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2007年1月1日号(第86号) ブログトップ

都市圏の宗教事情  大阪教区宗会議員 山田智之 [2007年1月1日号(第86号)]

 「お寺さん」と「葬儀屋さん」との付き合いは、なんだかんだと云っても切っても切れない間柄。私の記憶では三十年前頃までは、「ごエンさん、ちょっと助けてぇな」という物言いの「街の葬儀屋さん」と一緒になって葬儀を取り仕切り、門徒であろうがなかろうが後々の面倒にも心を配ったものでしたが、そういう葬儀屋さんが「資本」に潰されかけた二十年程前からは世間の様相も変わり始め、「中資本」クラスの葬儀社が一斉に「お寺さん」を「得意先」として遇し、「お寺さん」の「商品」である「檀家さん」の取り込みに腐心し始めたことでありました。

 「お寺さん」の方も、潰れかけの「街の葬儀屋さん」よりも、より「販路」の広い葬儀社に関心の向くのは自然の成り行きで、「あそこの方が仕事がキレイやで」と、門徒さえも振り向ける回数が多くなり、結局「街の葬儀屋さん」も商売存続のためにあの手この手の挽回策を採るが時すでに遅く、昔の誼も何もあったものではない「お寺さん」との共存は夢のまた夢。

 近時はその「中資本」も足元が覚束なくなり、倒産の危機に組織の改変を繰り返し、このあいだ居た社員が今日は見かけんが…というのは茶飯事で、「お寺さん」の方も現場での「仕事」が段々し難くなつている昨今で、これが「普通」の「お寺さん」事情。

 そんな中で、ブランド用品で身を包み、高級車に乗り、法務員を「斎場」に張付け、何人もの法務員を雇い、日々の「業務」をファツクスやメールで指示する「坊主」が跋扈しだしました。お寺の業務拡大?には大資本葬儀社が頼りなのだから、一番賢い方法として「組む」のが手っ取り早いと「決断」した「坊主」たちは、形振り構わず稼ぎのいい「葬儀、葬儀」で、「七日勤め」は《気に入らんかったら近所の寺にたのみなはれ》とばかりに手を抜いて、金のなる木を求めて毎日毎日走り回る始末。

 時々、葬儀社から誘いがあり、日く、《メンバーに入りませんか》と。言ってくる主体は葬儀社なのか煮ても焼いても食えない社員なのかは定かではないが、そのシステムがよく分からない。一説には、メンバーになる為の何百万円かの「お布施」としての拠出金が最初に必要で、メンバーに入ると何時如何なる時でも処でもの「仕事」を断ることは許されないという、まさしく葬儀社の言いなりに走り回ると聞く。また一説には「商い多寡」によるバックマージン率によって袖の下で処理する契約もあるとかとも聞く。

 それぞれ事情があるのでしょう。戦後資材のなかった時代に建てた本堂改築・新築の時期を迎えたものの門徒にその資力は望めない、さりとて放っとく訳にはイカン、借金してでも、その返済はどうするの、から始まったことであつたかも知れないが、借金が済んだからと言ってそれで姿が改まるはずがないのが悲しい現実として残る。最初は「業務拡大」に「ご法義繁盛」もあったはずと信じたいが、夜中でも携帯電話でしか連絡が取れなくなる「お寺の住職さん」では、言い訳も効かん。それでもまだボンサン同士で居たいから、形ばかりであろうとも月例の法座・永代経。報恩講と、本来の?仏事を休みなく続けている分にはエールを送り、世の非難には身代わりで立ち向かう私は一体何者なのか。

 ともかく、こういう「お寺さん」が少数であっても、全体視されるのは妨げないもので、所謂宗教心のない現代人にとってはカネぱかり目立つ「お寺さん」との付き合いは極力避けたいと考えるのはごもっともなことであり、さりとて亡き人を粗末にすることは世間の目が怖く、そこで小ジャレタ「お別れ会」があったと気づくのであろう、知織人の知織として。また、核家族化の影響で親が晩年どのような生活をしていたのかさえ知らない別居の子供にしてみれば、いざ葬儀といわれても隣近所の付き合いは最も避けたいもので、そこに付け込んだのが葬儀社が提案した「家族葬」なるもので、葬儀会館でこっそりと済ませることが出来る便利な時代。坊主として《お金がなかってもみんなで葬儀くらい出してやれヨ》とも言えない坊主が多くなったことのしわ寄せが、葬儀自体を布教現場とし得ない情けないしっぺ返しとなって立ちはだかつている。しかし、しかし、世の風潮に責任転嫁はしまい。どうしたら世の風潮を変えることが出来ようかなどとも考えまい。「教化」などと口幅ったいことも言うまい。でも…。

