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2008年1月1日号(第90号) ブログトップ

有縁の方々へ(続)  小山慧水 [2008年1月1日号(第90号)]

  昨年の六月十二日に行なわれた九州・沖縄同朋運動推進協議会の講師・角岡伸彦師のお話は興味深いものでした。著書『はじめての部落問題』や、NHKテレビの「クローズアップ現代」で予備知識はあったものの、実物はさわやかな好青年といった感じの人でした。


 講演の主題はその著書に明示されているので省きますが、仏教に対する謙虚な帰依のことばに安心感を覚えました。同時に印象深かったのは、人には自分を体制側に置きたいと思う願望があり、今の本願寺教団はまさしくその状況にあるという、ジャーナリストとしての発言でした。そして、物がやがて朽ち果てて行くように、組織というものもやがては崩壊し、あとに伽藍だけが淋しく残るのが歴史のならいであり、真宗教団もその例外ではない、といわれました。この指摘に、末寺の坊守として思い当たる点は多々あります。


 御本山から送られて来る印刷物や、永代経法要の案内の押しつけがましさに、上から下へという組織の息苦しさを感じます。一人ひとりの御門徒の生死に立ち会い、それぞれに応じたおとりつぎをするのが末寺の役目と私は考えます。そこに本山が立ち入り、一律の懇志を示し院号の勧奨をするのはどういう了見なのでしょうか。教団は、すでに自身の維持のために内向きの目しか持たなくなったのではないかという不安を感じます。


 真宗寺院においては、住職の配偶者は社会的に坊守という役割を与えられています。僧侶が非僧非俗なのですから、坊守も当然そうした生活を心がけ、念仏者の生活のあり方を示すべき立場にあります。それによって、家庭を持ち子を育てるという在家仏教が支えられ、育まれてきたのです。私はこれこそが念仏者の社会参加だと考えます。この社会参加を妨げるのは、ほかならぬ教団組織にあります。


 私の遠縁にあたる若い坊守さんの話ですが、「京都に行って、あれしてきた」というので、「団参?」とたずねると「ほら、男の人は頭剃ってやる、あれよ」と言います。得度という意識すらなく、旅行にでも行ったような手軽さで語るのを聞いて茫然としたことでした。同朋運動やビハーラ活動などで、男女共同参画が話題になりますが、僧侶の半数が女性という本願寺教団では、すでに男女共同参画は成し遂げられたと考えるべきでしょう。それが真の参画になるのを妨げているのは、一人ひとりの意識の問題と、現体制のあり方だといえます。


 私は三年ほど前、教区の婦人会で「五間御堂の三代目」という言葉を聞きました。何の事か意味がわからずにおりましたら、隣に坐っていた坊守さまが、新参の寺院を誹謗する言葉だと教えてくれました。これは寺族内部から生まれた言葉でしょう。大都市圏東京で、拠点となる寺院の設立が遅れたのも、自分たちの中にあるこうした差別意識がその原因といえるでしょう。


 私のお寺は典型的な都市型寺院といえます。この十年ほどで戦前・戦後の世代交代が完全に行なわれ、何もかもがゼロからのスタートという状況です。共同体の義理人情でつなぎとめるという檀家制度は崩壊し、法座にお参りする人は個人として強い意志を持った方々が中心です。


 東京ではすでに三割が葬儀をしない時代です。葬儀が経済を支える寺院は危機感をあらわにしていますが、むしろ葬儀を教化のご縁ととらえる姿勢こそ危ういというものです。逆にいえば、今、寺院は慣習から解き放たれ、親鸞聖人のお念仏に立ち返る絶好のチャンスを迎えていると考えることができます。


 去る十月、私は沖縄で小児科医をしながら家庭法座を主催されている知人を訪ねました。三十年近く聞法を重ねてこられたご夫妻で、自宅を開放して自身の味わいを語られる法座には、その足跡を慕って三十人ほどの人が静々と集い、仏法に耳を傾け、また去っていきます。ご夫妻の合言葉は、「サンガよ起れ!」だとお聞きしました。何ものにも束縛されない「ただ念仏」の姿がそこにはありました。


 私は沖縄には特別の思いがありました。亡くなった父は大変なへそ曲がりで、私はその偏屈ぶりを哀れにも思っていたのですが、五十年勤めた住職を引退したその日、「この寺の本堂から、何人の人を戦場に送ったか・・・」と言って声を詰まらせました。以来、私は戦場となった沖縄を訪ねることを私の義務と思っていました。しかし、何度か沖縄に行くうちに、私の役割は少し違うのではないかと、宜野湾に立ちながら思うようになりました。


 「基地の轟音の下で暮らしている私たちには、色々な思いもあるけれども、私たちは別に暗く沈んで生きているわけではない。ここが私の生きる場所であり、元気で明るい暮らしがあります。しかし、フェンスの向こうの若い米軍兵士たちは、今まさに戦争の只中なのです。その彼らに、本当の安らぎを伝えたい、親鸞聖人のお念仏を伝えたい」というご夫妻の言葉は、本当に尊いものでした。


 二十年ぶりに訪れた沖縄が、お念仏のご縁であったことは、私の人生で何よりの喜びでありました。
 時は流れ、風は吹き、日々の営みは変わることはありません。私の営みを支えてくださった有縁の方々に、心より御礼申し上げます。

十二月八日、成道会に。 合掌。

はじめての部落問題 (文春新書)

はじめての部落問題 (文春新書)

