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編集後記 [2015年4月1日(第119号)]

◆終戦七十周年という節目にあたり、本願寺教団の戦争に対する関わり方を学ぶことが必要だと思います。

◆「戦時教学」について学んだとき、ひとつの疑問が生じました。金子大榮や梅原真隆といったすぐれた学者が「天皇のために戦死することが念仏者の報謝行だ」というような馬鹿げたことをなぜ信じ、書いたのかということです。「軍部の圧力で仕方なかった、教団を護るにはそれしかなかった」と弁護する意見がありますが、書いた文章を読むと、緻密によく考えて書かれています。いやいや書いたとは思えません。「なぜ」とははっきりしませんが、真実信心があった、なかったという問題ではなさそうです。浄土真宗の教え自体、日本仏教がかかえる問題のなかにあるのかもしれません。

◆門主は『法統継承に際しての消息』のなかで「宗門を存続させるための苦渋の選択」と語っていますが、このような理解は問題の本質から目をそらすことになります。門主(法主)制、日本の植民地政策と一体化した教団の教線拡大などの上に戦時教学は形成されたのです。ご消息における聖戦教義や戦時教学を問い直すことで私たちのかかえる根本的な問題がはっきりするのではないでしょうか。〈こだま編集長 外海卓也〉
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