SSブログ

病床にて 月愛三昧に想う   吉水 照 [2008年7月1日号(第92号)]

     2月28日
 朝未だきに空に浮かんだ半月、何と不思議な姿なのか。半分は薄雲に隠れて半分の姿。時折耳にする残月…、いましみじみと眺める。朝の空に浮かぶその姿は、夜への心残りがあるような、詩情的で優しい風情。「何か心残りがありますか?」そう問いたいような、ほんわかと人の心に沁み入るような静間の中の優しさに包み込まれるようで、しばし眺め込んだ。そして、ふと私は先日の日の出を思い返した。

 東の山々の色が除々に出始め、黄金色が山の頂より山間の裾野に広がり、少しずつ薄紅色が増し増しての日の出。
 素晴らしいと言うより“おう!”と思わず声を上げたいほどの日の出である。

 大地球を輝き出し、燃えたぎるような、強烈な厚い愛情の声が聞こえるよう。「今日も強く生きよ。」との呼びかけであろうか。それは雄々として遠大さを通り越した姿、大自然の不思議さであった。

 この雄々たる太陽の一日間の廻りは、万物に光を与え、夕べには、西の彼方に光を散らしつつ沈む。

 その後、遅ればせながらと月は出る。大自然の中の二つの光…。

 月はやんわりと人々の心の中に潤いを醸し出し、優しく心の闇を包み心を和ませる。

 太陽と月との正反対の味わいを思うに、これまでの人生の中での数限りない悲苦。大自然の流れの中で、ようも今まで生かされたと較べようもない大いなるものの味わいに、今に至りて感謝と反省と、思うことの多さしきり。心しみじみ空を眺めた。


     3月1日
 月愛三昧のみ教えに出合うた。先日の大自然の深みと美の中で、み仏の慈悲、月愛三昧の意味、み仏の深きお心の尊さに気付かせていただいた。

 4年前、鍋島先生から『アジャセ王の救い』の本を頂き、ようようして、心静かに読む時間が与えられた。

 その本の中での月愛三昧、出合いである。「何かをすることではなく、そばに居ること」、それが月愛三昧の真意であると知らされた。

 太陽の光はみ仏の智慧、暗闇を晴らすという照破性、ものを育てるという調塾性。真実に目覚めさせる智慧の働きが込められている、という。

 月の光はみ仏の慈悲。夜の闇をなくし、明るくするというより、闇を透明な月の光で静かに清める清浄性、優しく私を包みこむ優美性、そして独りぼっちの私を包摂する慈愛の働きが込められているという。

 人生の晩年に、今さらながらみ仏からの呼び声、声なきみ声に導かれ生かされていたことに感謝。月愛三昧、唯々心に響く尊さ、嬉しさ。(託麻組・崇専寺)




アジャセ王の救い―王舎城悲劇の深層

アジャセ王の救い―王舎城悲劇の深層

  • 作者: 鍋島 直樹
  • 出版社/メーカー: 方丈堂出版
  • 発売日: 2004/06
  • メディア: 単行本



nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:学問

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。