることが推測された。

 しかし、朝鮮人犠牲者の遺骨は、既に二度にわたる合葬の措置によって、他の遺骨と分かち難い状況にあった。

 職員の証言から、合葬された遺骨もかっては名簿にあるとおり個別に木箱に分けられて安置されていた。1984年には別院の手で、1997年には別院と業者との合意による合葬の際に遺骨の木箱も廃棄されたため、遺骨の個別性は失われてしまっていた。

 「合葬」とは一般に、他のお骨と混合して一ヶ所に安置するという、納骨の最終的手段を意味する。遺骨が全く身元不明である場合を除いて、合葬は遺族の合意があってはじめてとらるべき手段であり、遺骨を預かっている側(業者も含まれる)が遺族に無断で、一方的に実施できるものではない。

 現に、札幌別院に安置されてきた遺骨には対応する名簿があり、遺族が特定される可能性は充分にある。

 だが、名簿の本籍住所を尋ねれば遺族を発見することは容易だと考えるのは、恐らく調査が進行した今だからこそ言い得ることなのかもしれない。遺骨が預けられた経緯からすれば、別院はあくまで業者から預かったのであり、朝鮮半島に居住する遺族を捜しだすなど想像すらしなかっただろう。遺骨自体は別院の責任において納骨壇に納められ、毎朝読経もされてきた。

 しかし、それらの宗教的儀礼も、「合葬」という行為によって、すべて消し飛んでしまったかに見える。

 「合葬」に至った経緯、その真相は今も不明な点が多い。真相の解明は行われるべきだ。

 とまれ、今は、朝鮮人遺骨問題を自己に引きつけて考えてみよう。発見された名簿には、ひとつひとつの命であり、人として生きた個人が記録されている。しかし、戦時下の日本人には、強制連行された朝鮮人の、死に至ったその人の悲しみに心寄せることは不可能だった。その人の妻が、子が、家族があり、忘れがたい友があったことを想像することは日本人には不可能だった。

 35年間植民地として支配し、同化政策の中で相手を支配してきた日本人にとって、朝鮮人に家族があることなど、想像の外だったのだ。

 「大東亜」「五族協和」を僭称し、自らをアジアの指導民族であると称し、朝鮮人や中国人を劣等な民族とみなすことを日常の意識にしたからこそ、十五年間の戦争を戦いえたのであり、敗北して、なおその意識に変化を加えねばならぬ特別な努力など戦後57年間にしてこなかった。

 つまり今日まで、かっての15年間の戦争に対して、あの戦争は何であり、私たち日本人にとって何が根本的な問題だったのかを考えることをしてこなかった。政府も国民もちゃんと公式にそれを克服しようとはしてこなかった。「靖国問題」の本質はここにある。

 札幌別院に残る百体を超える朝鮮人の骨は生々しくその答えを求めている。考えられなかったのなら今からでも良い。百体を超える朝鮮人の骨を前に深刻に考え始めろと要求している。

 「従軍慰安婦」問題が日本の中で公然と問題にされたのはようやく90年代に至ってからだった。強制連行に関してはこれから私たちの課題にできるか否かが問われている。しかし今私たちは「拉致問題」をめぐる「大合唱」のなかで課題とすべき強制連行を後景に追いやっている。

 「国立追悼施設」どころではない。目の前の犠牲、57年間追悼されざる犠牲にどう応えるのか。この追求から身をそらしていては私たちの教団は戦時教学から少しも抜け出られずにいることを証明することになるのではないか。現代におけるラジカルなテーマに、私たちは、教団は直面している。

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発刊70号に寄せて  「こだま」編集局 [2003年1月1日号(第70号)]

     『こだま』の歩み
 1985年(昭和60)年11月13日に創刊された本紙『こだま』は、本号をもって70号を迎えることとなりました。足掛け18年の間、年四回の刊行を欠けることなく継続できましたことは、原稿をお寄せ下さった方々はもとより、本紙の趣旨に賛同して支援して下さった多くの方々のお力添えによるものであり、ここに改めて深甚の謝意を表したいと思います。本当に、有難うございました。

 本紙の創刊は、藤岡崇信・現宗会議員の立候補に端を発したものでありましたが、その後は単なる選挙運動にとどまることなく、宗門の現状に対する多くの方々の意見表明の場となり、また、それに対する応答が響きあい、大きな“こだま”となることを願って発刊を続けてまいりました。

 教区内はもとより全国から、また宗門内にとどまらず、神道やキリスト教の方々からも原稿が寄せられ、宗政や教学の問題のみならず、布教の現場や寺院の活動についての実践報告などが寄せられたことは、編集に携わる私どもにとって大きな喜びとなりました。

