親鸞聖人・蓮如上人・恵信尼様を訪ねて 大法芙美子 [2007年7月1日号(第88号)]
昨年九月、組内の坊守仲間である西福寺・仏照寺の坊守様とお話しをしておりました時、西福寺の坊守様が「三ヶ寺合同の本願寺参拝はどうでしょうか。私たち坊守だけの引率でも出来るでしょう!」と口を切られました。
恒例であった自坊の本願寺参拝も住職の死去もあってここ数年休止状態であり、少々不安もありましたが、この旅行を通して、今までお寺に足が向かなかったお方も仏縁を結んでいただける機縁になるかもしれない。また今ご縁のあるお方は更に仏縁を深めていただくに違いない。まあ御門徒の皆さまと坊守が旅行を通して仲良くなれたらそれもよかろうと、三人の思いが一致し、早速御門徒に呼びかけました。
ところが門徒の方も、私たちのこの思いに呼応するかのように、一月足らずの期間で予定の四十九名の参加者が揃いました。これは私たち坊守の願いを支えてくださる大きな力であり、誠に有難いことでありました。
私たちはこの有難いパワーをいただき、天草下組の清原法桂先生にご執筆いただいた『ご旧跡の栞』をテキストにして事前研修を重ね、いよいよ出発の時を迎えました。
添乗員の方もご一緒いただきましたが、何しろ坊守三人の引率、参加者の年齢も決して若いとは云えない方ばかり、旅行中の病気や事故のことを考えると不安がいっぱいでした。「行動は慌てずゆっくりと」「水分補給はこまめに」と呼びかけ、和やかなうちに無事京都に着きました。
早速本願寺に参拝し、宗務員の方の親切な案内により、書院等の拝観を終え、心の郷・西大谷本廟へ参拝しました。納骨されるお方もあり、全員で重誓偈のお勤めをし、「またお参りしますよ」と思わず声をかけられる姿もあり、参拝できてよかったとの思いを強くしました。
京都といえば、あちこちをご案内したいとスケジュールがつい超過密になり、時計を見ると大谷本廟ではお抹茶の接待もお断りしなければならない状態でした。
次は聖人のお得度の地・青蓮院、また百日間の参籠を決意し、夢告を受けられたという六角堂、そしてそれを機縁に出会われた恩師法然上人ゆかりの知恩院等を巡り、宿泊所・聞法会館へ着きました。
翌朝は晨朝に参拝し、帰敬式を受式する人、それを後から見守る同行の方々、受式後の皆様のお顔の清々しさ、共に深い感動の中、お念仏のご縁を改めて噛みしめながら本願寺を後にし、福井へ向いました。
吉崎別院へ参拝し、本願寺中興の祖・蓮如上人のご苦労の数々、「血染めのお聖教」のいわれをお聞きして、その後、了顕様、蓮如上人の御娘・見玉尼様の墓前では、「ありがとうございました」と声を出してお参りしたことでした。
そして二日目の宿泊地、宇奈月温泉の旅館に到着。夕食時には、芸達者な方々の出しもので賑わい、初対面の方々もお互い懇親を深められた一時でした。
私たちの旅行の最終日は、親鸞聖人が、今日より丁度八百年前、「承元の法難」によりご流罪になられて上陸されたという居多ヶ浜を訪ね、二間四面のお堂に居住を許されたという竹の内草庵、罪を許された後のお住まい竹の花草庵、現在は国府別院となっていますが、ここでご法話を頂きました。
そして別院より三十分の地にある板倉町の「こぶしの森」・恵信尼様のご廟所へお参りいたしました。
そこには恵信尼様のお手紙に「生きているうちにと思い、五重の塔をあつらえました・・・」と、書き遺された五輪の塔がありますが、私が昭和五十三年にお参りした当時に比べて立派に整備をされていました。
これも地元は本より、全国の仏教婦人会の方々のご懇念のお蔭と手を合わせて参りました。
恵信尼様は、親鸞聖人を観音様の化身と仰がれ、日々の生活の中にも尊敬の念を忘れずにいらっしゃいました。恵信尼様の「あたたかい優しさ」「しんの強さ」を、私たち女性は、生き方の師と学んでいかねばならないと思います。
多くの方のお支えのお蔭で、参加者の皆様に喜んでいただき、改めてお念仏の尊さに目覚めさせて頂いた旅でした。
旅行中のあれこれを回想し、次回のご法座の席に同行されたお方の聴聞のお姿を心に描き、また坊守様方と力をあわせ仏婦活動等、坊守のつとめを果たしたいと思う昨今です。〔玉関組・専福寺前坊守〕
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