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<仏法ひろまれ>私の文書伝道  京都教区教務所長 嶌頭円成 [2008年4月1日号(第91号)]

 皆々さまには、熊本別院在職中にはいろいろとご支援ご指導を賜りましたこと、改めて厚く御礼申し上げます。数々の貴重な経験や思い出を糧に、京都でも一つひとつの出遇いを大切に勤めさせていただきたいと思っております。

 このたびは貴重な紙面をお借りし、自坊にて発行しております寺報「ふれんず」について紹介させていただきます。

 いま、私にできる伝道活動の一つとして、毎月一回寺報を門徒さんにお届けしています。平成十年一月に創刊号を発行してから、今年で十一年目を迎えました。

 私のお寺は滋賀県の小さな村にあり、いろいろな習俗や習慣が残されています。とくに葬儀などのときには、真宗にはふさわしくないことも多く見受けられます。数少ないご法要の法話だけでは、なかなか思いも伝わらず、門徒さんに浄土真宗のみ教えや基本的な作法などについて、なんとかうまく伝えることはできないだろうかと考えておりました。

 ちょうどそのころ、ご本山では蓮如上人五百回遠忌法要(平成十年)の準備が進められており、その総合テーマが「変革(イノベーション)、合い言葉は「できることから始めよう」でした。

 蓮如上人といえば、すぐに思い出すのは「御文章」でしょう。浄土真宗のみ教えの要を簡潔に数多くのお手紙にしたためられ、上人のご尽力によってお念仏のみ教えは全国に広まりました。

 私に「できること」…「寺だよりを出してみようか…でも、続けられるだろうか、読んでもらえるのだろうか」…ためらっている私の背中を押してくれたのは「やってみたら」という、坊守の一言でした。蓮如上人には到底およぶわけはありませんが、「やってみよう」と決心したのです。

 宗祖親鸞聖人や蓮如上人の御同朋・御同行(同じお浄土への道を歩むお念仏のとも)のお心をいただき、みんなに親しんでもらえるようにとの願いから「ふれんず」と名づけました。

 その年の三月から勤まった蓮如上人五百回遠忌法要の御親教で、ご門主は具体的な活動の一つとして「寺だより、お寺からのたよりを門信徒の方お一人おひとりに届けていただきたい」とお述べになりました。このお言葉に「始めてよかった、できるかぎり続けてみよう」と、心を新たにし勇気づけられたことでした。

 あれから十年あまり、私自身の生活や職務上の環境はいろいろと変わりましたが、世の中の動きや考え方などはさほど変わってないように思えてなりません。

 相変わらず、目や耳を疑うような事件は後を絶たず、凶悪化、低年齢化の一途をたどっています。人間の欲求や欲望はとどまるところを知りません。一つのことがかなえられても、それが新たな欲望につながり、その欲望を満たすためには手段を選ばないというような、感謝する心やものを大切にする心を忘れてしまった人間を育ててきたようにも思えます。

  「心の時代」「心の教育」などと盛んに言われてきましたが、そんな言葉も、もう忘れ去られたかのようです。以前は幸せの代名詞のように言われた「家庭」においてさえ、親や子、孫までも、自らの欲望を満たす対象にするといった考えられないような事件も数多く起こっています。

 また、自らの命を絶つ人が年間に三万人以上おられるという報道も、もう何年も続いています。

 そのほかにも、「自分さえよければ、いまが楽しければそれでいい」といった人間としてのモラルを欠いた言動など、数え上げればきりがありません。怒りというよりも悲しくなってしまいます。

 仏教は「仏に成る教え」です。浄土真宗も、最終目的は阿弥陀如来のお浄土に往生し、仏に成るということでしょう。しかし、そのみ教えは、死後のことだけを説くものではありません。この世の縁尽きたとき、必ずお浄土に生まれさせていただくと約束されたこの私が、いま、このときをいかに生きていくのかを自らに問いかけることが大切だと思います。

 いただいた「いのち」、生かされている「いのち」、かけがえのないはかない大切な「いのち」、一人では生きてはいけない私であることに気づかされ、自らの生き方を見つめ直してほしい…そんな思いを少しでも「ふれんず」で伝えられたら…と思っています。

 わずかな門徒さんを対象にした「寺だより」で、世の中を変えようなんて、そんな大それたことは考えてはいませんし、できるはずもありません。でも、なにかのおりに「そういえば、ふれんずにあんなこと書いてあったな」と思い出してもらえたらと思うのです。

 そういう意味から、できるだけ身近な話題を取り上げ、気軽に読んでいただけるようにと心掛けてきました。
 何度も挫折しそうになりましたが、「読んでるよ~」「次が楽しみ」とのご門徒や有縁の方々の声に支えられて、ここまで続けてこられたように思います。

 いま思えば、単なる私のボヤキや自己満足にすぎないのかもしれません。でもそれは、私自身への問いかけであり、我が心へのいましめでもあります。

 「言葉は心のひびき、行いは心のかがみ」とか…これからも気楽におみのりにふれていただけるような「ふれんず」をめざして続けていきたいと思っています。(滋賀教区・徳勝寺住職)


少年犯罪―ほんとうに多発化・凶悪化しているのか (平凡社新書)

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