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2002年10月1日号(第69号) ブログトップ

国立墓苑構想の論点  託麻組・真行寺住職 藤岡崇信 [2002年10月1日号(第69号)]

 今わが教団では、靖国神社にかわる国立施設問題について大きな議論を呼んでいますが、その問題の所在の一端を報告し、ご判断の材料に供したいと思います。

 ご承知の通り、小泉首相は、昨年の自民党総裁選に、「8月15日、必ず靖国神社に参拝する」との公約を掲げ当選しました。しかし、それに対する国内外からの強い批判があり、突如、前言を翻し8月13日に参拝しました。 その目先を変えた手法にも海外からの批判は大きく、それに対応すべく、十二月、官房長官の私的諮問機関「追悼・平和祈念のための記念碑等施設の在り方を考える懇談会」が発足しました。 この会の進行内容がインターネットで公開されていますが、6回目の会合でその施設の理念を次のようにまとめています。

 「明治維新以降我が国が係わった対外紛争(戦争・事変)における死没者及び先の大戦後我が国の平和と独立を守り国の安全を保つための活動による死没者は、極めて多数に上り、今後、不幸にもこのような死没者が出ることも否定できない。」(抜粋)と、そこには過去の「侵略」の反省はなく、次の戦争を想定した施設であることが窺われます。

 このような国立施設設立の具体化に対し、今日まで首相の靖国神社公式参拝に反対し、靖国神社にかわる「無宗教の追悼施設」を要望してきたわが教団は、7月30日に総長他11名が呼びかけ人となり、「新しい国立追悼施設をつくる会」を設立し、国に施設推進を要望したのです。(※この「つくる会」への参加経緯と趣旨については、『本願寺新報』9月20日号の二面、総長報告の記事をご参照下さい)

 私は、6月末にわが教団のこの密かな準備段階の情報を入手し、28日には、早速総長、議長宛に「近隣諸国の批判をかわすだけの国立施設では、第二の靖国になる。靖国か国立墓苑かという二者択一ではなく、何故国家が戦死者を追悼するのか、何故国家儀礼が必要なのか等々、まだ教団内で十分な議論が行われていない。『有用な教団』を主張し『真宗』を放棄した過去の負の実績を繰り返すべきではない」との書状を送りました。

 7月25日には、教学伝道審議会が開かれ、この問題が中心議題になるが、どう考えるかと委員の人達からの問い合わせがあり、私は前記のことと、この重大な問題の結論を決して急ぐべきではないと思うと申し、また当日の会もそのような結論になったと聞いていたのです。

 ところが、この委員会の結論をも無視し、総長はその直後、即ち30日の「つくる会の実働」となったのです。

 この総局の「暴走」に対して、8月1日、中央基幹運動推進相談員は「追悼は国の施設ではなく、各人の信条信仰に基づいて行うべきであるというのがご門主の意向である。『つくる会』の主張は、一見首相の公式参拝をさせない代替施設案のようであるが、戦争賛美の第二の靖国になる。」(主旨)という内容の抗議文を総局に、教区基幹運動相談員にも文書を送付したのです。

 総局は、この相談員の行為を、宗務員規定に違反し、宗門の秩序を乱すという理由で宗務員懲戒に付し、休職を命じました。

 この処分に対して、各教区の基幹運動関係者は、中央相談員を支持する立場を表明しています。
 その後、総局はどういう意図か、八月六日付で、全教区に対して意見集約の依頼を発したのです。その内容は、「国による新たな追悼・平和祈念のための施設に関して」他三点ですが、実はこの作業こそ事前に行うべきことであり、順序が逆と言わねばなりません。

 一方、これまで教団の靖国への対応に対し、要請文や抗議文を送り続けてきた「真宗遺族会」「反靖国連帯会議」は、この国立施設問題惹起後も、直ちに総局を諌める文書を送付し、総長に会って強く反対の意向を伝えました。

