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過疎地の宗教事情  大道 修 [2007年1月1日号(第86号)]

 私が現在住んでいる山都町は2005年2月に旧矢部町・清和村・蘇陽町が合併して誕生した町だ。面積は、全体で544.83平方キロメートルを有し、東西約33キロメートル、南北約二十七キロメートルにも及び、県内屈指の面積を誇る町ではあるが山林・原野が72%を占め、次いで田・畑16%、宅地1%となっており2000年の時点では203333人有った3町村の合計人口は、昨年10月1日時点では18763人(65五歳以上の人口構成率が36.7%)、で、現在の傾向がそのまま続くとして、10年後の2016年には17370人、20年後の2032年には14230人に減少し、高齢化率は50%に届くと推計されている過疎指定地域だ。

 総世帯数6160の山都町内には本派21件・大派3件・他宗2件(計26ヶ寺)の寺院が点在している。私の所属する益東組はその内の本派20ヶ寺で構成されており、昔から現在に至るまで自坊の法務のみで生計を立ておられるところは組内で一ヶ寺のみである。

 現在は定年等で退職され法務に専念されているところも増えたのだが、従来ほとんどが兼職寺院である為、教化・伝道に於いて組内の連携がとれにくい現状にある。

 私のお寺は、阿蘇南外輪山の外側にある旧蘇陽町に在る。「九州のへそ」と言われる蘇陽地区は山都町東端の宮崎県境に位置し、現在八件の寺院(本派六.大谷派一・他宗一)が在るのだが合併直前の世帯数は、既に1500を割っており、33年前に父が住職として入寺する迄すでに一度無住寺になっている。

 教員をされていた先代住職は、ご門徒が200件近くあったものの、布施収入が極端に低く、退職後寺院運営を諦めて京都に越して往かれたと聞いている。父は、そのような状況を十分理解したうえで入寺を承諾し、以前は音楽教室をしながらなんとか生計を立てていた。

 私は得度をして4年半になるが、35歳での得度は寺の長男という立場としては決して早くはない。熊本市内の高校へ通う事を機に、中学卒業後から一人暮らしを始め中退後はロックバンド活動を充実させるため福岡に移り住み、博多を中心に東京・大阪等でのライブをこなしながら、寺に帰る直前まで金髪は肩まで伸ばし、眉毛を全てそり落としてロックに没頭しまさに自由奔放な生き方をしていた。

 一生涯ロックし続ける事だけが夢であり目標だった私が寺に帰る決心をしたのは、弟の自殺が原因だった・・・。

 ロックとは、サウンドや生き様に強制や規制が入ると成立しない。単なる演奏行為に留まることなく、既成概念を超えてありのままの自分を表現しつつ、時・処・思想を越え共感し創造・発展する営みである。

 従って寺に帰るということになれば、そういう生き方をやめなければならなくなる。僧侶になるということは、ご門徒や地域の方々の手本となるような道徳的な生活を送らなければならない。一般社会に順応しなくてはならない。そのようなことを想像すると、その思いは大きな重圧となり私にのしかかってきた。

 しかし幸いだったのは、得度考査を受けた際に教務所の方に紹介された仏青で若手僧侶・寺族の人たちと出会え、応援・激励を受けなんとか得度習礼を受ける覚悟が出来いまに至るごとが出来た。

 その後、得度後若手布教使の方々が中心となって、私の得度記念の布教大会を開催してもらえた。しかし将来のことを考えると悲観的な思いを捨てることはできない。寺院経営と門徒の方々への教化、この二つをどう両立させていくか。私の課題はまだはじまったばかりである。《益東組・教尊寺衆徒》

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