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弁護士として「正義」に思うこと   はみんぐ法律事務所 阿部広美 [2016年4月1日(第123号)]

2005年10月3日、私は熊本県弁護士会に登録し、弁護士業務を開始しました。当時38歳でした。最も若い同期の弁護士は二十三歳でしたので、かなり遅咲きだったと思います。

大学を卒業し、弁護士になるまで、いろいろなことをしてきました。生命保険会社に就職し、女性総合職として転居を伴う異動もしましたし、長時間労働や職場での女性差別なども経験しました。妊娠し、切迫流産したことから退職し、専業主婦も経験しました。

そして、離婚し、二人の幼い娘を抱えるシングルマザーになりました。そこからが私の司法試験へのチャレンジの始まりでした。在宅で、憲法、民法、刑法と勉強を進めていくうちに、法律が何のために作られ、どのような利害を調整するものなのかを学ぶことができました。その中で得られた価値観が今も私の仕事や生き方の中に生かされています。三度目のチャレンジで司法試験に合格し、念願の弁護士になりました。

熊本市に住むようになり、地縁も血縁もない熊本の地でちゃんと仕事が来るのだろうかと心配しましたが、当時は熊本で8番目の女性弁護士という珍しさもあり、離婚事件など女性が当事者になる事件をはじめ、様々な依頼を受けることができました。

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今思えば、弁護士になり立ての頃の仕事は、どこか荒削りなところと、身勝手な正義感を克服できていなかったように思えます。私たちが相談を受けたり、依頼を受けるお客様は何らかのトラブルを抱えており、その中には自らの無知や軽率な行為が招いたトラブルと思えるものも相当程度見受けられます。
そのような相談に立ち会った際、ともすれば相手の窮状に寄り添えないこともあります。

しかし、人は完全な存在でなく、時に不合理な行為をすること、他者からは不合理と見える行動であっても、そのときのその人の立場ではあながち不合理とは言えない場合があることを、数々の当事者の方からのお話しで学び、私自身の考えも徐々に変わっていきました。

今の私の弁護士としての信条は、当事者のお話を私自身の価値観で聞かないということです。その方が置かれた状況、場合によってはこれまでの生きてこられた過程を全て無視し、私自身のものさしでその方の行為を判断することは害でしかありません。

他者の痛みに寄り添うためには、まず謙虚であること、そして他者の痛みを自分のことのように感じる想像力が必要です。私はずっと、自分自身に謙虚さと想像力が欠けていないかを自問自答しながら弁護士の仕事を続けてきました。

もう一つ、弁護士の仕事は、正義と向き合う仕事だと思っています。常に自分にとっての正義、そして当事者にとっての正義が何かを謙虚に見つめることが必要だと考えています。憲法を学んだ際、全ての価値は相対的であると学びました。絶対的な正義はないのだと。

実際に弁護士の仕事をしてみて、判決で勝てることもあれば負けることもあります。絶対に自分のお客様の方に正義があると思えても、判決では負けることもあります。裁判は証拠が全てだから仕方がないとも言えますが、私が正義だと信じることと裁判官が正義だと信じることが違うということもあります。裁判での勝ち負けが絶対的正義を反映しているというわけではないのです。それでも裁判の結果に私たちは従わなければなりません。私たちは、「正義」に従うのではなく、「正義らしさ」に従うのです。

そして、その「正義らしさ」を支えているのが「手続き」の適正さなのです。

たとえ結論が自分にとって正義でなくても、正当な手続きを踏んで下された判決だから従わなければならないのです。なので、私たち法律家は「手続きの適正さ」を何よりも重視します。これを欠けば、相対的でしかない「正義」に根拠がなくなるからです。

私たちは、ともすれば絶対的な正義を求め、面倒くさい手続きを軽視してしまいます。

民主主義の過程においても、このようなことが行われるようになっていないでしょうか。反対意見には耳も貸さず、きちんとした説明もせず、議論を強制的に打ち切って多数決で押し切る、そんなことが昨年の安保法制を審議する国会で起こりました。

このような手続き軽視のあり方は、「正義」の押しつけとなる危険性を大いに孕んでいます。私たちは今一度「正義」が相対的であることを認識し、謙虚に手続きを踏んでいくということの重要さを確認しなければなりません。
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ミャンマー旅行記「なぜ?」「仏教徒ですから」  託麻組 専念寺住職 甲斐晃裕 [2016年4月1日(第123号)]

