SSブログ

真宗風土記(下)熊本の場合  熊本組・善教寺前住職 本田里一 [2002年1月1日号(第66号)]


     力強い教化の底流
 次に目を移して教化の方を見よう。熊本には古来妙好人的な篤信者はいなった。仰誓師等の合著になる「妙好人伝」には肥後の人として「法順」とう禅門と、「源助」という町人の二人が紹介されているが、それ以外に篤信者の物語りなど巷間に伝承されている者はない。

 教化の現状を見るとあまり活発でない。山陽、山陰の地方から時々一流の布教使が来講するが、参詣者は老年が多い。それも年々減少の傾向にある。青年層にしてよりつくものは極めて少ない。「今の老人が死に絶えたらどうなるのか。」「今の青年が其の時は老人になっているからかまわない」というのでは情けない。

 しかしながら地味で目だたないけれども、コツコツとして心田を拓いているいる人達のあることも心強いことである。例へば「本願寺新報」に曽て「一隅を照らす人」として紹介されたことのある泗水浄信師の如き人がいるのは心強い。師は若い頃一燈園に入って下座行の精神に参入し、龍大を出てからは福井の佐々木徳潤師について信仰の上では辛酸をなめた人で、温厚篤実素朴謙虚な努力家である。性頗る無欲活淡で、ある時は前科無頼の徒を家に入れて寝食を共にして面倒を見たりする。その徳行は次第に四隣に感化を及ぼしている。自ら持すること甚だ厳しく規律があり、人を許すこと寛大、師の如きは珍しい。近来は軽い中気の為門を出ること少なく、専ら読書に親しみ特に『教行信證』と取り組んでいる。人間五十を過ぎると『教行信證』が懐かしくなるが、師も亦そういう年齢になっているのだ。

 高千穂徹乗師も亦力強い教化を与えている。病気の為に龍大を辞してから、故山に帰臥してから「法輪の会」を主宰し研究のかたわら教化用のパンフレットを書いて恩寵の福音を説いている。磨かれた人格とあたたかい温容とは和らかい春風の如く接する人の心を和らげる。声なき説法は声の説法よりも、ここではさらに有力である。泗水師の場合といい、高千穂師の場合といい、其の教化とは弁舌や筆端にのみあるのではなく実に信ずる所篤く、行ずる所深い人格にあることを深く反省せしめられる。

 これからの教化はいかにあるべきか。これは広く宗門再出発の重要課題である。このむずかしい問題に身をもって解かろうと熱心に努力する若い人達の集まり「和光会」というのがある。熊本市及び周辺の若い住職達によって結成されたものであるが、
従来忘れがちであった各寺院の横の連絡を密にして互いに協力し合い和光会員相互に講師となり合って和光会の定例講座を開いて布教に新鮮味をもちながら教化技術の研究をするという一石二鳥をねらっている。そして時々大会を開いて中央から名士の来講を催したりする。

 昨年は藤沢浄円師が見え、今年は川上清吉氏が来られた。中央から大物を招待することが出来るのも、寺院間に横の連絡があって相互に協力しあうからである。一ヵ寺単独では出来難い事である。和光会の結成以来日がまだ浅いので実効を云々するのはまだ早い。今後の活躍が大いに期待されるのである。要するに教化の方面では華々しくないが、力強い底流が徐々に動きつつあることは疑いない。

 学事の紹介の際もらしたが、在野の学者として能令実円師が今なお健在であることもいっておきたい。師は速満勘学の裔で早くから宗乗、余乗の造詣が深く、久しく自坊に仏教学院を開いて地方の宗門子弟の教育に当たっていたが、今は閉校している。宗会議員にも出たが、師の面目はむしろ学にあると思われる。

 最後に布教家について述べたいのであるが、熊本の住職は、檀信徒の読経に忙しく布教方面に進出するものが少ない。従って優秀な布教家が少ない事はさびしい。山田法川・大久保三藏・源賢随隨師等があって大いに県外に活躍している。

 優秀な布教家が少ないことが熊本県の信仰沈滞の一因をなしていることも事実であろう。

親鸞と浄土真宗 知れば知るほど

親鸞と浄土真宗 知れば知るほど

  • 作者: 山崎 龍明
  • 出版社/メーカー: 実業之日本社
  • 発売日: 2006/06/30
  • メディア: 単行本


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:学問

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。