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護持口数調整作業を振り返って  安養寺前住職 隈部真澄 [2005年7月1日号(第80号)]

 熊本教区は自主的に「護持口基本数調整」の作業を、蓮如上人五百回遠忌法要の後から取り組んだので、通して言えば七~八年経過して、漸く本年三月、臨時教区会で承認を受けた。満場一致でなく付帯決議「二年を目処に三年以内に見直す」をつけての承認である。この結果を受けて、調整委員会は、三月末をもって任期途中の辞任を取り纏めた。

 当初、議長を中心に組長を委員として調整作業を始め、後に相談員を交えて頓挫し、最終的には、宗門の護持口数調整作業に沿って、一言で言えば「数合わせ」で終了したことになった。何れの場合も、寺院の実態をを把握し、格差をなくした平等の負担を目標としたが、具体的な作業に入れば「自利利他」の理念は飛散し、「自利々々」に執着したことに終始したとしか言いようがない。

 そもそも、1951年、新しい「宗教法人法」が施行された時、「届出」門徒数とした辺りから基本線が間違っていた。組長の認識、各寺院住職の認識がまちまちで、実数と届出数との格差は夫々に違っていた。

 その後、1968年に「護持口数」として、各寺自主申告した数値が基本的には賦課基準とされてきた。松村総長は、九州組長会で「賦課基準の見直しには、護持口数は調査しても減るばかりなので賦課の要素にはしない」と発言された。しかし武野総長は「蓮如上人五百回遠忌法要に関する懇志進納状況を分析すると、近畿周辺が負担が多く、地方が軽くなっている点は今後見直すべき」と発言された。

 今回の調整では、教区全体の口数は中央で決定され、総数八十万口は変えず、教区によって増減調整がなされ、熊本教区の場合、43324口から30184口に1314口(30%)減は歓迎されたが、寺班賦課の廃止、僧班賦課は上部は減じ、下部は増す等、複雑な賦課基準になり、実態は告知書を見るまで不明という状況になっている。

 さて、今は情報の公開性が要求されている。熊本県は公開性ではワーストの部類に報道されている。そのような県民性からか、私たちの寺院の情報公開を問われたら、むしろ閉鎖の状況ではなかろうか。寺院運営の基本的財務に関わる「護持口数調整作業」が僧侶のみで、門徒の参加がない点も考えてみれば不思議なことである。各寺院が「宗教法人法」に則り、何時情報公開を求められても常に対応できる体制を整えることが大事と思われる。釈尊の時代、修行僧は早朝に托鉢に出向き、佛さまに敬供し、その中から一日のいのちをつなぐ最小限の食事を頂いたと聞きます。この事は宗教法人運営の基本を示唆しています。

 今後、新しい護持口数調整委員会が発足しても、実態をそのまま報告するという簡単で基本的な事が遵守し、実施されなければ、永遠に格差への不満は解消されないと思う。

 昔から寺院にあった機能、地域での学習指導(寺子屋)、福祉(駆け込み寺)、住民の把握(門徒届け)等々が消え、最後に残った儀式執行も形骸化し、都市化の中で寺院無用の「お別れの会」をホテルで開催する傾向に、どのように対処していくのか、今問われている課題である。真摯に寺院の本来性を思考し、地域に開かれた活性ある寺院を目指す課題を、門徒の方々と共有することが、「御同朋、御同行」に連鎖することと思います。

 親鸞聖人は『顕浄土真実教行証文類』総序に「・・・・ああ、弘誓の強縁、多生にも値ひがたく、真実の浄信、億劫にも獲がたし。たまたま行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ。もしまたこのたび疑網に覆蔽せられば、かへってまた曠劫を経歴せん。誠なるかな、摂取不捨の真言、超世希有の正法、聞思して遅慮することなかれ。」(注釈版132頁)と提示されています。今まさに、すべての行動を検証し、「正法」に恥じない私たちでありたいと思います。  (長洲組)

浄土三部経 現代語版

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  • 出版社/メーカー: 本願寺出版社
  • 発売日: 1996/11
  • メディア: 単行本


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