 その主張の要点は、
①わが国は近年、戦争への道を加速化しつつある。
②それと呼応する動きが「国立施設」構想であり、それがどういう形態であれ「国のための死」を求める国家の思惑がある。
③どこからも非難されない「国立施設」というが、これは靖国と表裏の関係、「第二の靖国」そのものである。と国家が人の生死の意味づけをし、管理統制、支配すべきではない。また国家に全てを委ねない各自の個の確立の営みこそ、靖国から解放される一歩であると訴えています。

 尚、意見集約の結果は、教団の対応に一教区が賛成、一教区が両論併記、他は概ね反対意見であったと聞いています。しかし先の臨宗で総局は、この結果如何による軌道修正はしない、もし「つくる会」とわが教団の意向が異なった場合、即刻脱会すると答弁しました。私はその脱会の時期を失しないようにと釘を刺しましたが、一体どのような結末を迎えるのでしょうか。

 私たちは、正確な情報のもと、わが教団の行方に誤りなきよう真剣な論議を続けねばならないと思います。

浄土真宗の戦争責任

浄土真宗の戦争責任

  • 作者: 菱木 政晴
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1993/07
  • メディア: 単行本


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伝道教団24時<布教の最前線では…>  託麻組・良覚寺住職 吉村隆真 [2002年10月1日号(第69号)]

 私は現在、本願寺布教研究職務従事者(通称:布教専従職)というお役目を頂き、本願寺を訪れる様々な参拝者(念仏奉仕団・帰敬式・書院拝観・各種団体参拝・修学旅行生などなど)に対して、日々布教を行っています。専従職を拝命して約半年、そのような日常の中で、これまで自分が布教使としていかに楽なところで話をさせて頂いて来たかということをいつも思わせられます。会所から依頼を受けて、話を聞く態勢の整った方々ばかりが集まった、予めお膳立てされたところへと出講し、法座を勤め終えて、御法礼を頂いて帰るということは、布教使でなくとも誰にでもできることです。

 ところが、現在私が布教をしている現場は、寺院でのお同行に対しての一般的な法座とは違って、今まで法話というものを一度も「聞いたことがない」、更には「聞く気すらない」という方が当然のようにいらっしゃるところなのです。そのような方々の興味を惹きつけ、わかり易く、しかも間違いなくお伝えするという布教の研究・実践はなかなか容易なことではありません。

 先日も東京都新宿区の公立中学校の学生に対してお話しさせて頂きました。彼らに私の法話が通用するのかどうか不安もありましたが、それは取り越し苦労に終わりました。彼らはこちらの予想以上に反応を示し、実に熱心に聞き入ってくれました。中高生が法話など聞くはずがないというのは、大人の勝手な偏見と決めつけと思い込みなのです。「亀毛」「兎角」の最たるものでしょう。「事前のリサーチ」と「ニーズの把握」と「内容の工夫」さえできれば、中高生に対する布教も決して不可能ではないということが証明されました。

 しかし、この点がこれまで布教使に欠けていた三大要素であるように思います。例えば念仏奉仕団を例に挙げてみましょう。

 念仏奉仕団の参加者は、午後7時からの総会所布教(常例布教使による夜の法座)を任意で聴聞なさいます。翌日に私の法話が控えているため、前日はリサーチを兼ねて必ず聴聞するようにしています。「対象がどのような方々なのか?」「どのような内容や話題に敏感な反応を見せるのか?」などの対象の傾向を知ることは、話を構成する上で欠かすことができないからです。しかし、残念なことに反応を見る限りにおいて、総会所布教の内容は、その大半が専門用語の羅列や時代錯誤の因縁話といった類いのもので、聞き手のニーズに全くと言っていいほど合わず、大きく掛け離れたものになってしまっているという悲しい現実があります。これまで常例布教使が勤めていた念仏奉仕団対象の法話が、私たち布教専従職の手に委ねられたのも、その辺りの理由からでしょう。

 これまで多くの方にお話しさせて頂きましたが、修学旅行生や念仏奉仕団をはじめ、法話に遇ってお帰りになる参拝者のにこやかな表情が、こちらが意図することが良い結果として表れている何よりの証拠だと受けとめています。

