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『自信教人信』の願いに燃えて1  布教の道を目指す人々  邊春正顯 [2006年1月1日号(第82号)]

 父親の死を縁に、仏法聴聞の機会が訪れた和歌山のKさん。Kさんのお父さんが亡くなられ、お通夜の時にお寺のご住職がご法話をなさった。それを聞きながら、今まで他人事としか考えていなかった死というものを、わがこととしてとらえるようになったそうです。その後法事などでの仏法聴聞の機会が増すにつけて、仏法への関心が強まり、とうとうお寺のご住職に仏法を学ぶ所をご教示願いたいと相談をしたら、京都の中央仏教学院を紹介されたそうです。中央仏教学院での学びを通して、自ら得度をし僧籍を得られました。そうしてさらに、この仏法を多くの方々に伝えたいという思いが強くなり、勤務していた宇宙開発事業団の職を退き、伝道者として歩いて行くべく、布教使補の研修会に参加されたそうです。

 母親の死をご縁に、お寺参りをされるようになった大阪のIさん。Iさんのお母さんは、よく大阪の津村別院に、お参りされていました。そんなお母さんの姿を冷たい目でみていたIさんでしたが、お母さんの死をご縁に、母が参っていた津村別院に参詣し、お説教を聴いているうちに、いままで無関心であった仏法への思いが目覚めました。そして聴聞を重ねるうちに、高槻に行信教校というところがあることを知り、より深く仏法を学べるということで入校したそうです。行信教校での学びを通して、この教えを一人でも多くの方々に知っていただきたいという思いが強くなり、得度をして布教使補の研修会に参加されたそうです。

 奥さんが仏教婦人会でのお世話を通して、布教使の資格を取るまでになられたことに刺激を受けて、自分も仏法に心を向けられた広島のKさん。中央仏教学院に入学後得度をし、学びの中から伝道の思いが強まり、会社をやめて衆徒であるお寺の手伝いをしながら、奥さま同様布教使の資格を取るべく布教使補の研修会に参加されたそうです。Kさんの持っておられる注釈版聖典は、色鉛筆などでの書き込みや線引きがものすごくしてあり、聖典そのものが分厚くふくれている感じがしました。その他のお聖教や書籍なども数多く持参されていて、よく読み馴らされていてものすごく勉強していらっしゃるなあと感心しました。

 以上はわたしが布教使補の研修会に参加して体験したことのいくつかの例です。この研修会に参加することで、自分の甘さと今まで全くと言っていいほど見えていなかったことを数多く知ることができて、驚くと同時にとても貴重な有難いことだったとつくづく思っています。研修会に行くまでは、この研修会に参加し、講義を受けて、試験(ペーパーテストと布教実演)に合格すればすぐに資格が得られるだろう。布教使の資格を取りに来る人は、どんな人がいるのだろう。お寺出身の若い人が多いだろうなぁ。私のような還暦を過ぎた者は恥ずかしいのではなかろうかなど、漠然とした軽い気持ちでいたのですが、とんでもない誤りでした。甘い自分自身の考えを厳しくたたき直させていただくと同時に、いろんな発見がありました。

 まず驚いたのが、中高年の人、特に50歳・60歳代の方が数多く(わたしもそうですが、三分の一前後)いらっしゃることでした。

 次に、女性の受講者の多いこと。60名前後の参加者のうち、ほぼ四分の一が女性でした。そして、何より驚いたのが、在家出身の方の多いことでした。先に挙げました例のように、参加者の二十名前後は在家出身の方でした。父や母、祖父・祖母の影響を受けたり、寺の住職のお導きや、お説教を聞いた時の師の感化を受けたりなどで仏法への関心がめざめ、中央仏教学院や行信教校での学びを深め、得度をして僧籍を得て、さらにその仏法を伝えたいと思っていらっしゃる方々が、全国にはたくさんいらっしゃるということがわたしのいちばんの驚きでもあり、尊いことだなあと味わわせていただいたことでした。

 寺に生まれ寺で育ったわたしが、自分自身の甘さ、浅さ、驕りなどに気づかせていただき、反省させられ、襟を正してまず自分自身が仏法を学び、聴聞していかなければならないことを教えて下さった本当に貴重な研修会でした。〔山鹿組・明泰寺住職〕

平野修講義集〈上〉浄土往生の仏道

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