差別法名に学ぶ<差別法名・過去帳調査にあたって>3 島北皎誓 [1998年4月1日(51号)]
一九八四年六月二十六日付で、熊本教区矢部町墓石問題調査委員会は同朋運動本部へ「現段階における確認事項」を提出した。
その(一)は
墓石の「釈尼妙 信奴」は過去帳の記載と異なり、過去帳には差別的表示はされていない。従って差別法名とは速断できない。推測の範囲であれば様々な可能性も考えることが出来るが、いずれも現
段階では決定的根拠を示し得ないものである。従って差別墓石として規定する。
というものであった。
これは、三月三十一日に熊本教区矢部町墓石問題調査委員会が発足して以来の、約三ケ月間の学習会、研修会、懇談会の答えである。
新たな問いが発生した。
墓石の文字が過去帳の記載と異なったら、なぜ法名でないのか。又、そんなことを誰が決め、我々(僧侶でない者)はなぜそれを認めなければならないのか?
僧侶達は一九八三年から一九八六年にかけて行われた、第一回差別法名調査以来『過去帳に差別的記載がありはしないか、あったら責任が重大で大変面倒なことになりはしないか』というような危機
意識をもっていて、それが、その宗教のみに通用する過去帳絶対主義を突然のように持ち出し、責任のがれをしているのではないか?。
この新たな問いに、熊本教区同朋運動は不幸にも気付かず、責任について、法名について、文字について益々盛んな論争を行った。
誰が見ても奴隷の奴と読める刻字を前にして、『非常に大切で尊いもの(それはお墓の姿形と共に、刻字された文字により感受されるもの)として、お参りしていたのに奴とは・・・』と、絶句し、悲しみ苦しむ被差別者を忘れて、責任論・法名論・文字論を闘わせたのである。
同朋運動本来の、さまざまな学習活動を通して、差別の実態を学び、自らの差別性に目覚め、一切の差別を許さない運動とは場違いの作業を行ったと言える。
僧侶が過去帳を大切に保管することは重要な務めと言える。しかし、その絶対視は通用しない。
「過去帳と異なる文字は、たとえ墓石といえども法名とは言えない。」とする主張は、一般社会には通用しない。
このような場合僧侶は、一般社会の場に立つことが不得手であり、努力しないし、できない。逆に一般社会の者を「寺参りしない分からん者」と片付ける。
それで、一般社会から見る僧侶は、何かむつかしい事を言って、人を見下したように見える。僧侶に差別性を見るのである。
現実に、熱心な門徒でも位牌や墓石を「ご先祖に対しての有難い文字が書いてある」と、亡くなった人そのもののように礼拝供養している光景はよく見かける。よく見かけながら僧侶は、そのことに
慣れてしまって、何の痛みも感じなくなっていはしないかったか。
当時の私は田舎の一住職として「墓石に書いてある文字を差別文字と思える文字がある。僧侶の差別だ」と一方的に決めつけて言われても困る。過去帳には差別性は認められないのだから、いわれのない責任のなすりつけではないか。」と思っていた。そして「調査委員さんたちは大変だろうぁ。」と人ごとみたいに思っていたのである。
被差別者の悲憤とは全くかけ離れたところで、何の問題も感じず差別を克服した人としていたのである。(山鹿組・光正寺住職)
その(一)は
墓石の「釈尼妙 信奴」は過去帳の記載と異なり、過去帳には差別的表示はされていない。従って差別法名とは速断できない。推測の範囲であれば様々な可能性も考えることが出来るが、いずれも現
段階では決定的根拠を示し得ないものである。従って差別墓石として規定する。
というものであった。
これは、三月三十一日に熊本教区矢部町墓石問題調査委員会が発足して以来の、約三ケ月間の学習会、研修会、懇談会の答えである。
新たな問いが発生した。
墓石の文字が過去帳の記載と異なったら、なぜ法名でないのか。又、そんなことを誰が決め、我々(僧侶でない者)はなぜそれを認めなければならないのか?
僧侶達は一九八三年から一九八六年にかけて行われた、第一回差別法名調査以来『過去帳に差別的記載がありはしないか、あったら責任が重大で大変面倒なことになりはしないか』というような危機
意識をもっていて、それが、その宗教のみに通用する過去帳絶対主義を突然のように持ち出し、責任のがれをしているのではないか?。
この新たな問いに、熊本教区同朋運動は不幸にも気付かず、責任について、法名について、文字について益々盛んな論争を行った。
誰が見ても奴隷の奴と読める刻字を前にして、『非常に大切で尊いもの(それはお墓の姿形と共に、刻字された文字により感受されるもの)として、お参りしていたのに奴とは・・・』と、絶句し、悲しみ苦しむ被差別者を忘れて、責任論・法名論・文字論を闘わせたのである。
同朋運動本来の、さまざまな学習活動を通して、差別の実態を学び、自らの差別性に目覚め、一切の差別を許さない運動とは場違いの作業を行ったと言える。
僧侶が過去帳を大切に保管することは重要な務めと言える。しかし、その絶対視は通用しない。
「過去帳と異なる文字は、たとえ墓石といえども法名とは言えない。」とする主張は、一般社会には通用しない。
このような場合僧侶は、一般社会の場に立つことが不得手であり、努力しないし、できない。逆に一般社会の者を「寺参りしない分からん者」と片付ける。
それで、一般社会から見る僧侶は、何かむつかしい事を言って、人を見下したように見える。僧侶に差別性を見るのである。
現実に、熱心な門徒でも位牌や墓石を「ご先祖に対しての有難い文字が書いてある」と、亡くなった人そのもののように礼拝供養している光景はよく見かける。よく見かけながら僧侶は、そのことに
慣れてしまって、何の痛みも感じなくなっていはしないかったか。
当時の私は田舎の一住職として「墓石に書いてある文字を差別文字と思える文字がある。僧侶の差別だ」と一方的に決めつけて言われても困る。過去帳には差別性は認められないのだから、いわれのない責任のなすりつけではないか。」と思っていた。そして「調査委員さんたちは大変だろうぁ。」と人ごとみたいに思っていたのである。
被差別者の悲憤とは全くかけ離れたところで、何の問題も感じず差別を克服した人としていたのである。(山鹿組・光正寺住職)
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