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護持口数問題②  西乗寺住職 宇ノ木和洞 [2005年4月1日号(第79号)]

 第28回の教区護持口数調整委員会で曲がりなりにも一応の決着を見たとの由、聞き及んだ。ピント外れのところもあると思うが、『こだま第78号』禿氏の報告を中心に一私見を申し述べる。

 先ず、二年後に見直し作業をするとの由。たった二年で何をどう見直すというのか。見直すということは、極論すれば「わが寺は減らしてくれ」ということの鬩ぎ合いであろう。とすれば、折角決めた方法と全く異なる発想でもない限り見直すための状況が急変するとも思えない。

 28回もの会合を重ねながら、最終的に新たな不公平感を温存助長するような「組ごとに任せた数値の報告方法」を同委員会が認めたこと、そのことがそもそもの混乱の源ではないか。

 過去40年間の負い目から実数に近づけようとした組もあったかもしれないし、あるいは過去40年間の負担率に懲りて、それこそ調整した数値を提出した組もあったかもしれないし、教団内のある立場上止むを得ず実数に近い報告をした組もあったかもしれないし、その他色々な事情を踏まえて出てきた数値なるものは、お互いの不信感をあおったばかりで適正な数値など望むべくも無かったと言わざるを得ない。

 禿氏は(イ)~(ハ)の問題提起をされておられる。先ず(イ)本願寺が調査する度に護持口数が減少する、という課題であるが、果たして現在の制度制定以来このかた、本山より調査があっただろうか。少なくとも記憶にない。

 一方、門徒数が減ってきていることを否定されるようであるが、少なくともわが寺は減少の一途であることは事実である。過疎化は現実である。

 次に(ロ)民力という物差しで差をつける課題であるが、民力とはつまり経済力であろう。とすれば、それはそれで良いのではないか。小寺の場合、例えば何かの事業で募財をしようとする時、当然ながら門信徒の経済力を考慮に入れ、各戸に相談するであろう。一般に、懇志とかお布施も均一ということはないし、門徒は平等であるからといって、いつの場合でも均等割りということはない。それでも配布する記念品類は御同朋御同行という立場からも同一であることは論をまたない。こと教義やご信心に係わることならいざ知らず、金銭ずくのことに民力を持ち出すことは、それはそれで一向に構わないのではないか。

 今回の見直し論議の発端となったのは、私が組長であった十数年前のこと、当時の熊本教区組長会として、「今回の蓮如上人五百回遠忌法要懇志は、熊本教区としては不公平感は残るものの時限的に止むを得ず総局の要請に従うが、来る平成23年の宗祖七百五十回大遠忌の折りは現行護持口数の改訂、見直しが無い限り組長会としては協力しかねる云々」旨の、総局への申し入れ書が基になっているものと自負している。勿論、これは教区間の不公平感是正を要求したことであることは言うまでもない。

 組間の不公平感を解消せんがため、28回もの会議を要した。聞けば他教区はとうに決定案を総局宛て提出済みとか。果たして他教区では如何なる経緯をもって話し合いが行われたのであろうか。隣接教区の中には、わが寺の数倍イヤ桁違いの寺院があり、御殿のような庫裏に住み、高級外車を乗り回しながら、護持口数は大差ないというケースも多々聞いている。

 手の届かないヤッカミはさておき、それにしても今更ながら、今もって理解できないことがある。そもそも、教団の護持口総数は80万口とも80万余口とも聞くが、その数値の根拠は何か。各教区申告の積算なのか、否か。積算値とした場合、各教区の算出方式は共通方式であったのか、教区任せであったのか。また、地方格差は何を基準に算定したのか、等々。

 今、わが教区の数値を見るに、43285口であったものが未だ調整委員会の結論を待たずして30784口という、如何にも「30184口が先にありき」のうちに28組が分け合わねばならないということではないか。これはおかしい。

 本来的にいえば、全国共通の方式に依って積算したものが教団の護持口総数であるべきであり、護持口総数は時勢によっては変わっても仕方がないはずである。それこそ一定年月ごとに宗勢を確認する手段としても見直しをすべきことはいうまでもない。

 然からば、いかなる方法で門徒数または護持口数を算出するか。①教団外の民間調査機関に依頼する方法もある、という意見も聞く。または、②組に任せず自主申告を原則とし、調査機関を設けて本山の立場で追認する。③隠密的機関を放って調査する、という意見も聞いたがこれは論外。

 それはさておき、先述の(ロ)に通ずるが、あくまで経済力(民力でも構わない)で推し測ることを提案したい。但し、今は護持口数のみに限定し、門徒数については措かせていただく。

 宗教法人たるもの、必ず年度毎に都道府県宛て『宗教法人第二十五条第四項の規定による事務所備付け書類』を提出しているはずで、これのコピー提出義務を課することを原型とした、あくまでも世俗の法的手段を基とした方法が検討されるべき、と思慮する。もし、官公庁への提出書類に改竄等が加えられる恐れあり、とする懸念が云々されるとすれば、それはもう何をか言わんやである。勿論、寺院の収入は直接的法務ばかりではなく多岐に亘る場合もあろうが、適切な範囲は必ず見出せるものと確信する。

 あくまでも教団内共通の算出方法で公平感が持てれば、国民年金問題ではないが百年間は無理としても、相当期間通用すると思う。加えて地域格差も考慮しなくて良い。そうなれば、仮に過疎過密などの人口の移動があっても、それこそ一定期間ごとの見直しは容易であろう。この方法は各寺の門徒数を問わないが、宗勢を知るなど必要が生じても課金の基礎としないだけに門徒数の把握は実態を反映できるであろう。

 課金漏れが生じる可能性がある存在(例えば庵寺、分院、出張所、寺院を持たない僧侶・布教使、別院・教堂などの門徒、その他)については別途考慮すれば良い。「これに従えぬところはどうぞ教団から離れてくださって結構」というくらいの、気構えがあれば出来ることだ。

 それにしても気になることを聞いた。今回擦った揉んだして決めようとしている護持口数は、親鸞聖人七百五十回大遠忌の懇志には適用されないとの由。果たして、いつの何から適用されるのであろうか。また、それが事実なら何を慌てて不公平感を温存助長しながら調整を急ぐのか、解せない。冒頭の如く二年後に見直すのであれば、急ぐ必要はサラサラ無いではないか。さらに解せない。(球磨組)

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