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真宗風土記(上) 熊本の巻  本田里一 [2001年10月1日号(第65号)]


 宗教と風土〔人情をも含めて〕との関係は必然的であるらしく、大ざっぱに見ても砂漠からマホメット教が、荒野からキリスト教が、草原から道教が、自然的風土から仏教が興っている。

 その仏教は中国本土に入って中国的性格に陶治されたが、更に日本に伝来して来ると日本の四季的風土に洗練されて、日本的性格を帯びるようになり、春(真宗)夏(日蓮)秋(浄土)冬(禅宗)の四季的特色を持ちながら、全く日本化するに至っている。

 「一粒の麦若し死なずば」、そして風土が快適であるならば一粒の麦は恐ろしい力を持って伝播して行く。真宗(本派)信仰伝播の状態を見ると、北越の地は一粒の麦は明るい陽光と豊かな沃土に育まれて、一面には関東地方に伝わり、今一つの面では北陸から山陽山陰を西走して、九州に届いている。そしてその伝播の道筋では、所々にいわゆる真宗王国といわれる黄金地帯・北陸門徒、加賀門徒、安芸門徒というような真宗盛行の地帯を造り出している。

 熊本県は他県に比べて盛んであるとは言えないらしい。最も真宗本派の寺院数は五百ヶ寺を越えているからむしろ多い方である。にも拘わらず盛んであるとはいえないのは、量はともかく、質において過去はともかく、現在においても法義尊重の志が余り厚くないからである。本土から真宗が渡って来たのはそう古くないらしい。県下の寺院の沿革などから推して400年以前までは溯らないようである。僅か300、400年の間に今日のように深く浸透したのであるから、その教化力の強さに驚かざるを得ない。

肥後轍人びと
 熊本は古来宗学の盛んな所で真宗学史上肥後轍として一異彩を放ったものである。肥後轍は環中師の開く所で、彼は慧雲や功存に学んで一家を成し、肥後に帰ってからは、懇ろに後進を誘掖したのであるがその轍を受けた門侶が毎年相集って講義対論をさかんに催した。これを龍北会と言い後世まで続いたものである。肥後轍の特色は、「肥後の会読」と言われた程で、華やかに弁舌を戦わして相手を論破するのが主目的で、従って微に入り細を穿って相手の虚を衝くのに忙しい。肥後轍が如何に論議が盛んであったかの一例として「法藏菩薩肥痩論」がある。因位の法藏が肥えていたというのが当時助教の鬼木沃州で、これに対して痩せていたとするのが当時得業の能令速満で、互いに論難往復して数年も続いたものである。環中に多くの門下があり到徹、慶恩、都西、戒定(都西ノ兄)などが最もすぐれ、到徹の同門に聞生があり、到徹と共に本派に学階の創設された時、最初に司教になった。到徹から更に速満が出て聞生からは沃州・道晃が出ている。慶恩からは断涯が出、この外に肥後轍をつぐ者に覚音・達善・達源・慶善の諸師があるけれども、その頃から肥後の宗学も空華派の影響をうけるようになって肥後轍の真面目は次第に失われてきた。

 近代の宗学者としては、僧亮、寛寧、針水がある。明治の初年針水が、明如上人を補佐した功績は大きく、昨春上人五十回忌の法要が営まるるや、そのお代香が本年十月針水和上の住持した光照寺にわざわざ差し向けられた程である。肥後の宗学はこのように歴史と伝統を以って盛んであったが、今やこれらの先蹤をつぐ者が少なく衰退の一途を辿っているのは残念である。わずかに佐々木憲徳、高千穂徹乗の二師がいるが、佐々木師は元来天台畑であり、高千穂師は杉勧学の後をつぐ西鎮教義の派内の権威者であるが、不慮の病に声を奪われて静養しておられる。しかし佐々木師は熊本女子短大で倫理を講じながら、毎月高千穂師の自坊で教行信證を講読して懇ろに後輩を指導している。高千穂師は静養中も研究を捨てず、最近「法然から親鸞へ」という研究を発表した。

 熊本の生んだ最も異色のある学僧に佐田介石のあることを忘れてはならない。彼は地動説の行わるるや、深くこれを憂えてあく迄須弥山説の天動説を守り、それを実証するために苦心して「視実等象儀」を著わしたことは有名である。〔熊本組・善教寺前住職〕

 これは1953(昭和28)年頃に執筆されたものと推測されます。また字数の関係で削除した部分もあります。
備 考(所属寺)
①益西組・東光寺・勧学
②託麻組・浄専寺・勧学
③益西組・延福寺・勧学
④益北組・明尊寺・勧学
⑤球磨組・善正寺・勧学
⑥山鹿組・光顕寺・勧学
⑦益北組・佛誓寺・勧学
⑧球磨組・善正寺・勧学
⑨緑陽組・善正寺・勧学
⑩益西組・正覺寺・勧学
⑪益西組・延福寺・司教
⑫種山組・光沢寺・司教
⑬緑陽組・雲晴寺・司教
⑭託麻組・専照寺・司教
⑮鹿本組・大光寺・勧学
⑯鹿本組・光照寺・勧学
⑰緑陽組・光恩寺・勧学
⑱坪井組・佛厳寺・勧学
⑲託麻組・正泉寺

『新仏教』論説集〈上〉第1巻第1号~第5巻第12号 (1978年)

『新仏教』論説集〈上〉第1巻第1号~第5巻第12号 (1978年)

  • 作者: 赤松 徹真, 福嶋 寛隆
  • 出版社/メーカー: 永田文昌堂
  • 発売日: 1978/03
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