【敬虔な仏教徒】
仏塔の都バガン、夕食を終え、ガタガタ道をバスで帰っていると、闇の中からぬっと前を塞ぐようにトラックが現われました。荷台に人が溢れ、子どもの姿も見えます、転がり落ちないようにロープが二重に回してありました。ミャンマーは学校が3か月の夏休みに入ったばかり、数家族で巡礼に向かう人たちでした。有名な寺院やパゴダ(仏塔)で、僧院に泊まりながら巡礼する多くの家族を見ました。寺院やパゴダに参拝するときは、靴下も脱いで裸足になります、跪いて合掌し深く三度の礼拝、その後横座りの姿勢で祈りささげます。子どもや若者の礼拝の姿は大変美しいものでした。

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【一大儀式の得度式】
古都マンダレーで美しく着飾った一団を見ました。「結婚式?」「いいえ、得度式です。これから多くなります」7歳から15歳までに殆どの男児が得度式を受けるのです。お釈迦さまに習い、皇子の格好で侍者を従え町中を回り、それから高僧のもとで剃髪得度して、一週間ほど僧侶の生活を送ります。祝宴もあり大儀式になるので、結婚すると得度式のための資金を貯めるのだそうです。お金のない家には、親戚や村人が寄付を集めて費用を出すといいます。20歳過ぎに、もう一度剃髪入門するのが一般的で、その中で発心した者だけが残り、僧侶の道を歩むことになります。

女性には尼僧院が別にあり、剃髪得度は同じです。男性の赤茶の僧衣ではなくピンクの美しい僧衣でした。4月8日には多くの女性(外国人も可)が剃髪して短期入門するので、尼僧院が一杯になるそうです。

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【旅の恥】
旅の楽しみの一つ・・ミャンマー産のビールにワイン、ラム酒も頂きましたが、旅行者用でした。酒好きの性で、現地の人は何を飲んでいるのか気になります、インドと同じくヤシ酒だろうか?尋ねてみると「中には飲む人もいますが、ほとんどお酒はのみません」「えっ、なぜ?」「仏教徒ですから」二の句が継げない・・僧侶のように二二七の戒律は守れなくても、五戒は守るのがミャンマー仏教徒の生活の基本なのでした。

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【信頼と信仰】
ミャンマーを走っている車はほとんどが日本の中古車(熊本バス!が走ってた)でした。壊れにくいということで、家電も日本製が人気だそうです。対日感情は良く、ミャンマーでは日本製品への信頼がそのまま日本・日本人に対する評価となっているようでした。蛇足ですが長い国境線を共有するインド・中国・タイの評判はよくなく、隣国と仲良くできないところは似ていますね。

人々は、早朝の托鉢、二二七の戒律を厳密に守りながら、パーリー語の経典を学び、瞑想を繰り返す僧侶の生活、生き方(どれほど困難なことか経験している)を心底から敬っています。多くの僧侶の生活を支えていくのは大変なことですが、教えを守り、学び、修行する「僧」が自分の身近にいることを大切に思っているのです。僧たちの生活を支えながら、僧(身近な理想)[→]法(僧の生き方の指針)[→]仏(法の源泉)という方向で仏陀に対する信仰、帰依が伝承されているのだと感じました。彼らが日常使っている日本製品に対する信頼が、そのまま日本・日本人に対する信頼に繋がっているということと、身近な存在の僧侶の生活、生き方に対する敬意が仏法、仏陀に対する信仰を深めているという形が重なって見えます。教法に生きる人「僧」に対する信頼こそがミャンマー仏教徒の信仰の基盤なのだと感じました。(こだま編集部員)

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編集後記 [2016年4月1日(第123号)]

○昨年12月8日に開催された「東アジア太平洋戦争開戦の日 シンポジウム」でご一緒した阿部広美先生。市民運動の場ではあまり語られることのない「自らの不完全さ自覚することの大切さ」について発言されました。その先生の思いの深さに共感し、原稿を依頼しました。

○敬虔な仏教徒が集う国としての一面を持ちながら、同時に軍事政権の国でもあるミャンマー。三月末には「最優先の責務は和平の実現だ」と明言したアウンサンスーチー党首が政権を発足させます。他国と同じように宗教が紛争の原因となっているこの国で「敬虔」仏教徒がどのように振る舞い、どのような未来を描いているのかも知りたいと思いました。(藤岡崇史)
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