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慚愧なき教科書  福岡教区時局対策協議会会長 郡島恒昭 [2001年7月1日号(第64号)]

 買いたくもない、読みたくもない本を買わされ、読まされた。その本は「畜生がつくった教科書」であることを知った。「新しい歴史教科書をつくる会(略称つくる会)」が主導して扶桑社が発行した中学の「新しい歴史教科書」のことである。

 この本を読んで、真っ先にピンときたのは「慚は人に羞づ、愧は天に羞づ。これを慚愧と名づく。無慚愧は名づけて人とせず、名づけて畜生とす」(注釈版275ページ)という言葉だった。もちろん私にも「無慚愧」な面は当然あるが、これほどひどい「無慚愧」は珍しい。

 まず、構成だが、文部科学省は申請された約350ページの本に137ヵ所の修正意見をつけた。しかも1ページ全面書き換えが31ページもある。他の7社の修正意見が13~4一ヵ所であったことからみても、いかにいい加減な教科書であるかが判る。私も二五年間の新聞記者の経験があり、もしこれほどの書き換えを要求されたら、恥ずかしくて「ボツにしてください」と言う。それを恥じることもなく嬉々として発行することが、第一の無慚愧といえる。

 次に国家エゴ、民族エゴをむき出しにして、それをさらに拡大しようとしていることである。三毒の煩悩といわれる貪欲・瞋恚・愚痴は無明が根本でしょう。それは我執、自我、エゴイズムから導き出されるといえよう。こういうものから離れることができない私どもを哀れんで本願が樹立された。ということは、これらの中にしか生かされていない自分自身に気づき、そのことを恥じ、悲しむことを「決定して深く、自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかた常に没し、常に流転して、出離の縁あることなしと信ず」(注釈版217ページ)と教えられていると領解している。また「国と財と位を棄てて」(注釈版4ページ)とも示されている。国家は棄てるべきもの、相対化するもので、仏教徒にとっては価値あるものとはいえない。ところが、この本では日本を絶対化して、中国や朝鮮半島を「力なき国」と劣等視し、国家エゴ、民族エゴを最も優れたことと奨励し、慚愧は無い。

 三番目に台湾や朝鮮を植民地化したことに反省はなく、列強諸国が攻めてくるのを防いでやったといわんばかりの表現で「日本は植民地にした朝鮮で鉄道・灌漑の施設を整えるなどの開発を行い」と書いている。開発は収奪のためにしたことを無視している。植民地化された民族の悲しみや苦しみを思い遣る心のかけらもなく、もちろん慚愧は無い。

 四番目は太平洋戦争を戦争中と同様に「大東亜戦争」と呼び「日本軍の南方進出は、アジア諸国が独立を早める一つのきっかけともなった」と書いているが、事実は違っている。まず、台湾と朝鮮を独立させず植民地にしたまま「アジア諸国が独立を早める一つのきっかけともなった」という厚顔無恥、そして、1943(昭和18)年5月31日、昭和天皇がいる御前会議で「ビルマとフィリピンは本年独立させるが、マライ(現在のマレーシア)スマトラ、ジャワ、ボルネオ、セレベス(一部を除き現在のインドネシア)は帝国領土と決定し、重要資源の供給に極力これが開発並びに民心の把握に努む」(田中伸尚著、ドキュメント昭和天皇・第三巻、303ページ)と大東亜政略指導大綱で決定している。資源が無いビルマとフィリピンは独立させるが、ゴムや錫があるマレーシアと石油があるインドネシアは属国にすることを天皇の前で決めていたのだ。ウソを書いたことに慚愧は無い。

 さらに、62ページには神話の「天の岩屋」に天照大神が引き込んだので、彼を引き出すために神楽を踊った情景を「アメノウズメの命が、乳房をかき出して踊り、腰の衣のひもを陰部までおしさげた」と表現している。ひどい女性蔑視、セクハラである。しかも、教科書の初めの方なので恐らく一年生が学ぶと考えられる。恥じとも慚愧とも思わぬのだろう。数え挙げればきりがない。

 最後に熊本に関係しての間違いの指摘があったことを伝えます。

 144ページに『藤崎八旛宮で「随兵」とよばれる大祭が開かれ、清正の朝鮮遠征にちなんだとされる馬追いの行事がある。熊本名物の朝鮮飴や赤酒も、清正が朝鮮から伝えたという』と書かれているが、これは間違いと6月13日の朝日新聞朝刊に次のように指摘されている。
 『「馬追い」は、17世紀に熊本入りした細川藩の重臣が馬を奉納したのが古文書にある最初の記述で、16世紀の朝鮮出兵の時代にはなかったとする説が有力。~朝鮮飴は元々熊本で作られていた長生飴、肥後飴が起源。清正が保存食として持って行ったのが名前の由来』という。私も単純な間違いを二ヵ所見つけたが、多くの間違いがあるとんでもない教科書である。

 この教科書は絶対に子どもたちに習わせてはいけないものです。各採択地区で教科書展示会が開かれています。ぜひ閲覧して「扶桑社の歴史教科書と公民教科書は採択してはいけない」と意見書を出してください。〔那珂組・光照寺前住職〕


釈迦に説法―坊さんジャーナリストの平和論

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ハンセン病と浄土真宗―菊池恵楓園にご縁をいただいて―  合志組・真教寺住職 寺尾徹照 [2001年7月1日号(第64号)]