 創刊号より第15号までは、原稿を手書きしてプリントするという、文字通りの手作業でしたが、16号以降はパソコンを使っての紙面となり、時代の移りを感じさせます。とはいえ、教区内の全寺院と賛同者に郵送する作業は結局手作業によるほかはなく、終了が深夜に及ぶことも度々でしたが、多くの方々のご協力を得て、それもまた楽しい時間でありました。

    こだま文庫
 また、こだま編集局では、本紙の発刊に加えて、より多くの方々にご縁を広げたいとの思いから、門信徒に配布する施本を作成し、ご希望の寺院におわけするという活動を続けてまいりました。その内容は以下の通りです。

第一号『信じること疑うこと』小山一行・著
第二号『いのち輝け──初参式に寄せて』藤岡崇信・著
第三号『大悲の宗教――裁かざる如来』禿浩道・著
第四号『生死を見つめて』島北皎誓・著
第五号『法城を問う 法灯を見つめて 法味をよろこぶ』(は「こだま」三十号を記念して、今日までの原稿の中より抜粋)
第六号『久遠のいのち』小山一行・著
第七号『普通人の佛教』外海卓也・著

たくさんの寺院からお申し込みがあり、一部百円でおわけして、伝道のお役にたてればと願ったことでした。

    こだま公開講座
 さらに編集局では、現代の宗門が抱える様々な問題を取り上げ、広く一般の方々と共に考える場を持ちたいとの思いから、熊本別院を会場として公開講座を開催してまいりました。講座の内容、及び御講師は次のような方々でした。

1990年「大嘗祭を考える」細見神社宮司・遠藤道丸先生
91年「現代における仏教の可能性」明治学院大学教授・阿満利麿先生
92年「念仏者の菩提心」九州大谷短大教授・宮城 先生
93年「日本的原理と親鸞思想」龍谷大学学長(当時)・信樂峻麿先生
94年「普遍宗教としての浄土真宗―国家主義、現世主義を超える道」明治学院大学教授・阿満利麿先生
95年「浄土真宗の平和学――本願文に学ぶ」同朋大学教授・尾畑文正先生
96年「老病死を超える道」東国東広域病院院長・田畑正久先生
97年「真宗に未来はあるか」筑紫女学園大学教授・小山一行先生
98年「いま真宗をどう捉えるか」龍谷大学元学長・信樂峻麿先生
99年「浄土真宗の戦争責任――歴史に学ぶ真宗者の未来」西山短期大学助教授・菱木政晴先生

2000年「真宗の過去と未来と―『神の国』・『神道真宗の狭間の中で』龍谷大学教授・福島寛隆先生
01年「真宗の今日と明日を問う――宗教の『倒錯』と『軽視』の世情に」明治学院大学教授・阿満利麿先生

 毎回100人前後の参加者があり、共に浄土真宗の現在と未来を考える機会を得られましたことを慶んでおります。

    未来に向かって
 18年の歩みを振り返ってみますと、その間には宗門の内外において、昭和天皇の死去、蓮如上人五百回遠忌法要、オウム真理教事件、前門様のご往生等、様々の事がありました。私たちのささやかな試みは、それなりの問題提起として意味があったと自負してはおりますが、浄土真宗をめぐる状況は、相変わらずの課題を抱えているように思われてなりません。

  「ごまめの歯ぎしり」であったとしても“継続は力なり”と信じて、これからも活動を続けてまいりますので、どうか変わらぬご支援をお願い申し上げます。


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編集後記 [2003年1月1日号(第70号)]

◎連日、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)による拉致問題に報道が偏るあまり、かってわが国が行った「強制連行」や「従軍慰安婦」等の問題は、その過酷な状況や何十万人とも言われる人への加害の過去は消え失せたかの如き今日の世論である。

◎五十年以上も過去のことだと葬り去るでもなく、また単なる自虐史観でもなく、「連れ去られた人の痛み」が、身近に感じられる今日こそ、人間の対立の残酷さを深く噛みしめ、今後の糧とすべきであると思う。

◎拉致問題報道の最中、インターネットで札幌別院朝鮮人遺骨問題を知った。まさに身近に警鐘が打ち鳴らされている感がしてならない。

◎自らの実行を通して真宗者への提言を続けておられる殿平師に、地元の問題として原稿をいただいた。

◎「こだま」は70号を数えることになった。

◎15号までは全て小山一行氏の手書きの「こだま」であった。「18年もよく続いたものだ」と言われるが、そう簡単に止めることのできない問題を抱いて出発し、その思いが今も継続しているというべきであろうか。

◎それにしても皆様のご援助の賜です。今後もまたご支援ご教導を宜しくお願い申し上げます。
(崇信)


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