 浄土真宗本願寺派は伝道教団です。私たちの教団が「全員聞法・全員伝道」の看板を高々と掲げている以上、私たちは如何なる訪問者に対しても法を説く覚悟で臨まなければなりません。その最前線こそが布教使のあるべき場所なのだと思っています。浄土真宗教義の中核は阿弥陀如来による救済にあります。しかし、阿弥陀如来の救済の絶対性を強調する中で、「おまかせ」を履き違えて、布教使の本分を棚上げにしてはいなかったでしょうか?尊前で正座をし、合掌・礼拝を繰り返しながら心ではあぐらをかいて、尊きみ教えを自ら貶めてきたのかもしれません。 布教使は如来様の「使い」であると言います。私たちの如来様は「もののにぐるをおはへとる」如来様です。おこがましくもその如来様の使いであるというのなら、予めお膳立てされたところでの布教だけに留まるのではなく、今まで法話というものを一度も「聞いたことがない」、更には「聞く気すらない」という人々に対して布教してこそ「使い」なのではないでしょうか?今まさに布教使の在り方が問われています。「布教とはこういうものだ!」と高を括って、従来のような受動的・消極的な布教形態で終始するのではなく、こちらから一歩前へ出て聞法者を拓いていくような能動的・積極的布教を研究・実践する一歩先の布教使が求められています。現代に布教使を名乗る以上、これからも私はその苦労を厭いません。

いのちの食べかた

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  • 作者: 森 達也
  • 出版社/メーカー: 理論社
  • 発売日: 2004/12
  • メディア: 単行本


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編集後記 [2002年10月1日号(第69号)]

◎去る9月22日の朝刊に、「中国共産党組織部長が、首相の靖国神社参拝に遺憾の意を示し、問題解決にはA級戦犯の分祀が必要と言及」と報じている。
◎首相の靖国神社参拝に対する外国からの批判を「内政干渉」と憤りを露にする人は多い。しかしそれは歴史の不勉強の故と言わざるを得ない。
◎多数の強制連行を受けた中国を例に取ると、わが国との国交回復交渉の時、中国は「あの忌まわしい過去の責任が全ての日本人にあるのではない、一部の軍部である」との見解に立ち、わが国への賠償請求を放棄した経緯がある。
◎その中国が「A級戦犯合祀」に言及するのは当然ではあるまいか。
◎一方、靖国神社へのA級戦犯合祀は、「戦勝国による裁判によって、一方的に戦争犯罪人にされた彼らこそ昭和殉難者である。合祀は当然」という「東京裁判否定論・大東亜戦争肯定論」を根底にした国と神社側との合意による合祀である。
◎靖国神社はどこまでも、政治、戦争との関係が深い。
◎この四月から、武野総局の「拓く伝道」の具体化の一環として、現代の若者、そしてお年寄りまでを対象に布教のできる青年布教使・「布教専従職」を設けました。その選考基準に合致し、要請を受けて赴任したのが吉村氏です。今後の活躍を切望します。(崇信)


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国立墓苑構想の論点  託麻組・真行寺住職 藤岡崇信 [2002年10月1日号(第69号)]

 今わが教団では、靖国神社にかわる国立施設問題について大きな議論を呼んでいますが、その問題の所在の一端を報告し、ご判断の材料に供したいと思います。

 ご承知の通り、小泉首相は、昨年の自民党総裁選に、「8月15日、必ず靖国神社に参拝する」との公約を掲げ当選しました。しかし、それに対する国内外からの強い批判があり、突如、前言を翻し8月13日に参拝しました。 その目先を変えた手法にも海外からの批判は大きく、それに対応すべく、十二月、官房長官の私的諮問機関「追悼・平和祈念のための記念碑等施設の在り方を考える懇談会」が発足しました。 この会の進行内容がインターネットで公開されていますが、6回目の会合でその施設の理念を次のようにまとめています。

 「明治維新以降我が国が係わった対外紛争(戦争・事変)における死没者及び先の大戦後我が国の平和と独立を守り国の安全を保つための活動による死没者は、極めて多数に上り、今後、不幸にもこのような死没者が出ることも否定できない。」(抜粋)と、そこには過去の「侵略」の反省はなく、次の戦争を想定した施設であることが窺われます。

