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憲法改正の問題点<20条・89条について>(上)  藤岡崇信 [2006年10月1日号(第85号)]

 1945(昭和20)年8月の敗戦を境に、わが国の旧制度の抜本的改革が行われたが、その中の一つが国家神道の解体であります。

 その改革は同年12月15日、連合国軍総司令部(GHQ)が、わが国及びアジア諸国の人々を、永年にわたり暗く押し包み、悲惨な状況を生んできた元凶・《国家神道》の解体を命じた、いわゆる「神道指令」(国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ保障、支援、保全、監督並ビニ弘布ノ廃止ニ関スル件)を出したことに始まりますが、その趣旨について、概ね次のように示されています。
 ①国家指定の宗教(国家神道)の強制から日本国民を解放するため
 ②神道の教理、信仰を歪曲して日本国民を欺き、侵略戦争へ誘導した宗教教育の防止
 ③永久の平和及び民主主義に基礎を置く、新日本建設の実現に対し、日本国民を援助するためと。

 そしてその目的実現のために、「神道及び神社に対する公の財源よりのあらゆる財政的援助及び公的要素の導入を禁止し、即刻の停止を命ずる」と政教分離の大原則を命じたのです。

 ①宗教と国家の完全な分離 ②宗教を政治的目的に誤用することの防止 ③全ての宗教を同じ法的根拠の上に立たしめる等々を指示したこの「神道指令」は、GHQが、わが国の暗黒の時代の状況を冷静な眼で分析し、その原因を摘出し改善を命じたものであります。また同時に、強力な国家神道体制の下、思考停止状況に追い込まれるか、反対の意思表示が出来なかった日本国民の悲痛な思いを、GHQが代弁していると読み取ることができます。

 この指令によって、わが国民は真の宗教・思想・信条の自由獲得の礎を築き、また、「日本の天皇、国民はその家系、血統、或いは特殊なる起源の故に、他国の元首、他国民に優るとする主義を剥奪する」という指令の条文は、国家神道の教育を受けて、他国民を蔑視し、従属せしめてきたわが国民の過ちの原因を明示して、その悪しきマインドコントロールから解き放つ警策の役目をするものでありました。そしてわが国が多大の迷惑をかけた国々に対し、心からの反省と謝罪の思いを表明して、国際社会の一員としての第一歩を促すものでもありました。

 このように国家神道の暴走を自らの手で止めることが出来ず破局を迎えたわが国に対し、GHQにより出された「神道指令」の精神は、更に新憲法における二十条、及び八十九条の信教の自由と政教分離の厳格な規定として盛り込まれたのです。

 このような経緯を経て制定された現憲法の理念を今日、国民は自覚し、尊重しているかといえばそうと言えない現状があります。

つい先日も革新系のA県議より届けられた議会報告書の中の一コーナーに「A氏は、地元のカラオケ大会に出場し『九段の母』を歌った。“神と祀られ勿体なさに、母は泣けます嬉しさに・・”」という一文がありました。

 他人の言動に制限を加えるつもりはありませんが、その人の確固たる宗教・思想・信条の上から日常生活の中では「歌えない歌」「使えない切手」「出来ない行為」等々があるのではないでしょうか。

 61年前、私たちは永い国家神道の呪縛からやっと解放されたにもかかわらず、そのことを自覚しない無関心の人が何と多いことか・・、神道非宗教の思想、靖国神社、天皇制等々、戦前の国家神道の中核部分が今日も連続している、そこに何の違和感を持たない頭脳には驚かされます。

 この間隙をぬって、今憲法改正に向けた動きが着実に進められていますが、その改正草案によると、二十条三項を「国及び公共団体は、社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超える宗教教育その他の宗教的活動であって、宗教的意義を有し、特定の宗教に対する援助、助長若しくは促進又は圧迫若しくは干渉となるようなものを行ってはならない。」という条文に改正し、これに連動して、八十九条も「公金その他の公の財産は、第二十条三項の規定による制限を超えて、宗教的活動を行う組織又は団体の使用、便益若しくは維持のため、支出し、又はその利用に供してはならない。」と改正するとしています。

 かっての帝国憲法においても信教の自由は保障されていましたが、神道は「非宗教」(一般宗教とは異なるもの)、「超宗教」(宗教を越えるもの)、または「国民道徳」という詭弁を弄して、伊勢神宮、靖国神社をはじめ神社信仰と参拝は国民の義務として強制してきたのです。

 最初に記した通り、その反省に立って生まれた憲法二十条を草案通りに改正するなら、国が「社会的儀礼」「習俗的行為」であると判断すれば、宗教ではないとして国民に強要し、八十九条は、国が宗教ではないと判断すればそこに公費の支出が可能となるのです。

 「一億総火の玉」「国民精神総動員」体制を生んだ国家神道、宗教的装いをもって戦争を正当化し、戦死者を英霊と讃え、天皇の参拝により、遺族の悲しみの感情を「誉れ」、「慶び」に転化させる装置・靖国神社・・・それもこれも国家神道教育の所産でした。

 その時代への逆行、それを可能にする憲法二十条、八十九条改正、その背後にはこのような大きな問題が潜んでいるのです。(託麻組・真行寺住職)

憲法

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  • 作者: 伊藤 真, 伊藤塾
  • 出版社/メーカー: 弘文堂
  • 発売日: 2005/12
  • メディア: 単行本


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