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2009年7月1日(第96号) ブログトップ

韓国歴史研修ツアーに参加して   大松 龍昭 [2009年7月1日(第96号)]

 韓国に「忠清南道」という所があります。そこは熊本県と姉妹関係にあり、いわゆる「教科書問題」(「従軍慰安婦」、「南京虐殺」などの記述削除を求める動き)が浮上して以降、歴史認識を共有しようとする市民同士の相互交流が行われていたようです。

 「非戦・平和を願う宗教者の会」を通じて出会った牧師さんから再三のお誘いがあって、二十三名の方々とともに、私もこの度のこのツアーにご一緒したことでありました。

 私たちの研修の会場となったのは、その忠清南道にある独立記念館でした。そこでの二日間の研修の中、特に私が関心を持っていたのは、「植民地時代の宗教者の役割」という特別講義でした。植民地政策の中で、日本の仏教は、浄土真宗は、どんな役目を果たしていたのか、その点が具体的に学べるだろうと考えていたからです。しかし実際にはそのことについての直接的な言及はあまりなく、主な内容は、国家神道についてであり、またそれに特に抵抗したキリスト教徒の有り様についての講義でした。

 担当講師はまず、「韓国人に最も大きな痛手を負わせた」のは「神社参拝の強要」であったと言われました。なぜなら、国家神道の強要ということは、日本人への「同化」の強要、つまり強制的に天皇の僕とさせられたわけで、それは韓国人としての命の根底を奪い取られることに違いなかったからでしょう。その他の宗教(儒教・仏教・キリスト教)については、日本で行われたそれ以上に、国家神道の下に厳しく統制されたようですが、ただし、キリスト教においては根強い抵抗があったと。例えば、ソウルに朝鮮神社を建立する際、日本からそのご神体を運んできた時、その中途にある諸学校には、外に出て歓迎することを強制されたが、キリスト教系の学校は、これを拒否したと言います。

 ならば、韓国の仏教はどうだったのか、また日本の仏教、そして浄土真宗はどのような役割を果たしたのかと、ご講師に問いました。すると、「韓国の仏教は、その日本の宗教政策の統制下に早い段階で組み込まれてしまった」と。思うに、日本の植民地下以前の韓国仏教は、儒教的な社会体制の中で、著しく社会的地位が低かったと言いますから、そうした背景に起因しているのかも知れません。それはともかく、日本の仏教の場合については、「それは韓国人を対象としたのではなく、在日本人のために機能していたのだ」と言われました。さて、これは一体何を意味しているのでしょう?

 『アジア開教史』(本願寺出版社)も参照しますと、本願寺における韓国布教は、軍隊布教に始まったと言います。それは「戦闘に赴く兵士達に精神的支柱を与える」とともに、「戦地において戦死者の葬儀を行うこと」が主な勤めということです。

 その後、日本からの移住者が増えるのに応じて、各地に寺院・布教所を建て、昭和十五年頃には、百三十ヶ所にも達したと。これらは要するに、まさに「在日本人のために機能していた」ことを表すものです。もっとも、同じく昭和十五年頃には韓国人信徒も約一万人程いたとも言うのです。ただ、これは戦局が進むにつれて、韓国人に対する弾圧が一層強まる中、「護身策」のために「日本の忠僕」となったことを示さざるを得ず、日本仏教寺院に出入るする人が増えただけだ、と指摘されています。このことは、一時これほどの寺院を有しながら、終戦とともにそれは「建物の形骸を残すのみ」となり、また一万人もいたと言われる信徒たちも「雲散霧消」し、そして戦後も「元信徒から浄土真宗の教えを求める動きはなかった」という所に、確かに表れているでしょう。

 つまり、私たちの浄土真宗は、韓国民に対して、本来的な意味での仏教の役目は、ほとんど果たせなかったということです。でも、それは何の役目も果たさなかったというのではありません。その教化活動というのは、キリスト教のそれとは逆に、一貫して「皇国臣民」という立場で、そして「同化政策」、「皇民化政策」を宣布するものでしかなかったわけで、それは要するに、韓国民の命の根底を奪い取る作業を積極的に支援したことに他なりません。したがって結局のところ浄土真宗は、日本の植民地政策を、誠にそして充分に補完・助長する役割を果たしたと言わざるを得ないのです。