 このような国立施設設立の具体化に対し、今日まで首相の靖国神社公式参拝に反対し、靖国神社にかわる「無宗教の追悼施設」を要望してきたわが教団は、7月30日に総長他11名が呼びかけ人となり、「新しい国立追悼施設をつくる会」を設立し、国に施設推進を要望したのです。(※この「つくる会」への参加経緯と趣旨については、『本願寺新報』9月20日号の二面、総長報告の記事をご参照下さい)

 私は、6月末にわが教団のこの密かな準備段階の情報を入手し、28日には、早速総長、議長宛に「近隣諸国の批判をかわすだけの国立施設では、第二の靖国になる。靖国か国立墓苑かという二者択一ではなく、何故国家が戦死者を追悼するのか、何故国家儀礼が必要なのか等々、まだ教団内で十分な議論が行われていない。『有用な教団』を主張し『真宗』を放棄した過去の負の実績を繰り返すべきではない」との書状を送りました。

 7月25日には、教学伝道審議会が開かれ、この問題が中心議題になるが、どう考えるかと委員の人達からの問い合わせがあり、私は前記のことと、この重大な問題の結論を決して急ぐべきではないと思うと申し、また当日の会もそのような結論になったと聞いていたのです。

 ところが、この委員会の結論をも無視し、総長はその直後、即ち30日の「つくる会の実働」となったのです。

 この総局の「暴走」に対して、8月1日、中央基幹運動推進相談員は「追悼は国の施設ではなく、各人の信条信仰に基づいて行うべきであるというのがご門主の意向である。『つくる会』の主張は、一見首相の公式参拝をさせない代替施設案のようであるが、戦争賛美の第二の靖国になる。」(主旨)という内容の抗議文を総局に、教区基幹運動相談員にも文書を送付したのです。

 総局は、この相談員の行為を、宗務員規定に違反し、宗門の秩序を乱すという理由で宗務員懲戒に付し、休職を命じました。

 この処分に対して、各教区の基幹運動関係者は、中央相談員を支持する立場を表明しています。
 その後、総局はどういう意図か、八月六日付で、全教区に対して意見集約の依頼を発したのです。その内容は、「国による新たな追悼・平和祈念のための施設に関して」他三点ですが、実はこの作業こそ事前に行うべきことであり、順序が逆と言わねばなりません。

 一方、これまで教団の靖国への対応に対し、要請文や抗議文を送り続けてきた「真宗遺族会」「反靖国連帯会議」は、この国立施設問題惹起後も、直ちに総局を諌める文書を送付し、総長に会って強く反対の意向を伝えました。

 その主張の要点は、
①わが国は近年、戦争への道を加速化しつつある。
②それと呼応する動きが「国立施設」構想であり、それがどういう形態であれ「国のための死」を求める国家の思惑がある。
③どこからも非難されない「国立施設」というが、これは靖国と表裏の関係、「第二の靖国」そのものである。と国家が人の生死の意味づけをし、管理統制、支配すべきではない。また国家に全てを委ねない各自の個の確立の営みこそ、靖国から解放される一歩であると訴えています。

 尚、意見集約の結果は、教団の対応に一教区が賛成、一教区が両論併記、他は概ね反対意見であったと聞いています。しかし先の臨宗で総局は、この結果如何による軌道修正はしない、もし「つくる会」とわが教団の意向が異なった場合、即刻脱会すると答弁しました。私はその脱会の時期を失しないようにと釘を刺しましたが、一体どのような結末を迎えるのでしょうか。

 私たちは、正確な情報のもと、わが教団の行方に誤りなきよう真剣な論議を続けねばならないと思います。

兵戈無用―真宗遺族の悲しみと願い

兵戈無用―真宗遺族の悲しみと願い

  • 作者: 大分 勇哲
  • 出版社/メーカー: 法藏館
  • 発売日: 2006/03
  • メディア: 単行本


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