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国立追悼施設問題を巡って①  北豊教区 有光顕澄 [2003年10月1日号(第73号)]

 靖国に代わる無宗教の国立追悼施設問題が、俄然クローズアップされてきた背景の一つに、自衛隊の海外派兵殉職者の国家による追悼問題。そして、首相小泉の度重なる靖国神社公的参拝をあげることが出来る。

 首相小泉は国内的には自民党をぶっ壊してでも改革を断行するなどと、およそ出来もしない絵空事で国民を翻弄しているのが実体である。一方、外交に対しては何らの定見を持ちあわせていないとの評判が専らであり、特に中国や韓国などのアジア外交は不評である。更にいえば国益を大きく損ねているのである。

 そこで福田官房長官が一考して、私的諮問機関を設け、取り敢えず昨年の12月24日に「平和追悼施設の必要性」などを柱とする、「追悼・平和祈念のための記念碑等施設の在り方を考える懇談会(今井敬座長)」の意見がまとめられた。

 では、西本願寺教団内の動向はどうであったのか。2001年8月13日、総長は、小泉首相の靖国参拝への抗議声明を発表し、その中で、新しい国立追悼施設の必要性に言及する。これは、基幹運動本部関係などとの協議を経ず、総局独自の見解であったようだ。

 この事から、2002年度の基幹運動計画書に於いて、「靖国神社にかわる国立の非宗教施設についての論議が国の政治の場で進められている現状がありますが、戦争を補完する意味を持つ「第二の靖国」にならないよう、その論議の行方を厳重に見極めていく必要があります。」と、新しい国立追悼施設の必要性については、危険な動向であるとして、注視すべきと述べている。 総局は、新しい追悼施設の必要性を主張するが、基幹運動本部関係(者)は、国家の動きに対して非常に危険な動向であるとの見解に立っていた。

 ところ事件が起きた。それは、2002年7月末に、総局は急遽、「教学伝道審議会」を開き、国とは別個の「新しい国立追悼施設をつくる会」への入会を前提とした会議を持って、宗会内の既成事実作りに動いた。そして、教団内のコンセンサスや運動策定上の諸手続きを経ないままに、「つくる会」設立を主導するとともに、間髪を入れずに首相官邸へ「申し入れ書」なるものを送付し、即日マスコミ発表を行った。

 昨年八月以降の、基幹運動は中央相談員の懲戒処分問題を始め、本部員会議や中央委員会。そして、全教区の基幹運動推進委員会を巻き込んだ一大騒動へと事件は発展していった。また、在野の運動体である反靖連、真宗遺族会、備後の「靖念会」など、機敏に反応し、全国532組の組長へ、総局の取った態度や、全国の「基推委」の意見集約などを送付して問題を喚起していった。

 一方、運動本部員と中央委員が連携して、宗会議員への総局への「通告質問五項目」などの働きかけを行ったが、責任追及は不調に終わった。

 この間、総局と各教区「基推委」、在野の運動体の間には不信感と運動への危惧が増幅するのみであった。同時に、立法府としての宗会と運動推進の「基推委」との間にまだまだ隔たりがあることが、我が教団の問題として改めて浮上してきたと言える。

 つまり宗会というところは基幹運動を強力に進めていく姿勢が極めて希薄であることが露呈したと言える。

 国立による追悼施設問題を考えるとき、わが教団は、過去の過ちが国家の施策に無批判に追随したと総括していながら、今日、何ら生かされていないという教団の現実や、基幹運動の実体があるといえる。また、私は、敗戦五十年に営まれた福岡県での県主催による戦没者追悼式を問題して、監査請求から追悼式に要した費用の返還訴訟を手がかりに、戦没者追悼を問うてきた経緯がある。そうしたことから、国家による追悼とは如何なるものであるのか?。また、本願の念仏に依拠して生きる真宗者の立場から、戦没者の追悼は如何にあるべきを改めて検証しなければならない問題を内包していると考えている。

 次回こうした問題を整理して投稿したい。(続) (京仲組・真行寺住職) 

国家と祭祀―国家神道の現在

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