あとがき [2012年7月1日(第108号)]
◇川田師の原稿にあるように、〝誰も、覩たくなかったはずのドキュメンタリー”「三一一」の上映会が行われました。ロードーショー中の上映会ということで一般の方々の関心も高く「こんな早い時期に熊本で見れるとは思わなかった」「次のイベントの時には直接連絡して欲しい」など、うれしいリクエストをたくさんいただきました。この映画を楽しみにして来てくれた若い人たちとともに宗教者(宗教)の存在意義を考えていければと思ったことでした。
◇また上映会前日に川内原発と水俣(ほっとはうす)、当日は石牟礼道子さんの取材に同行できたことも深い学びとなりました。特に大菅真也さん(芦北組・正善寺)のご尽力によって実現した石牟礼さんの取材は石牟礼さんが森監督をご存知だったこともあり、終始リラックスムードで行われ、石牟礼さんの「最近は言葉が情報になってしまっている。言葉は本来布地のように手触りがあるものなのだけれど、それが包装紙のようにツルツルになってしまっている」という言葉が印象に残りました。
◇石牟礼さんの本棚に真宗関係の書籍・論集が何冊も並んでいることを尋ねると「私の実家は真宗門徒で、父は酔うと幼い私に向かって『今からお経をあげるから後ろに座っとけ』と言って「帰命無量寿如来』」ってお経をあげていました」とおっしゃっていました。
◇仏青の場合、大きな大会を「きっかけ作り」と定義するのが伝統となっているのですが、その「きっかけ」作りが機能していないことは、単位仏青活動の現状を見れば明かなことです。もう一工夫した大会を期待したいところです。(藤岡崇史)
◇また上映会前日に川内原発と水俣(ほっとはうす)、当日は石牟礼道子さんの取材に同行できたことも深い学びとなりました。特に大菅真也さん(芦北組・正善寺)のご尽力によって実現した石牟礼さんの取材は石牟礼さんが森監督をご存知だったこともあり、終始リラックスムードで行われ、石牟礼さんの「最近は言葉が情報になってしまっている。言葉は本来布地のように手触りがあるものなのだけれど、それが包装紙のようにツルツルになってしまっている」という言葉が印象に残りました。
◇石牟礼さんの本棚に真宗関係の書籍・論集が何冊も並んでいることを尋ねると「私の実家は真宗門徒で、父は酔うと幼い私に向かって『今からお経をあげるから後ろに座っとけ』と言って「帰命無量寿如来』」ってお経をあげていました」とおっしゃっていました。
◇仏青の場合、大きな大会を「きっかけ作り」と定義するのが伝統となっているのですが、その「きっかけ」作りが機能していないことは、単位仏青活動の現状を見れば明かなことです。もう一工夫した大会を期待したいところです。(藤岡崇史)
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