 ご承知の通り、仏教は百済からの使者を通じて、この日本に伝わったと言います。そのことを改めて考えますと、今度は私たち日本の仏教徒・真宗者こそが、平和への道筋を求め合い、語り合あえる関係を韓国と築く、その使者的な役割を果たすべきではないかと思います。この度の研修の合間に、韓国のキリスト教徒、仏教徒の方と面談し、近いうちに日本において、平和に関するシンポジウムを開こうという話ができたことは、そういう意味での最初の一歩に成るかもしれません。もっとも、そのためには、まず私たちが自らの歴史性に真摯に向き合い反省し、そして仏教の、真宗の本来性に立ち返っていく営みが必要でしょう。いずれにしても、この度の研修ツアーは、色々と得難いものを得た、大切な場でありました。(種山組・大法寺住職)



戦時教学と浄土真宗―ファシズム下の仏教思想

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  • 出版社/メーカー: 社会評論社
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地名「百済来」の復活  山本隆英 [2009年7月1日(第96号)]

 〇五年八代市の町村合併で、坂本村の小川内(おかわち)と久多良木(きゅうたらぎ)という大字は、八代市坂本町百済来上(くたらぎかみ)と百済来下に変更した。

  百済来村
 一八八九(明二二)年の町村制施行により、小川内、久多良木、田上、鶴喰、川嶽の五ヶ村は合併して葦北郡百済来村となり、一九六一年の町村合併まで続いた。この年、百済来村は葦北郡を離れ、八代郡の上松求麻村と下松求麻村と一緒になり八代郡坂本村となった。百済来中学校が坂本中学校に統廃合される如く、地域から「百済」という地名が消えていくことを惜しみ、平成の合併を機に地域の総意として「百済来」を復活させた。

 村名の由来は『大日本地名辞書』(一九〇七年刊)に「今百済来村と云ふ、久多良木に作る、(中略)土俗相伝へ、百済僧日羅(にちら)の帰葬する所と曰へり。按に本郡に百済来、新羅来の二村名あるは偶然にあらじ、葦北国造阿利斯登(ありしと)の子日羅、百済国に赴き、達率の位(たつそち=官位十六階中二位)を得、(中略)又推古帝の朝に百済の僧道欣、道俗八十余人を率て葦北に入津したり、(中略)百済・新羅の下に来字を付着せしむるは、古語百済人をクタラキ、新羅人をシラキと唱えしに由る」とある。『坂本村史』

 久多良木は百済来の、芦北町の「白木」地区は新羅の音を当てた文字と考えられる。

  聖徳太子の師日羅
 「仏像観て歩き会」のHP「橘寺の日羅立像」(重文―奈良県明日香村)を見ると「この像は日羅の肖像と伝えられるが、橘寺との結びつきは不明である。おそらく聖徳太子が彼に師事したという伝説と、橘寺が太子の創建になるところからうまれたものだろう。像形から見ればむしろ地蔵菩薩と思われる。」

 古墳時代球磨川以南水俣辺りまでは葦北の君が支配し、国造阿利斯登は葦北の王と朝鮮半島の「任那」(みまな=加羅)の王も兼ねており、葦北国造は朝廷軍の中心であり大伴氏の統率下におかれた。

 天皇家の父祖の地である任那(五六二年新羅により滅ぼされた)の復興には日羅の力が必要と考えた敏達(びたつ)天皇は、祖国へ帰国するよう詔を百済に届けた。(EOブログ)時は五八三年聖徳太子が摂政となる十年前である。

 灘波の館に着いた日羅を労うため天皇は大伴糠手小連を派遣し、更に蘇我馬子(太子の従兄)も訪問させた。聖徳太子は女装して日羅に会ったという伝説さえ残っている。日羅は、武力に頼るのではなく、国民生活の安定こそが第一であると説き、次に富国強兵の計を進言した。しかし、日羅が百済を裏切るとの誤解により、百済からの随行役人によって暗殺された。

 亡骸は大阪に埋葬されるが、後に天皇の命により葦北に移葬され妻子も移り住んだ。その地が樹齢千年の大杉が立つ百済来地蔵堂である。本尊は延命地蔵(丈一・六㍍木造坐像)で、日羅が百済から父に贈ったものと伝えられている。(以上『日本書紀』が基礎資料)

