編集後記 [2001年1月1日号(第62号)]
◎末法の現実を「五濁増のしるしには、この世の道俗ことごとく、外儀は仏教のすがたにて、内心外道を帰敬せり」と見抜き嘆かれた親鸞聖人。ところが悲しきかな、その末法の世をさらに末法たらしめてきたのが、他ならぬ後の私たち真宗者でありました。あの「神の国」発言の森首相も、そうした真宗の門徒(大谷派)である以上、その背景にもそれを言わしめた私たちの姿を認めねばなりません。
○故に、聖人の本来性へ立ち帰り、従来の信心理解を捉え直すという作業なくして、真宗は真宗として再成立し得ない、真宗の存在意義はいよいよなくなっていく…師のこうした厳しくそして一貫した指摘・批判は、また誰よりも真宗を愛する者の言葉であると思います。 そうした声がなくならないうちにそれに応え得る歩みが出来るか。気づけばもうそこに新世紀がやってきています。
◎世にいう「運動家」を「口先革新 身は保守」と外野席からの揶揄を耳にします。
○F・K両氏に文章化の承諾を求めると「あれも、これもしました」調でないなら、と釘をさされました。
○声高に教団論を説くでもないF住職、衣を着け真宗の布教をする立場でもないK自治会長ですが、日頃の生きざまの根底に「真の真宗再興」の願いが漂っているのを感じます。
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