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小林先生に教えられて  外海卓也 [1999年10月1日(57号)]

 昨年の七月二十日ごろ、小林病院の葉山先生より連絡があった。

 「前院長の小林麟也先生が末期ガンで、本人も自覚されています。先生に若いお坊さん達と会って話されたらどうですかというと承諾されました。ぜひ、会いに行ってくれませんか」

 この申し出に対して、凡夫会(緑陽組若手僧侶)で話し合い、訪ねることになった。

 次の日の夜八時、小林先生の所属寺である光徳寺の住職、合志啓也さんと私は自宅を訪問した。真夏の暑い夜だったが、なぜか冷ややかで、闇が濃く感じられた。

 死を自覚した人にどう会ったらいいのだろうか、心のなかに重いものを抱え訪ねていった。

 明るい部屋に通されると、小林先生がイスに座って待っておられた。その印象は予想とまったく違っていた。以前より痩せておられたが、快活な笑顔で迎えられて、気持ちが軽くなった。いま思えば、末期ガンの人もいま生きていることにおいて、元気で死を自覚しない者となにも変わりはないのだった。

 その日、一時間ほどいたが、そのほとんど小林先生が話をされ、私たちは聞き役にまわった。

 「お見舞いにきた人たちに『わしのいのちは後二ヶ月です』というと、みんな『そがんこと言わずに長生きして下さい』と励まさるっとです」

 小林先生は初めにこう話された。私たちにはもっと別のものを求めているということだったのだろうか。

 「ガンで死ぬともよかことですよ。人生の整理、後始末ができました」先生は具体的な例をあげて語られた。そして、部屋の隅にいた子犬をさして「わしがおらんようになっても家内が淋しくなかごつ新しく飼いました」といわれた。

 「死ぬということは、木の葉が秋になると枯れて散っていくようなもんです。大地と一つになってそれが養分となって新しい葉を繁らせる。自分が死んでも子・孫といのちが流れていく。死ぬということは自然なことです」

 道教の話をしながら死生観を話された。しかしまた、次のようにも話された。

 「入院している年寄りには、死んだらお浄土にいくから死後のことは心配せんでもよかといっています。死んだ後なんもなかと淋しかですもんな」


 この後、凡夫会のメンバー、五・六人で一週間おきに二度訪ねた。そのときのことはなぜか散漫とした記憶しかない。最初と違って緊張しなかったからだろうか。

 小林先生の人柄は「戦後台湾から引き揚げてくる船のなかで、腹を空かせた子供に自分の食べ物をやって結核になった」と語られたエピソードにあらわれている。他人の世話をするのが好きで、末期ガンとなっても変わらなかった。

 私たちとの話のなかで、寺院が現代のニーズに応えられずにいることを心配して下さった。死を前にして、他人のことを思いやれる人は死の恐怖が少ないといわれていることに当てはまるようだった。

 九月十九日の夜、小林先生が入院されたことを聞き、凡夫会のメンバーで訪ねていった。前よりいっそう痩せて弱っておられ、「もう起きるのもつらくなった」と話された。しかし、落ち着いておられ、話す活力は衰えていなかった。小林先生はたんたんと語られ、私は数日後に亡くなられるという気はしなかった。

 別れるときに、小林先生は自ら手を差し出してこられた。これがもう最後だという思いがあったのだろう。しかし、私には「これが最後なんだ」という実感はなかった。

 小林先生を訪問した後、いつも不完全燃焼のような感覚が残った。それは「教えを伝えることが仕事なんだ」という教化者意識のせいだったようだ。しかも死にゆく人に対したとき、教えの知識がなんの役に立たないことを知らされた。

 また、末期ガンの人は深刻な悩みを抱え、暗い顔をしているという思いこみを持っていた。ある末期ガン患者は「私たちの大きな問題は、有限ないのちと知らされて人生の終わりをどう意味あるものとして生きていくかということです」と語っている。死後のことも現在の死を含んだ人生をどう受けとるのかという悩みにおいて問題となる。

 小林先生を訪ねたなかで見えてきたのは、私たちの足もとのことだった。末期ガン患者に対するビハーラ活動は、死を含んだ生をどう私が生きているのかということが基礎となる。また、ビハーラは遠いことのように考えていたが、ガン患者の家族、遺族とは法務などで日常的に接している。そのことになんの自覚も方法もないままだった。これからそこにどう関わっていくのか、ビハーラはすでに始まっているのだった。