《阿弥陀さんと一緒》から《阿弥陀さんがいっしょ》と。「と」から「が」への気づきを促し合う、それしか他との交渉はない真宗坊主の生き様を「信」として現代人に訴え伝える生身の私の身の処し方が外見で評価されるのなら、それが「教化」に繋がる世の風潮なら言っておくことがある。

 以前に『めぐみ』にも書いたが、これしかないのでここでも書く。

 私の親父は、「どうしてテレビを買うてくれんのや」という息子に「村の門徒全部の家にテレビが入ってから」と答えた。当時は言葉としての理解はなかったが、やがて「冥加」を知った。そして「冥加」の中で死んだ親父が居た。これが私の坊主としての財産である。この財産を門徒と共にすることが教化の原点で他に「教化策」の持ち合わせはない。宗会議員のくせに、祇園で飲んでるくせに‥・・、甘んじて受けるが、門徒は「貧乏人の味方」と評価して次々と「貧乏人」を門徒にしてやってと連れてくる。だからお寺も貧乏から抜け出せない。それでも「が」やからいいんです。《大阪南組・阿弥陀寺住職》

寄る辺なき時代の希望―人は死ぬのになぜ生きるのか

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憲法改正の問題点-二〇条・八九条について(下)  藤岡崇信 [2007年1月1日号(第86号)]

 『浄土真宗の教章』の「宗風」に「深く因果の道理をわきまえて、現世祈祷や、まじないを行わず、占いなどの迷信にたよらない。」と示されるように、真宗信心は、民族宗教的思考と、神道的呪縛からの決別という一側面があると言えます。

 山口教区の児玉識氏は、他宗の勢力の強い周防大島本島で、真宗門徒の日々の生活がどのような特質をもっていたのかを調査し、「かって真宗のことを『かんまん宗』と呼んでいた。『かんまん』とは、この地方の方言で、『かまわん』『気にしない』という意味であるが、真宗門徒が日柄・方角等のタブーを一切気にしないで自由奔放に行動することから、他宗側が真宗をこう呼ぶに至った」と記されています。

 そして注目すべきは、「現在の寺院・門徒の状態からみて、このような真宗独自の生活様式があったとは考えられない」と記述しておられる点であります。しかもこの真宗門徒の過去及び現状の記述は、多少の差異はあっても全国各地の真宗の実態を言い表しているということであります。

 宗風とは、信心(内面)から滲み出る日常生活のあり様(外相)というべきでありましょうが、ではなぜ今日、真宗門徒の独自性は影を潜めたのでしょうか。

 この原因の第一には、僧侶の教化姿勢の問題点を挙げねばなりませんが、その根幹に、真宗寺院で「真宗」を語れなかった、語らせなかった国の施策の存在を凝視すべきだと思います。

 この歴史的事実を、今回の憲法改正の問題と重ね合わせて考え、改正賛否の判断にする必要があると思います。

 幕藩体制を倒し、新たに成立した明治新政府は、自己の権力基盤と日本民族統合の原理を、皇国史観をベースにした神権天皇制に求めたのです。1868(明治元)年には「祭政一致、神祇官再興」を布告し、神道国教化政策をスタートさせました。

 そして「神仏分離令」が発せられると、それが仏教排撃運動、いわゆる廃仏毀釈の嵐となり、同時に明治天皇による各地の神社参拝が行われ、それに呼応して宮中より仏教色を払拭するなど着実に神道国教化実現への歩みが進められました。

 このような政策が次々と実施される中、仏像仏具の破却や寺院の統廃合、僧侶には仏教教義の説教を禁じ、天皇崇拝と神社信仰を主とした説教を命じて国民教化運動を行わせたのです。

 この無謀な政府の宗教政策に対して、本派僧侶を中心にした強い批判の声をうけ、近代国家の体制を整える必要を感じていた政府は、信教の自由を容認する方向へすすみました。
 1889(明治22)年には、大日本帝国憲法が発布され、信教の自由が明記されましたが、それは基本的人権としての信教の自由ではなく、あくまでも国家神道体制枠内での信教の自由でありました。

 憲法で信教の自由を認め、現実には神道国教制をとり続けるという矛盾を繕うために用いられたのが、次のような詭弁でした。

 文部省の某局長が、講演後の質疑で「たしかに、神社には、いろいろな宗教的な性格が含まれております。しかし、神社は、やはり普通の宗教とは違った性質をもっておりますので、私どもは、神社というものは、普通の宗教とは違った・・・何と申しましょうか、まぁ宗教以上のものというふうに考えております。」と答えたと言いますが、この答弁が当時の政府の姿勢を如実に示しているのです。

 政府は必ずしも神社の宗教的な本質に目をつぶりたかったのではなく、「超宗教」である神道を仏教やキリスト教等と同列に扱わない、そしてこの論理をもって「超宗教」を国民に強制しても、信教の自由に反しないという方針に徹したのです。このようにして神道は、特別待遇の宗教・国教の地位を確立してきました。

