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藤崎宮随兵行列  日程変更に思う  託麻組組長 白井可隆 [2004年4月1日号(第75号)]

 戦前より、熊本市民にとって、9月15日の藤崎宮の大祭は「フッサキさんの祭り」「馬追い」と親しく呼び習わされ熊本を代表する祭りでありました。

 そして9月15日が国民の祝日「敬老の日」に制定されてより、以前の神社崇敬団体や企業に加え、新たに熊本市内の高校OB会が奉納馬の参加団体に加わり盛り上がりをみせてきました。

 ところが祝日法の改正によって、今年より敬老の日が第三月曜日に変更されることになり、藤崎宮としてはウイークデーの祭りは、サラリーマンや学生にとっては参加が困難になり、勢子の減少が懸念され、引いては飾り馬の奉納団体の減少、そして神社の収入にも影響が出るという大きな問題を抱え込むことになったと推測されます。

 このような事情によるものか、昨年九月二日の新聞紙上に「明年(平成16年)より、藤崎八旛宮秋の例大祭飾り馬行列(髄兵)を秋分の日に変更して行う」という神社側の意向が報道されました。

 秋分の日、即ちお彼岸の中日に飾り馬行列が行われるという突然の報道に、真宗寺院の住職は、騒音と交通規制で彼岸会法座の開座に支障をきたすと、驚きと困惑の思いを抱いたのです。

 原則的には、一宗教団体の宗教行為に対して、他の宗教団体がその是非を論じ、指図することは許されないことでありますが、この藤崎宮の飾り馬行列に関しては、祭りの内容と規模において他者(宗教団体)への影響が大きく、特殊事情というべきものがあります。

 そのような観点から、早速私たち市内真宗寺院、熊本組・熊本西組・熊本南組・坪井組・飽田組・託麻組の六組は連絡協議会を開いて話し合い、そして熊本市仏教連合会にも呼びかけて、11月22日、藤崎宮宮司宛に、仏教諸宗派連名で日程変更の要望書を提出しました。

 その要望書の内容は、
①、古来「秋分の日」は、彼岸の中日の仏教行事として、広く国民に親しまれてきた。この日に飾り馬行列を実施すれば、騒音により、市内各寺院の彼岸法要の妨げとなる。また、交通規制により、寺院への参詣や墓参の方への支障となる。②、彼岸会は千四百年にわたる仏教行事であるが、この期間中の飾り馬行列の開催は、日本仏教文化の否定につながる。③、『国民の祝日に関する法律』によると、「秋分の日」は「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ」と定められているが、飾り馬行列は、その意趣にそぐわない。④、日程変更は、神社側の一方的な判断であり、市民のコンセンサスを得ていない等々でありました。

 そして12月10日、第2回目の話し合いの折、神社側は、再度検討し、1月末までには返答をしたいという意向でありましたが、その後、神社より「話し合いの結果、九月の第三月曜日・敬老の日に行う」との最終回答をえました。

 私たちは、神社側から「予定通り、秋分の日に決行」という返答であれば、即刻、熊本県警宛に、門徒の署名を添えて「道路使用不許可」の要望書を提出すべく、すでに市内仏教寺院二百ヶ寺へその旨の書類を送付し返事を待っていたのです。

 大山鳴動の後、神社側が私たちの要望を全て受け入れるということで決着しましたが、この交渉の過程で思わぬ種々の問題があらわになりました。

 それは、神社との話し合いに臨んだ時、某寺院の門徒が、先方の氏子総代の席におり、しかも、その人たちが、「日程変更の話し合いの時点では、秋分の日が、彼岸会であり、寺院の法座が勤まる日という意識は全くなかった」と述懐されたことであります。

 この現実、この意識は、私たち真宗者、住職の日頃の在りようを如実に投影していると深く反省させられたことでありました。

 また、神社側の返答をあれこれ詮索していた中、潔く「日程変更」の回答をした神社に対し、私は「意地・面子に拘泥しない。無意味な対立をしない」という神社側の宗教者としての尊い姿勢を感じ、多大の教化をいただいたことであります。 〔託麻組・仙崇寺住職〕

国家と祭祀―国家神道の現在

国家と祭祀―国家神道の現在

  • 作者: 子安 宣邦
  • 出版社/メーカー: 青土社
  • 発売日: 2004/07
  • メディア: 単行本


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