  渡来人
 六六〇年、唐と組んだ新羅により滅ぼされた百済と高句麗の政治家・軍人・学者・諸技術者等がたくさん日本へ渡ってきた。この渡来人が鉄製農具、灌漑技術、硬い須恵器、絹織物、漢字、儒教、仏教、律令を伝え、日本の政治・産業・宗教に大きな影響を与えた。政府の公文書管理や外交処理はすべて渡来人によって行なわれ、それは平安時代まで続いた。

  百済はステイタス
 農業から政治や宗教まで、あらゆる事を教えてくれた大先達百済等、朝鮮半島の地名や苗字を冠することはステイタスである。

 百済来という地名が身元調査の対象になったこともある。また、秀吉軍が朝鮮半島から連れ帰った人たちが被差別部落だとの人種起源説が、特に熊本には根強く残る。どれも明治以降捏造された朝鮮蔑視政策の結果だ。侵略と戦争を推進するのに欠かせないのは、敵愾心と差別心を煽ることである。「ともに いのち かがやく 世界へ」では戦争への道は開けない。 今般誇らかに「百済来」を復活させた地区の人たちの心から学びたいものがある。(八代組 西福寺住職)


坂本村史 (1956年)

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「裁判員制度」宗門人としてどう向き合うのか?  尾方尚晃 [2009年7月1日(第96号)]

始まった「裁判員制度」
 「裁判員制度」は二〇〇四年五月二十一日に成立。今年(二〇〇九年)五月二十一日より施行されました。そして今年七月下旬以降には、実際に裁判員が加わる裁判が開始される予定です。
 国民(衆議院議員選挙の有権者)から無作為に選ばれた裁判員が裁判官と共に裁判を行う制度で、その目的は
①国民感覚や常識を裁判に反映させる、
②司法に対する国民の理解を進め信頼向上を図る、とされています。
 適用される事件は、第一審(地方裁判所)における刑事裁判のうち殺人罪、傷害致死罪、強盗致死傷害、放火罪、身代金目的誘拐罪など重大な犯罪とされています。

内容および諸外国との比較
最高裁判所の資料によりますと大体、次表のような内容でした。

裁判員.jpg


  数々の問題点
 この制度では、裁判員に選ばれたら質問票に回答しなければなりません。虚偽の事項を書いたら五十万円以下の罰金または三十万円以下の過料が課せられます。また、呼び出されて正当な理由なく出頭しないものには十万円以下の過料が課せられます。


 要するに、国民に対して裁判に参加し被告を裁くことを強制する制度ということです。
 これほどの強制力のある制度を、国民の周知理解がないまま先行させることは、目的の一つである②司法に対する国民の理解を進め信頼向上を図る、ということに初めから反しています。

制度の詳細については、
○出廷義務(就労、生活における不利益、思想信条の問題)
○守秘義務(死ぬまで) 裁判官は退職後にはこの義務はない
○守秘義務のため制度の問題点が表に出ない
○憲法違反の恐れ(教育、納税、勤労以外の義務の強制、意に反する苦役の強制)
○手続きの中で裁判員候補者は、宗教や前科などプライバシーに踏み込んだ質問を受ける。
○実際裁判上で起こる諸問題(報復の心配、グロテスクな証拠写真も全て確認する義務、法律に詳しくないため感情に流される恐れ、有罪無罪に関わらず原告被告に対する一生涯持ち続ける罪悪感、誤審に対する罪悪感恐怖感、虚偽自白に流されやすいなど)

 問題点は山ほどありますが、ここでは、「国民に対して裁判に参加し被告を裁くことを強制する制度」に対して、仏教徒として宗門人としてどう対応するかという一点のみで考えてみます。

  国民の反応
 二〇〇六年十二月に実施された裁判員制度に関する特別世論調査によりますと、裁判員として参加したいかについて
・参加したい      五・六%
・参加しても良い   一五・二%
・参加したくないが、義務であれば参加せざるを得ない 四四・五%
・義務であっても参加したくない 三三・六%
とあり約八割の人が拒否反応を示しています。