 また、真宗門徒に神棚設置をせまり、それを断れば非国民のレッテルを貼られるという社会状況に陥り、真宗門徒の日々は「かんまん宗」を標榜していくことが不可能な時代になったのです。

 「邪教の刻印を押す最終の決定権を持っているものは政治勢力だ」という強権力により、1935(昭和10)年、日本近代史上最大の宗教弾圧が行われましたが、これを契機にわが教団も、「大麻拝受」を認め、「聖典削除」「絵像の掛け替え」等を指示しました。

 前号で述べましたように、憲法20条第3項を、国の判断で「社会的儀礼又は習俗」であると認定すれば、それは宗教ではない、従って公的機関でその教育をすることは可能、八九条では、そのようなものに対する公費支出を憲法上認めるというものです。

 このように国の判断で宗教の枠外に置き、特別扱いにしようと画策している対象はまぎれもなく神道――、先ずは「靖国神社国家護持」をもってその突破口にするであろうと思います。これは私が長年靖国裁判に関った過程で知らされた事実です。

 この改正の内容の意図、そして過去の歴史を検証する時、私たち真宗者はこの改憲を黙認して良いものかどうか、熟慮すべき問題であります。《託麻組・真行寺住職》

日本国憲法

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  • 作者: 森 達也
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過疎地の宗教事情  大道 修 [2007年1月1日号(第86号)]

 私が現在住んでいる山都町は2005年2月に旧矢部町・清和村・蘇陽町が合併して誕生した町だ。面積は、全体で544.83平方キロメートルを有し、東西約33キロメートル、南北約二十七キロメートルにも及び、県内屈指の面積を誇る町ではあるが山林・原野が72%を占め、次いで田・畑16%、宅地1%となっており2000年の時点では203333人有った3町村の合計人口は、昨年10月1日時点では18763人(65五歳以上の人口構成率が36.7%)、で、現在の傾向がそのまま続くとして、10年後の2016年には17370人、20年後の2032年には14230人に減少し、高齢化率は50%に届くと推計されている過疎指定地域だ。

 総世帯数6160の山都町内には本派21件・大派3件・他宗2件(計26ヶ寺)の寺院が点在している。私の所属する益東組はその内の本派20ヶ寺で構成されており、昔から現在に至るまで自坊の法務のみで生計を立ておられるところは組内で一ヶ寺のみである。

 現在は定年等で退職され法務に専念されているところも増えたのだが、従来ほとんどが兼職寺院である為、教化・伝道に於いて組内の連携がとれにくい現状にある。

 私のお寺は、阿蘇南外輪山の外側にある旧蘇陽町に在る。「九州のへそ」と言われる蘇陽地区は山都町東端の宮崎県境に位置し、現在八件の寺院(本派六.大谷派一・他宗一)が在るのだが合併直前の世帯数は、既に1500を割っており、33年前に父が住職として入寺する迄すでに一度無住寺になっている。

 教員をされていた先代住職は、ご門徒が200件近くあったものの、布施収入が極端に低く、退職後寺院運営を諦めて京都に越して往かれたと聞いている。父は、そのような状況を十分理解したうえで入寺を承諾し、以前は音楽教室をしながらなんとか生計を立てていた。

 私は得度をして4年半になるが、35歳での得度は寺の長男という立場としては決して早くはない。熊本市内の高校へ通う事を機に、中学卒業後から一人暮らしを始め中退後はロックバンド活動を充実させるため福岡に移り住み、博多を中心に東京・大阪等でのライブをこなしながら、寺に帰る直前まで金髪は肩まで伸ばし、眉毛を全てそり落としてロックに没頭しまさに自由奔放な生き方をしていた。

 一生涯ロックし続ける事だけが夢であり目標だった私が寺に帰る決心をしたのは、弟の自殺が原因だった・・・。

 ロックとは、サウンドや生き様に強制や規制が入ると成立しない。単なる演奏行為に留まることなく、既成概念を超えてありのままの自分を表現しつつ、時・処・思想を越え共感し創造・発展する営みである。

 従って寺に帰るということになれば、そういう生き方をやめなければならなくなる。僧侶になるということは、ご門徒や地域の方々の手本となるような道徳的な生活を送らなければならない。一般社会に順応しなくてはならない。そのようなことを想像すると、その思いは大きな重圧となり私にのしかかってきた。

 しかし幸いだったのは、得度考査を受けた際に教務所の方に紹介された仏青で若手僧侶・寺族の人たちと出会え、応援・激励を受けなんとか得度習礼を受ける覚悟が出来いまに至るごとが出来た。

