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神道風土の中の浄土真宗 藤岡崇信 [2010年1月1日(第98号)]

 四十年前、拙寺の仏青に入会し、その後仏壮会員として、例会はほぼ無欠席、今は会の中心として世話役をしている信徒のAさんがいる。近年は、二ヶ月に一回程度、酒好きの仏壮のメンバー数人と、飲み会を行っているが、その方のメンバーでもある。

 十月中旬、坊守が、Aさんが野菜を持って来て、帰りに「今年は、十四年振りに私たちの地区にK神宮の秋の大祭の当番が巡ってきている。ついては法被の購入等々多額の資金を要するのでお寺にも寄付をお願いしたい」と云ったと困惑した表情で言う。

 今まで一度もなかったこの寄付依頼に私は、突然頭から冷水をかけられたような思いと、Aさんのブラックユーモアかなと自分を納得させる思いが交錯する中、ともかく「あの寄付依頼は本心なのか?もしそうなら貴方は今まで仏青・仏壮の会合で何を聞いてきたのか!」等々、直接話そうと受話器を握ったが、坊守は「もう暫らく様子をみてからの方が・・」としきりになだめる。

 ところが一週間後、私の留守中にAさんが、今度は正式の「寄付依頼趣意書」を持って訪れ、「この地区には、真行寺門徒が三十数戸あることだし、どうか宜しく!」と云ったという。

 再び坊守と私の論議が始まる。坊守は「本意ではないが、百歩譲ってこの寄付は神社への寄付ではなく、地区親睦会への賛助金として出したらどうか、当寺門徒の人もいることだし・・」という穏健な立場であり、一方私は、一応原則論者ではあるが「『多くの門徒の人が・・』と云われると、地区門徒の総意としての寄付依頼を拒否すれば、必ず感情的な対立を生む。そして今後の寺の運営に支障を来す」等々、原則論では押しきれない思いが去来する。

 あれこれ考えた末、私はお参り先で、この件を聞いてみることにした。ところが門徒一同で話し合われた経緯はなさそうである。中には「この機会に神社氏子を脱退した」という若年の声もあった。

 夜になると連日、あちこちから賑やかなお囃子の音が遠く近く聞こえ、大人のダミ声と子供の掛け合いの声も日に日に上達し、祭りの近まりを感じる。と同時に、早急の結論を迫られる思いであった。

 そこで私は、この問題への結論と対応にワンクッションを設けるべく緊急総代会を開くことにした。

 今日までの経緯を聞いた総代全員、「お寺から寄付をする必要なし、すべきではない」という結論であり、総代長が代表して、Aさんに寺院側の意向を伝えに行くということになった。

 当日の夕刻、心待ちしていた総代長より電話があり、「話したらすぐ理解してもらい、地区門徒全員の要望ではなく、この不況で寄付が集まらず困っていると聞いたので、私の一存で、本坊さんに気軽な思いからお願いした。ご心配かけてすみませんでした」というAさんの真意の報告があった。
※  ※  ※
 一件落着したとはいえ、今回のこの問題は私に大きな課題を投げかけた。住職を継職して以来、約五十年、私の教化目標の一つに「真宗信心指標のリトマス試験紙は、神(靖国)の問題である」、を据えて実践してきた。なのに今、このような状況が生じるとは!

 私は、改めて今までの私の言動を振り返ってみたが、仏壮の酒席で話しが弾んだとしても、私は、こと宗教に関して冗談にも宗教軽視や妥協の話題に同調したり、また雰囲気を配慮して聞こえぬ振りをしたこと等は一切ない積りである。

 でも、もしかすると、私の法話は、神道の中心部の話に終始し、周辺部に対する丁寧な指摘が不足していたのかもしれない。そうであれば、私の方に大きな責任があるという反省に至った。
※   ※   ※
 宗会議員の研修会の一つに、宗会基幹運動研修会があり、今までは主に差別と平和問題を中心に研修を重ねてきたが、今回私に会長職のおこぼれが廻ってきた。私は、早速「国家神道と浄土真宗」をテーマに、国家神道のお膝元・伊勢教堂を会所にて研修会を行うことを提言した。

 講師の龍大・平田教授に「私は日頃、一住職として、今日の真宗法義を熟慮する時、もっと(国家)神道の影響をも学ばねばならない。F師が云われる『真宗寺院の本堂に、神道・真宗信者が参っている』『真宗の法座で本当の真宗が話せない』ということが今日の実態であり、従って今日、『真の真宗』を目指すには、先ず『現在の真宗(信心・寺院)に内在している神道』の問題をもっと勉強しなくてはと思っています」という趣旨の研修内容の依頼状を送った。

 研修会参加者の感想は好評で、来年もまたという声も聞かれた。

 また研修の一環で、伊勢神宮も訪れたが、参道では「伊勢神宮奉賛会」のプレートを付けた諸団体に出会った。すれ違い様、この中にも真宗寺院の門徒総代、仏婦役員がおられるのではないかとの思いがよぎった。

 神宮参拝者数は本願寺の比ではなく、驚くなかれ二十年に一度の遷宮の費用は五百億円の巨額だという。《託麻組・真行寺住職》


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仏教壮年会活動からの思い 三嶋統吾(熊本教区仏教壮年会連盟理事長) [2010年1月1日(第98号)]

