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報謝行としての靖国訴訟  木村眞昭(安倍靖国訴訟 九州・山口原告団) [2014年4月1日号(第115号)]

昨年12月16日、安倍晋三首相は靖国神社に参拝しました。私たちは、これを明確な憲法違反として、安倍首相に対して損害賠償を求めるとともに、安倍首相に再び参拝しないこと、靖国神社に参拝を受け入れないことを求める裁判をおこします。

いたずらに中国、韓国との緊張をたかめ、秘密保護法を強行採決し、内閣法制局長官を更迭までして憲法第九条の解釈を改めて集団的自衛権の発動を可能とするなど、余りにも常軌を逸した戦争国家に向けた独裁政治を続ける安倍首相の暴走を何とか止めなければならないと、全国の多くの人々が非戦・平和への願いを集めて、大阪と東京で提訴します。

私たちの多くは2001年の小泉首相の靖国参拝の時も、さらに1985年の中曽根首相の靖国参拝の時も、憲法違反の裁判をおこしましたが、過去の首相の靖国参拝と今回の安倍首相の靖国神社参拝とでは意味が違うと考えます。

これまで多くの自民党総裁である首相が靖国参拝をしてきたのは、今回の安倍首相も含めて多くの場合に日本遺族会や日本会議を中心とする保守層の支持を得るためであることはいうまでもありません。つまりかつてのアジア侵略・太平洋戦争など過去の「戦没者の慰霊と顕彰」に力点がおかれていました。

これに加えて中曽根首相の場合は、「日本列島不沈空母」や「国のために死んだものを国が祀らなければいったい誰が国にいのちを捧げるのか」の発言など、自衛隊軍事力の拡大路線と軌を一にし、小泉首相ではイラク戦争へ自衛隊海外派兵など日米軍事同盟を強化する動きと連動するなど、日本国憲法の平和主義を破壊するものとなっていました。

それら以上に今回の安倍首相の靖国参拝は、国会における自民党一強支配といわれる政治状況を背景にして、「積極的平和主義」という名による「戦争する国」作り政策の一つであるという点で極めて具体的で危険な政治行動です。これに対して何としても、人権侵害という憲法違反であり、アジア侵略をアジア解放と言いくるめる歴史修正主義という、換言すれば人間であることの全面否定であることを明らかにしなければなりません。

今回の訴訟も、外形は原告一人ひとりの精神的苦痛に対する慰謝料請求訴訟となりますが、その侵害された内容は、①信仰をはじめとする個人の内心の自由、②日本国憲法の特に前文に「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」と格調高く謳われた平和的生存権、です。

特に九州・山口では、前の小泉靖国訴訟で、内容的には明確な違憲勝利判決を勝ち取りながら、外形的な損害賠償を棄却された原告としては、その後の首相に誰がなろうと、よもや靖国参拝はしないだろうからと控訴せずに「こらえてやっていた」(九州弁)ところに裏切られたという意味で、怒りは一層「深かとバイ」です。

ところでこの「こだま」は、浄土真宗のご縁の方々に多く読まれているだろうと思います。私個人としては、今回の靖国訴訟が単に政治の問題ではなく、信心の問題であることを展開する必要があると考えています。

本山本願寺の御正忌報恩講通夜布教のご縁をいただき、翌朝安芸門徒のある熱心なお同行に感想を求めたときに返ってきた言葉は、「みんな死んだら浄土という話ばっかりじゃった。」でした。これは今も私のなかに響きわたっています。要は信心抜きの後生安心のみが語られているということでしょう。

かつての侵略戦争加担、部落差別、ハンセン病差別を支えてきた、「真俗二諦」の真宗理解はなんら克服されていないどころか、それを課題にして宗門再生の歩みを重ねてきた「基幹運動」を棄てさって、上から目線の「実践運動」に変ってしまいました。そこには個人を超えた共同主観としての宗門の「機の深信」はありません。「機の深信」のない後生安心は人間を眠らせるだけであり、何をしても空過の人生で終わります。

門主の代替わりがあって、宗門の力を首都圏に集中するそうですが、「死んだら浄土」なんて話が、矛盾に満ちた厳しい社会を生き抜いている人々に通じるのでしょうか。むしろ「バカにするな!」と怒られるかも知れません。宗祖親鸞が開示して下さった「往生浄土・即得往生・現生正定聚」はそんな教えではなかったはずです。

「実践運動」は、流行の公共性に迎合した定見のない運動ですから、結局、時間と金と何より求道精神の浪費になりかねません。その端緒が2011年『宗報』11・12月合併号「次期の新しい運動の方向性」(季平博昭)に示されていますが、これの批判から始めなければなりません。

私たちの靖国訴訟は、信心の問題を法律の言葉にどこまで載せていけるか分りませんが、その言葉を紡ぎ出す前段の作業として、非戦・平和、人権、歴史認識、未来への責任、真宗サンガ論、願生心、等々、現代における真宗教学を樹立する営みの一環でありたいと願っています。いまだ清算されていない「真俗二諦」を超克するためにも。

従って私個人としてはこの靖国訴訟を、本願寺門徒の証し・報謝行として取り組みます。 

一次訴訟は4月11日に大阪地裁、4月21日には東京地裁に集団提訴します。

九州の多くの方は大阪訴訟の原告になっていますが、報告集会を4月28日14時から本願寺福岡教堂において、訴訟団事務局長の菱木政晴さんを招いて開催しますので、ご参加ください。

また、今回間に合わなかった方々で二次訴訟も行われますので「世をいとうしるし」として参加しようと思われる方はチラシを同封しておりますので、「こだま」編集部までご連絡ください。
(福岡教区・妙泉寺住職)


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