 この調査は推進者である内閣府政府広報室の資料ですので、実際の拒否反応の数字もこれ以下であることはないでしょう。

  宗教界の対応
 《法務省は「思想信条」の自由を理由とした辞退を「やむを得ない事由」として認めるかどうかの検討の中で、「思想信条に基づいて引き受けたくない」との理由で一律に辞退を認めると、辞退希望者が大幅に増えて幅広い市民の声を裁判に反映させるという制度本来の趣旨を損ないかねないことから、「思想信条」という言葉をつかった規定は行わなかった。》(朝日新聞・二〇〇七年十月二十四日)

 以下、読売新聞(二〇〇九年一月十一日)より抜粋。
 《裁判員法では「人を裁きたくない」というだけでは辞退理由にならないが、・・(略)・・「裁判参加で精神上の重大な不利益が生じる」と裁判官が判断した場合に限って、辞退が認められることになった。一方、刑事裁判への国民参加の伝統が長いイギリスやドイツでは、法律で聖職者は参加できない定めがある。
 「裁判員制度にどう対応するのか。宗派としてメッセージを明らかにすべきではないか。」七百万人の信者を抱え、刑務所や拘置所で教誨師を務める僧侶も多い浄土真宗本願寺派。京都市の西本願寺で昨年十月に開かれた宗派の議会で質問が飛んだ。・・(略)・・同派幹部は「引き続き検討していく」と述べるにとどまった。
 同じ浄土真宗で、死刑制度に反対している真宗大谷派でも・・(略)・・。同派幹部は宗派の見解として、制度そのものに対する意見表明は考えていないとする一方、「裁判員に選ばれたら、真宗門徒として死刑という判断はしないという態度が大切だと考えている」と答弁した。
 禅宗の曹洞宗のある僧侶は、「人を裁くことはできないと思う一方、宗教者としての意見をしっかり述べることが大切という考え方もある」と悩む。
 新約聖書に「人を裁いてはならない」というイエスの言葉があるキリスト教。カトリック中央協議会は「私的な裁きは認められないが、法治国家の正式な裁判制度まで否定はしていない。被告人の人権への配慮や国民の十分な理解が必要」・・(略)・・神社本庁は「国民の義務として、裁判員に選ばれたら原則参加する」・・(略)・・。》(以上読売抜粋)

 大谷派の「参加して死刑反対」には少々驚きました。簡単に裁きへの義務を受け入れていることと、僧俗に死刑反対を指示している点です。

 宗教教団は国内外を問わず、布教のために体制側の施策を利用したり保身のために体制に迎合をするなどして、ひいては自ら教義を変質させて幾多の失敗をしてきました。政治体制と教団との独立性の維持に努力するのが、親鸞聖人の精神に近いような気がします。

 法務省は当初、「思想信条」の問題を避け、葬式や法事などの「業務上の支障」で対応したかったようですが、当然それでは無理があることから、「精神上の重大な不利益」の中に押し込めてしまったということでしょう。
 それでも結局、裁判員になることによって「思想信条」の自由を侵される不利益がその人にとってどれだけ重大であるかは、本人ではなく裁判官が判断することになったわけです。これも非常に傲慢で強圧的な怖いことです。

 それにしても宗教界は概して「裁きの場への強制参加」に対する反応が鈍いと感じます。

  わが宗門の対応
 二〇〇八年三月号の『宗報』基幹運動計画書では、
「教団として、先ずは制度自体を正しく理解することからはじめ、裁判員として選ばれ、裁判に参加していくなかで湧き起こるであろう課題を整理し、どのように考え裁判に参加していくのがよいのかなどを検討していきたいと思います。

 教団として、ひとつの方向で結論づけていくことは困難であり、危うさもあります。したがって、十分に議論を重ねていくことが重要であり、裁判員制度が始まってからは、参加者の体験・意見などを聞いていくことも必要となります。裁判員制度に関わることがらは重要な課題であり、共に考えていきたいと思っています。」
とあります。

 一年後の二〇〇九年三月号の『宗報』基幹運動計画書では
「宗門としては、先ずは制度自体を正しく理解することからはじめ、さまざまな課題を整理し、裁判員としての体験・意見などを聞いて、どのように向き合っていくのかを引き続き検討していきたいと思います。」
とあります。
 一向に変わらない文章です。

