慈悲の潤いを 無辺の衆生に 禿浩道 [2007年7月1日号(第88号)]
釈尊の輝く智慧を頂いて、近未来苦悩に趣くやもしれぬ危機状態の衆生に、安穏への道案内が出来たらと思い、私たちは「明るい明日は過去の検証から」を主テーマに掲げて『小国上空で起きた空中戦の顛末』の展示会を4月25日より5月3日迄「あみだ杉の館」を会場に開催いたしました。
凡夫に「無明長夜の灯炬なり 智眼くらしとかなしむな 生死大海の船筏なり 罪障おもしとなげかざれ」と呼びかける宗祖の思いは、八百年前、法に背き義に違し、忿りを成し怨みを結んで、念仏を弾圧した後鳥羽上皇が、後に鎌倉幕府をつぶそうと承久の乱を起こし失敗してから上皇の心に行き届いた。
後鳥羽上皇の書き残した「無常講式」の中には「離垢の眼を得て安楽国に往生せん南無阿弥陀仏」という文言が載っている。
つまり世の中が安穏になる要路が南無阿弥陀仏である事に目覚められている。御仏の光に遇われて煩悩のさわりを離れ身も心も和らぐ世界を感じられ体験されたのであろう。
後鳥羽上皇は厳しい流罪生活の中で、南無阿弥陀仏の眼で過去を見つめられるようになり「離垢の眼を得て居なかった、凡夫であった」という自己に気付き、念仏弾圧や承久の乱を的確に反省する事が出来ている。
第二次世界大戦後の日本人は、後鳥羽上皇のように過去の検証を充分にしてこなかった。
安倍総理の祖父岸信介氏はA級戦犯であったが、米国の都合で罪を問われることから逃れて、泳ぐ場を与えられた。故に後鳥羽上皇と同質の反省に到っていない。
350万人を超すC型肝炎患者にみられる社会問題は、731部隊の検証がおろそかにされ、反省が徹底していなかったが故に起っている。731部隊関係者は人をマルタ(丸太)と言いながら細菌兵器製造の実験台にした部隊である。彼らは戦後実験データーを米軍に売り、岸元総理と同様その罪を問われず、戦後社会を泳いで渡り、前記の薬害事件を起こしたのである。
今回の私たちが開催した「空中戦の顛末」は、敗戦の年の5月5日、墜落するB29から脱出しパラシュートから降下した米兵の顛末であるが、ある兵士は殺され、ある兵士は追い詰められて自殺した中、人間性を失わなかった地元民の米兵への対応もあった。つまり地元民は敵兵と思って対応しようとしていたところその兵は敵愾心を示さなかった。そこで地元民は彼が敵兵ではなく一人の人間であるという認識に切り替えて対応している。この対応は、狂乱怒号の村民という表現は当てはまらない。このようにして助けられた米兵は、西部方面軍に預けられてから生きたまま解剖されて死に到っている。この軍と米兵との関係の検証がどれ程なされたか、この場面こそ人間性を失い狂乱している場面ではなかろうか。
解剖を正当づける理由、上官の命令は朕の命令と思えという組織に組み込まれていた軍人と、その命令を受けた医師という構図の中でその狂った行為が展開されている。皇軍という意識に生体解剖さえ正当化してしまい人を狂わせる問題が潜んでいる事に眼を注ぎたい。
RKKの製作「封印」のビデオを、「あみだ杉の館」二階で見てもらった。敵前逃亡と見なされた日本兵の処刑を検証する番組である。「封印」のように、過去のあらゆる場面の検証を徹底すれば失敗は繰り返されない。
承久の乱も第二次世界大戦も、離垢の眼を得べき内容の事件である。そういう事柄である点では相違がない。
煩悩の垢を離れて程々で満足する心を大事にする事が肝要で、風呂の湯加減も程々が良い。経済大国と威張るのも、己の分を思量し程々にする事が地獄餓鬼畜生への悪道の苦悩に趣く事を未然に防ぐ方法であり、世の中安穏への道である。「平和憲法が邪魔と考える経済界の人々の欲望の垢をさらさらとした水で洗い洗濯する離垢の眼を得よ」との承久の乱後の後鳥羽上皇の言葉は、第二次大戦後にも当てはまるものである。
過去の検証をしないまま憲法を変えようとする安倍政権に任せておれば、C型肝炎同様に失敗の繰り返しがあると気付くべきではなかろうか。
この度の参議院選挙は以上のような視点が必要であると思う。
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展示会の「明るい明日は過去の検証から」のテーマにぴったりの資料を、小学生団体の来館者に読み聞かせした事を最後に紹介したい。
八代宮原の山下孝之少年飛行兵(19歳)の遺書「昭和二十年五月二十五日八時。これが私が空母に突入する時です。」と、その前日、五月二十四日に故郷の宮原上空を訪問、翼を振って別れの飛行をする孝之飛行兵に対し、小学生の弟・山下武さんは屋根の上からいつまでも日の丸の小旗を振り続けたと。この時の武少年や母の胸中はあすの午前八時をどのように受け止めたであろうか。文字通り明日と思ったであろうか?
釈尊を教祖と頂く仏教徒が現代の課題解決に向けて実践する方法は、やはり去来今を積極的にアピールする事であろう。
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