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自治会の「政教癒着」に抗して(2) 藤岡崇信 [1999年10月1日(57号)]

 しかし、「この機会に『自治会長即神社総代』という慣習を終わらせる」というその具体化への二人の対応は各々異なっておりました。

 Iさんは、先ず年度始めの地区総会の場で今までの慣習が間違っていたことを皆に説明し納得してもらう。そして神社総代には、自治会長とは別の人を選定し、私の時に今後の地区運営のあるべきレールを作り上げておく。

 一方Kさんは、お札の配付依頼や寄附徴収の依頼があっても無視し、神社から催促があった時に、直接神主に「私は自治会長を受けただけで、神社の総代を受けたわけではない。お宮の世話役はそちらで適当な人を選任してほしい」と伝えたいという対処の仕方でした。

 地元ではもうすっかり定着しているこの慣習、それを充分知り尽くしている二人が、近隣・知人達からの批判を承知の上で、それにメスを入れようというのです。当然この結論に至るまでにはそれぞれの心中では大きな葛藤があったことでありましょうが、考えあぐねた末の対応をこのように話されたのでした。

 仏壮会員も各々の立場で二人に出来るだけの支援をしようということになりました。

 私も当然取り組むべきことと思っていた永年の懸案問題でもありましたので、まず二人が自治会長に就任するまでに、私が実行しておくべきことの一つとして、これらの事柄を明文化して熊本市長に届ける作業にとりかかりました。

    要 望 書   熊本市長 三角保之様  日頃は私たち市民の平安な生活のためにご精励いただいておりますことに深く感謝申し上げます。  さて、本日要望書を認めましたのは、市政執行上において、憲法の定める信教の自由の立場より政教分離のお願いであります。  去る二月四日の『熊本日日新聞』紙で「熊本市は信仰の自由に配慮し、自治会費の徴収を神社管理費などと明確に区別するよう各自治会に助言する方針を固めた」との記事を目にしましたが、全くその通りであります。日頃私が憂慮しておりました問題点を、市ご当局が取り上げていただきましたことに感謝申し上げますと同時に、この機会に、憲法に謳われている「信教の自由・政教分離」の規定を更に徹底していただきたいと思います。  明治初年以来のわが国の強力な国家神道政策は、今も人々のこころの根底にあり、「神道超宗教」の意識や、宗教に対しては「曖昧さこそ良し」とする風潮も強固であり、一方宗教者側もまたその意識に便乗して、安易な宗教法人運営を続けようという意図があるようです。  私の住む旧天明地区では、部落の神社の祭りの費用を「祈祷料」として自治会費の中に含めて徴収しているところ、また毎年春秋に「回向袋」なるものを配付し、古刹の維持費を自治会長が徴収するところもあります。  また、この自治会長の宗教法人への援助行為(世話役)は当神社や寺院が依頼しているのではなく、自治会長の交代時に自動的に引き継がれる習慣になっているというのです。  これはほんの一事実に過ぎません。また中傷や村八分を恐れて、その非を言いだせない人は多いと言われています。  年度替わりの時期にあたり、新自治会長が就任される地区もありますが、市ご当局主催による会合や連絡の機会がありましたら、どうか信教の自由・政教分離の憲法の理念厳守をご指導、ご助言いただきますようお願いいたします。            合 掌    平成十一年三月三十日   熊本市奥古閑町一七二九番地   浄土真宗真行寺住職 藤岡崇信


 私はこの願いが広く社会に伝ってくれかしとの熱い思いを要望書に託したのでした。〔託麻組・真行寺住職〕



信教の自由と政教分離

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  • 作者: 日本カトリック司教協議会社会司教委員会
  • 出版社/メーカー: カトリック中央協議会
  • 発売日: 2007/03/26
  • メディア: 単行本



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編集後記 [1999年10月1日(57号)]

○台風被害のお見舞い申し上げます。

○「聖戦イデオロギーの発信者は、近代日本の宗教界であった。すなわち、侵略のすてごまにされたものの悲しみを共有することなく、これを残酷にも英霊などとして顕彰することを軸とする宗教活動である。
それは、侵略されたもののそれに倍する悲しみに対する無視を生み、戦後の宗教的荒廃を決定的にした」

○今回のこだま公開講演会の講師・菱木師のこの言葉は、まじめに論議することなく「日の丸・君が代」を国旗・国歌として制定させてしまい、また靖国神社特殊法人化にも無関心を装い、行動を起こそうとしない私達に重く問いかけています。
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