  • 作者: 角岡 伸彦
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2005/11
  • メディア: 新書


宗教者に期待すること  石田博文(平和憲法を活かす熊本県民の会・事務局次長) [2008年1月1日号(第90号)]

 「国及び公共団体は、社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超える宗教教育その他の宗教的活動であって、宗教的な意義を有し、特定の宗教に対する援助、助長若しくは促進又は干渉となるようなものを行ってはならない。」(自民党改憲案・第20条第3項「信教の自由」)。 
 「公金その他の公の財産は、第20条第3項の規定による制限を超えて、宗教的活動を行う組織又は団体の使用、便益若しくは維持のため、支出し、又はその利用に供してはならない。」(自民党改憲案・第89条「公の財産の支出及び利用の制限」)。 

 靖国神社への公式参拝が憲法で認められれば、戦前のように、各自治体が競って靖国参拝へ駆けつけるでしょう。そのうち学校単位で靖国詣でを始めるでしょう。戦争は、ある日突然始まるものではありません。好戦主義者は情勢を熟成させながら、仕掛けを一段ずつ進めるのです。そういう意味では、「戦争」はもう始まっているのかも知れません。天皇の権威を高めるために神道が利用され、仏教、キリスト教が弾圧されました。西南戦争からの戦死者を靖国に祀ったように、天皇のために命を落とした軍人を神にしたてることでアジア侵略の精神的支柱としました。今再び、この道を歩もうとしているのです。
 
 私たちも含めて、「憲法を守ろう」「憲法を活かそう」との願いをもって、多くの平和運動、市民運動があります。しかし、残念ながらそれぞれがばらばらに活動しています。それでも大きな意味はあります。一つのグループ、一つの団体では、包摂しきれない多くの市民を小さくても多くのグループが、網の目のように張り巡らすことで、隅々まで手が届くからです。大切なことは、これらの多くのグループ、団体が「憲法9条を守る」という一点で総団結しなければならないことです。


 宗教者の方たちは、宗派などの違いを超越して平和のために憲法第9条を守る、という願いで結集されています。心から敬意を表します。


 熊本での平和運動を見るとき、「くまもと9条の会」が組織され、そこに参加するグループの立場をお互いが尊重し、協力しあって活動しています。こうした平和運動への宗教者の方たちの参加は大変心強いものです。


 平和運動に政党が参加することは、当然なのですが「政党に利用される」と受け止める方もおられます。国政選挙での護憲政党の大同団結は大きな意義を持っています。統一した選挙母体を組めば、政党に結集しきれない多くの平和を願う方たちが参加して来るからです。2007年7月の参議院選挙では、学者・文化人の方たちが護憲統一団体「9条ネット」を呼びかけましたが、共産、社民とも参加せず独自で選挙を戦い敗れました。統一戦線の経験のない日本の弱さでもあります。

 護憲勢力の団結を、私ども「平和憲法を活かす熊本県民の会」は呼びかけています。改憲手続法である「国民投票法」が安倍内閣のとき成立しました。まだ、多くの国民が国民投票になったら勝てる、と思っています。しかし、改憲勢力である自民党、財界は、学者やマスコミを動員して改憲の方向をリードしてきます。改憲阻止のグループや団体がバラバラで対抗しても吹き飛ばされてしまうでしょう。改憲勢力には、国民投票のやり直しはない、という強い意思で全体制をフル動員して仕掛けてくるのです。


 これからの数年、 憲法を巡る情勢は急展開する可能性があります。その時になって慌てないためにも、改憲阻止の大きな団結の輪が大切なのです。


 宗教者の皆さんは、損得を離れた強い信念がおありです。信念に基づいた行動力ほど強いものはありません。一人でも多くの方たちに平和の尊さ、憲法改悪の真意を語りかけて下さい。平和を願って行動するグループ、団体に統一して行動することの大切さを呼びかけて下さい。

超日本国憲法

超日本国憲法

  • 作者: 斎藤 貴男, 鈴木 邦男, 潮 匡人
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2007/11/07
  • メディア: 単行本

 


 ともに手を取り合って頑張りましょう。


編集後記 [2008年1月1日号(第90号)]

◎大谷本廟は、今も祖壇納骨や無量壽堂参拝の方が途絶えることがありません

◎しかしその中、墓の承継をしたくないという家族間の思い、祖壇納骨に分骨ではなく「全骨」の申込みをする人が徐々に多くなり、そこに日本人の宗教観・先祖観の変遷を垣間見る思いがします

◎親の墓の維持管理すら重荷と感じる世代間の断絶、この潮流は、都会から地方へと着実な流れをなすものと思われます

◎小山慧水坊守の「今、寺院は慣習から解き放たれ、親鸞聖人のお念仏に立ち返る絶好のチャンスを迎えている」との如く、今後の寺院の在りよう、教化視点の大転換を迫られている今日的状況と思われます

◎石田氏には宗門外からの提言を頂きました◎自民党の改憲案による二〇条・八九条の改正が実現した場合、一番喜ぶのは、社会的儀礼や習俗として公的地位を得る神道でありましょう

◎公費の補助も合憲となり、公教育を始め、公的機関に組み込まれ、同時に最終目的・靖国神社国家護持の路線が敷設されるのです

◎石田氏は日頃から「宗教者の皆さん、今こそ一緒に起ち上りましょう!」と呼びかけられています

◎「こだま」は今号を数えることになりました。皆様のご援助を深謝しますと共に、今後の更なるご教導をお願い申し上げます。 〈崇信〉


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