『自信教人信』の願いに燃えて2 仏縁に恵まれて 林田興文 [2006年1月1日号(第82号)]
平成11年3月、私の35年間にわたる教職人生は、終焉を迎えることになりました。世間一般では、よく「大過なく」と言われますが、私にとっては大過ばかりでありました。
しかし、今振り返ってみると、色々な課題と直面した大過によって、自分自身が育てられ、これまでになかった信念が、創り上げられた思いがします。人は誰でも、難問から避ける道を選びがちですが、積極的に関わることで問題解決に結びつき、ひいては自己の成長につながることを実感しました。
さて、退職後の第二の人生をどう設計するか、このことはりタイヤした者にとっては、避けて通れない課題です。生涯学習と言うことが言われて久しくなりますが、生涯学習とは私たち一人ひとりが、生涯を通して「生きがい」を求めて学ぶという理念であり、従来の学校依存の考え方を大きく転換するものです。
そこで、私は私の生涯学習の場として選んだ道が、中央仏教学院の通信教育で、退職の年に入学することにしました。私が仏門にはいる決意をしたのは、私には一つの伏線がありました。
実は、私の家族は、終戦の翌年2月、満州から佐世保の南風崎に引き揚げてきたのです。私たち家族は、幸いにも離れ離れになることもなく、当時8歳であった私は、残留孤児になることを免れました。
佐世保の引揚者収容所で一週間程度過ごし、一足先に帰国していた父の迎えを待ちました。そして、父に連れられ郷里の熊本市に帰ることができました。しかし、戦後の混乱した時代であり、自分が生きることで精一杯な時に7人の家族の面倒を見てくれる余裕のある家庭などあるはずもありません。
そのような時、私たち家族を迎え入れて下さったのは、伯父の近所にありました「覚法寺」(当時は出水にありました)様でした。父が日曜学校の先生をさせていただき、父の仕事が見つかるまでの数ヶ月、私たちは覚法寺のお御堂で過ごすご縁をいただきました。
今考えてみると、すでにその時に私は仏縁に恵まれていたのです。この出来事が、私を自ずと僧侶の道へと導いたように思えます。
中央仏教学院通信教育での3年間は、すべてがゼロからのスタートであり、最初の1年間はなかなか理解が難しく、学ぶことに集中できない状況でした。しかし、学びを深めていくうちに、徐々に意欲が感じられるようになり、仏法を学ぶことが喜びに変わってきました。
何とか3年間の過程を終え、平成15年8月に卒業することができ、翌年1月の得度習礼を受講し、僧侶としてお認めいただき、了圓寺衆徒に加えていただきました。
さらに、平成16年12月には、教師教修を受講させていただき、教師の許状をいただくことができました。
現在、法務員として月忌参りのお勤めをさせていただいております。お参りをしながら何時も思うことは、ご門徒のお一人おひとりが、何らかの不安や心配を抱えながら日々生活されておられると言うことです。
今の私には、その一つひとつにお応えすることはできませんが、ただ努めてお話しを聞かせていただくことにしています。それにもかかわらず、また次の月忌参りを待っていただけることに、ただただ感謝するのみです。
私は、阿弥陀様のご本願を聞き開かせていただけたことで、これまで持っていた教師としての奢りや自己中心的であった姿に気づかせていただくことができ、心にゆとりさえ感じられるようになりました。
いつもお念仏のなかに住まわせていただき、必ずお浄土に往生させていただけるわが身の幸せに感謝しながら、しっかりした足取りで、第二の人生を勉学・布教に努めさせていただきたいと願っているところです。
先輩諸師のお導きを、宜しくお願いいたします。(球磨組・了圓寺衆徒)
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