 私が初めて、菊地恵楓園にご縁をいただいて、お参りに行くようになりましたのは、平成2(1990)年からであります。

 それまでというのは、私の身近なところにハンセン病の療養所があるなぁといった感じでありましたが、いつもこの療養所の横を通ってご門徒のお宅にお参りに行くのに、車窓から眺める高い壁のことがいつも気になっておりました。なにゆえこのような高い壁を築かなければならなかったか、大変不思議でなりませんでした。

 それとこのことは、私が園内に足を運ぶようになってからわかったことではありますが、園に入所なさっておられる多くの方々が、本名のほかに園名をもっておられるというお話を職員の方からうかがって大変驚いたことでありました。

 しかしながら、お参りのご縁をいただいて、入所なさっておられる方々から、さまざまなお話をお聞かせいただくことによって、私自身のハンセン病の学びの場となったことは大変有り難いことでありました。

 園に入所なさっておられる方の大半は、何れかの宗教に関わっておられ、私が園にお参りに行きますのは、園内の真宗の御門徒の方が亡くなられた時だけであります。「よとぎ」にお参りにあがった折に、ご本尊さまが安置されていないのに気づき、すぐさま園の職員の方にお願いいたしまして名号軸をとりよせていただき、亡くなられた身寄りの方々がおいでている時は、園内の入所なさっておられる方々と共におつとめをさせて頂きます。入所なさっておられる方々の中には、熱心におつとめの勉強をなさっておられたり、仏教讃歌を知っておられる方々もおられて私自身が感心させられたことであります。

 というのは、この園内には、昭和2年頃結成された真宗報恩会という会がございまして、その会員の方々を中心にいろいろな行事や、おつとめの準備等がなされており、一生懸命なさっておられる姿を目の当たりにした時、ものすごく感心させられたことでした。これもひとえに、今までこの園に足を運んで下さった多くの方々の御教化があったればこそと思わしていただくことであります。

 しかしながら、この報恩会の方々も高齢になられ、亡くなっていかれたりして会員が減り、報恩会を存続していくことが困難になり、平成七(一九九五)年に解散することになり残念に思いましたが、平成8(1996)年には、あらたに真宗同志会が結成され、その方々が中心になっていろいろとなさっておられるようです。私自身、真宗報恩会が解散する前に、二・三回ではありますが、会員の方々よりいろいろとお話を聞かせていただく機会がありましたが、これからはもっと多くの方々と出会い、共々に学びを深めていくことが大切なことはないかと思うことであります。

 数月前より地元の役場のところにも「ハンセン病を正しく理解する週間」という大きな看板がたてられまして、こうした取りくみも当然大切なことであると思いますが、私は、一人ひとりがこのことに関してお互いの学びを深め、もっと園に足を運んで共に語り合える場をつくっていくことが何よりも大切なことではないかと思います。

 私は、お参りの度に思うことではありますが、入園者の方々には、それぞれふるさとがあり、ご家族、身寄りのあられる方々が殆どかと思います。そして昔からのおつきあいのあられる手次寺がおありかと思います。入園者の方が亡くなられた時は、ご家族、身寄りのあられる方にあっては、ふるさとにて手次寺のご住職におつとめをして頂き、ふるさとのお墓に納骨できないものか、一日も早く入園者の方々が社会復帰が出来、いつの日か堂々とふるさとに帰ることが出来るならばと、そのことを切に願ってやみません。

 ハンセン病に対する偏見と誤解は大変根深いものがあり、問題も山積しているかと思いますが、それらの解決に向けて先ずは私に何ができるかを身近なところから見いだし行動していくことが大切なことではないでしょうか。 合掌〔合志組・真教寺住職〕

証言・ハンセン病 もう、うつむかない

証言・ハンセン病 もう、うつむかない

  • 作者: 村上 絢子
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2004/03/11
  • メディア: 単行本


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編集後記 [2001年7月1日号(第64号)]

◎郡島氏に、真宗の立場から「つくる会」の教科書をどう読むか、ということで執筆依頼をした。さすが永年の新聞記者の経験から依頼した二日後にはキッチリ字数を合わせた原稿が送られて来た。そして「教科書展示日の期限が迫っている。一日も早く『こだま』の発送をして欲しい」との添え書きがあった。この問題への氏の取り組みの熱意が伝わってくる。

◎展示の日程一覧を同封しましたが、「こだま」がお手元に届いた時、すでに展示が終了しているところもある。郡島氏に申し訳ない。皆さんに申し訳ない。出来ましたら他の会場まで足を運んで読み比べ、率直な思いを書いてくださるようお願いいたします。

◎森首相は「神の国」発言で、国民の反感をかって辞任へ追い込まれた。小泉首相は超右翼の発言を続けるが、国民の人気は高い。一体わが国は何処へ漂流してゆくのだろうか?

◎ハンセン病国賠訴訟の熊本地裁判決は、大きな反響を巻き起こし、ハンセン病に対する誤解をときほぐす良い機縁となった。喜ばしいことである。

◎寺尾氏には日頃入所者の葬儀等にお参りになる立場からの思いの一コマを執筆いただいた。

◎「水俣病」患者、外国人被爆者、從軍慰安婦の方々の救済・謝罪には、国はまことに冷やかであるが、「人権の光」が照り輝くのはいつの日であろうか。


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