 裁判員制度の単語を他の単語に置き換えたらあらゆる問題に使えそうな、公式のような文章です。逆に言うと無難な形式的な中身に踏み込んでいない文章ということになります。

 一年間でどう課題を整理したのかどのように検討したのか何も載っていません。そもそも、初めから参加していくことが前提となっていて拒否や辞退という話は全く出てきません。

 教団として制度そのものの問題点についてなぜ何の発信もしてこなかったのか、必要なかったのか。念仏者として「裁く場に強制的に立たされる」ことを受け入れられるのか。「とても自分には人を裁けない」という人にどのように対応できるのか。これらは極めて重大なことだと思うのです。

 さらに、「教団として、ひとつの方向で結論づけていくことは困難であり、危うさもあります。したがって、十分に議論を重ねていくことが重要・・・・」という文章には、困難な問題には決断を下さない、という保身的な開き直りすら感じます。

 方向を模索しない議論とは一体何でしょうか。議論のための議論でしょうか。現実と離れたところで、どんなに勇ましい言葉や慈愛の言葉を語っても詮無いことです。その間に事態は着々と進んで行きます。強権的な社会は名札をつけてやっては来ないのです。ものが言えるときに言えなくて、言うのが困難な状況になって言えるはずはありません。

 人間はそれほど強くもないし、間違いも犯しますが、自分の都合に合わせてうまく立ち回る人より、たとえ、強圧的な環境に押しつぶされて不本意な行動を取らざるを得ない場合にでもごまかさず良心に照らして苦しむ人の方に私は共感します。また、前にあげたアンケート結果の日本国民の心情にむしろ健全さを感じます。

 宗門には、自ら前面に出て人々を守る、というくらいの姿勢を示して欲しい。そういう宗門ならば、絶大な愛山護法の精神が起こるものだと思います。

  私の問題として
 私はこれほどの強制的な制度が強引に導入されることに危機感を感じています。「裁かない仏の教えを歓ぶ者」に裁けという命令は屈辱的だと感じています。

 各個人が良心に従ってどう行動しても批評することはできません。ただ、「国民の義務」を主張する人には、「裁判への強制参加を認めるなら処刑への強制参加も認めるのか」ということを念頭に考えていただきたいと思います。

 私自身は、当初は単純に「僧衣を着る身のものが堂々と人を裁くのはちょっと格好が悪い」という思いでこの問題を受け止めてきましたが、もし裁判員候補者に選ばれたら辞退したいと思っています。辞退が認められなかったらたぶん拒否することになると思います。

 私のところはとても保守的な土地柄ですが、私が尋ねた限りでは「お坊さんたちが裁判で裁くことはあまりして欲しくない」というご門徒が多かったのです。人々は私たち僧侶が思う以上に、僧侶が体制に迎合するのを喜ばないのではないかと感じました。

 もし親鸞聖人が「裁判員になって裁け」と言われたらどうなさったか、よくよく思案したいと思います。  (球磨組・忍成寺)


きみが選んだ死刑のスイッチ (よりみちパン!セ)

きみが選んだ死刑のスイッチ (よりみちパン!セ)

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編集後記 [2009年7月1日(第96号)]

◎北朝鮮の核問題は、国連決議による船舶の貨物検査にまで発展し、世界の注目を集めている。わが国においては、戦前の植民地政策の諸問題、逆に戦後の拉致問題、加害と被害という思いが絡み合い、真の解決への道のりは困難を極めている。このような複雑な国民感情が輻輳する中、大松・山本氏には、仏教徒・念仏者としての一視点を提示していただいた。

◎また、宗教に深い係わりのある問題で、いよいよ実施に移される裁判員制度の問題については、尾方氏より貴重な内容のご寄稿をいただいた。

◎同じく宗教と直接の係りをもった臓器移植問題は、短期間の審議の末、「脳死を死とする」法案が衆院で可決された。臓器移植を待つ人の立場に立てば、この法案成立は喜ばしいことだろうが、一方、臓器をパーツと考える人命軽視の風潮、また「人のいのちも金次第」という拝金主義の蔓延等々も懸念される。

◎朝日新聞に「移植推進派にとって参院は『鬼門』。移植に慎重な宗教団体などと関係が深い議員が多く、九七年も衆院で可決された『脳死は人の死』とする法案を修正可決した経緯がある」とあるが、参院での慎重審議を願っている。

◎諸問題に対する皆様のご寄稿をお待ちします。(藤岡)

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