 その後、得度後若手布教使の方々が中心となって、私の得度記念の布教大会を開催してもらえた。しかし将来のことを考えると悲観的な思いを捨てることはできない。寺院経営と門徒の方々への教化、この二つをどう両立させていくか。私の課題はまだはじまったばかりである。《益東組・教尊寺衆徒》

ベスト・オブ・ボウイ(3ヶ月期間限定)

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  • アーティスト: デヴィッド・ボウイ
  • 出版社/メーカー: 東芝EMI
  • 発売日: 2006/03/08
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教えて帰る子は知識 豊田常勝 [2007年1月1日号(第86号)]

 私は、94歳になる在家の人吉別院門徒です。

 戦後まもない、昭和22年4月のことです。当時は食糧事情も悪く医薬品にもこと欠き、私たち夫婦は、娘精子を先に送る運命に遭遇しました。わずか一年の生涯でした。悔しくて悔しくて残念でたまりません。

 精子の枕元で悲嘆に泣き暮らしていた私たちに「先立ったこの子は善知識ばい。だけん、あんたたちはなぁ、法ば聞かなんばい」と伯母は言ってくれました。娘、精子は、私たちが法を聞いてくれるように自らの生命をかけて願い、先立ったというのです。

 精子さんの導きで、私ども夫婦は聞法をさせていただくことになりました。《阿弥陀如来よりたまわりたる信心を子や孫に世界にと如来行が肝要であります。》  《球磨組・忍成寺衆徒》

彩花へ―「生きる力」をありがとう

彩花へ―「生きる力」をありがとう

  • 作者: 山下 京子
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2002/07
  • メディア: 文庫


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新刊紹介『高僧和讃に聞く』「七高僧」の事績や教説やさしく解説 [2007年1月1日号(第86号)]

 親鸞聖人は九十年の生涯を通じて数多くの著作を残しているが、その中で最も心血を注いだのが『教行信証』である。同著は真宗教義の大綱を組織的、体系的に示し、浄土真宗の根本聖典とも言うべきものだが、六巻にも及ぶ大部の上に、すべて漢文で書かれているため通読するのは容易なことではない。これはおそらく、広く同行に読まれることを予定したというよりも、念仏の教えを批判していた当時の学僧達を念頭に置いて書かれた一種の学術論文といってもよい。

 それを補うのが〝和語の教行信証〟といわれる『和讃』。親鸞聖人が七十六歳の時に著したという「三帖和讃」の第二帖目の『高僧和讃』(竜樹、天親、曇鸞、道綽、善導、源信、源空という七高僧の遺徳を讃えた百十七首を収録)の中からそのいくつかを厳選し、それぞれに原文と意訳、七高僧の事績や教説などをやさしく解説したのが本著である。

 熊本市の浄土真宗本願寺派住職(香覚寺)で、現在、筑紫女子学園大学の学長を務める著者は、漢文ではなく和語で記され、しかも浄土三部経や諸師の注釈を根拠とした体系を持つ和讃こそ、阿弥陀如来の本願を明らかにするものであるとし、その意味するところを読み取り、真実の法に出合った喜びを、ぜひとも後に伝えてほしいとの願いから本著をまとめた。『高僧和讃』は第一帖目の『浄土和讃』と同じく〝弥陀和讃〟にほかならず、「親鸞聖人の〝遇法の喜び〟が高らかにうたわれている宗教詩でもある。」と述べている。

定価2730円・山喜房仏書林刊(電話03-3811・5361・http://www003.upp.so-net.ne.jp/sankibo/title.html)《中外日報より転載》


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編集後記 [2007年1月1日号(第86号)]

◎近年、医師の免許を持たず、財力と経営のノウハウに長けた理事長による全国チェーンの歯科医院が増えつつあるという。コンビニの隣接地に医院をつくり、日曜日も深夜も診療、但し「買い物ついでの患者」をターゲットにしているので、医師の住居はそこにはない。医師会にも所属せず、勿論患者への二十四時間の対応はしない。「歯医者の世界も変わりました」と、かかりつけの院長の嘆息ながらの話。
◎宗教の世界も同様、特に、都市部での寺院を取り巻く宗教事情は大きく変化してきている。この流れはいずれ熊本の地へ漂着するでありましょう。どう対応すべきか、その視点から山田師に執筆を依頼しました。
◎シリーズ「『自信教人信』の願いに燃えて」の執筆・豊田師は、教職にあられたお方故、知識として真宗を求めはじめられたのかと思っていましたが、何十年前の逆無常の悲しみは今も・・という玉稿をいただきました。
◎今回の憲法改正問題は、真宗信心と伝道の立場から論じてみました。教育基本法改正が可決され、私たちにって真宗信心の「苗」を植える以前の「雑草刈り」がいよいよ煩雑になりそうです。〈崇信〉


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