 二〇〇八年四月一日「全国仏教壮年会議」の本部組織は、現状打破と更なる発展を願い、「浄土真宗本願寺派仏教壮年会連盟」として組織体を変革再出発しました。

 さて、「親鸞聖人七五〇回大遠忌法要」まで一年余りとなりましたが、半世紀前の「七〇〇回大遠忌法要御満座の消息」で勝如前ご門主は、教団の危機感を示され、その対応を促されて、「門信徒会運動」が提唱されます。その危機意識は、「名ばかりの門徒・形ばかりの僧侶」という言葉で表され、それを克服するためには、門信徒の人材育成が必要となり、それが「門信徒の核づくり」とよばれ、やがてその中心に壮年が位置づけられていきます。一九六九年、寺院と教団の再生の担い手としての仏教壮年の結集が求められ、全国に六〇〇単位の仏教壮年会結成のための指定組が出来ます。壮年会運動が具体的に推進することによって、門信徒が自主的に組織をつくる努力が始まり、このことが後に「全員聞法・全員伝道」の呼びかけの一因となります。

 一九七九年「仏教壮年の結集に関する宗則」が制定され、総局直轄のもとに「全国仏教壮年会議」が設置されます。それと共に宗門内における位置付けと役割が、基幹運動の中核を担い、充実発展に資する事を目的とすることとして明確にされました。

 しかし、その後三十年余り、様々な要因があったとは思いますが、組織体に拡がりが見られず、結成率は二五%以下で活動は低迷してきたといえます。そこで、全国仏壮はこの状態を打破するために二〇〇三年基幹運動推進本部に「仏教壮年会活動の活性化に関する専門委員会」を設置して、仏壮会活動の総括並びに点検と今後の活動の方向性の協議に入り、翌年その答申が出されて連盟化へと動き出します。いままでは、総局直轄というお抱えの状態で、ぬるま湯の中に浸っていたのかもしれません。特に自主財源を持っていなかったことが組織の拡がりに無頓着であったことは否めません。連盟化する事によって、主体性を持って活動する、自主・自営の団体へ体制を変革し、基幹運動推進者としての自覚をよびもどし、仏壮活動を活性化して、それを門信徒会運動活性化の突破口にしようとするのが今回の組織変革だと思います。

 今、仏壮の悩みは、活動に拡がりがないことです。連盟化を機縁に今一度原点をさぐり見つめなおして、活動を考える事が必要だと思います。今回仏壮の方向性を示した「綱領」が、「われわれ仏教壮年は、自らの生き方を親鸞聖人のみ教えに聞き、共にお念仏申す朋友の輪を拡げ、心豊かに生きる社会の実現をめざします」と簡潔で力強い文言で制定されました。松月連盟講師は、この綱領は仏教壮年のみならず真宗門徒として歩む必然の事柄ばかりで、仏教壮年会活動を通じて、真の念仏者(真宗門徒)になる歩みを共にして行こうという決意を確認し、仏教壮年としての規矩を明示したものであると述べられています。

 み教えに学ばせていただくことで、自分自身がお慈悲の中で生かされていると知らされ、他の苦悩に共感して共生する場となるように努めることで、この混迷する時代を克服する歩みを続けていくことなのでしょう。

 さて、今お寺を取り巻く環境はどうなっているのでしょうか。戦後社会が大きく変動し、人の流れが地方から都市へ移動集中し、地方の過疎化を生み、家族の形態は大家族から核家族へ、家は子供が大きくなるまでの保育器だという人もいます。独り世帯が四十%を占め、二世帯以上の世帯は九%しかないそうで、家の概念が大きく変化しています。都市部では、月忌参りを必要とせず、お参りの軒数が減少していると聞きます。葬式は、すでに三〇%が直葬スタイルといわれ、簡素化、個人化が進み宗教の介在を必要としなくなっています。また半世紀後は労働人口の減少により、移民の人口比率が三十%になると予想されています。本来門徒と僧侶(寺)は表裏一体で、共に演技者であるべきですが、門徒に参画者意識が希薄で観客化してきています。この様に様々な現状を思うと拡がりということは想像できず、お寺は形骸化し、ひとつのきっかけで崩れ去るのではないかと思うのは杞憂でしょうか、伝統的相続だけではもう無理があるように思います。

 半世紀前示された危機感は、今尚深まり続いています。基幹運動は、純化なのか拡大なのかという事を聞きますが、拡大する為には純化が必要なのです、もう議論も傍観の為の議論も要らない、座して待つのか立ち上がり動くのかどちらかなのでしょう。〔熊本組・覚法寺衆徒〕



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編集後記 [2010年1月1日(第98号)]

◎教区の仏壮理事長であり、また全国の副理事長として仏壮活動にご活躍中の三嶋氏より、仏壮に対する真摯な願い、熱い思いの玉稿をいただいた

◎私は、仏壮活動の中での苦い反省を記した。それにしても明治初年より敗戦までの神道国教化政策はわが国民の真髄に浸透し、しかもそれは今日も尚、無意識の中に脈々と受け継がれていることに驚嘆させられることしきり◎今号に同封したのは、十二月初旬の熊日の記事だが、今日の日本人の宗教観を端的に表していると思う。小学生から大学教授にいたる者しかり

◎この確固たる己の宗教を持っている人を危険視する、弥陀一佛・念仏一行に生きる者を異端視する宗教観・・、これも神道国教化政策の残滓の一面であろうか。次号にはこれらの問題についてのご寄稿もお待ちしています

◎本紙も発刊以来二十五年、今年七月一日号で百号を数える。改めて皆さまのご支援、ご協力に感謝いたすところです。今後も宜しくお願い申し上げます。

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