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「靖国」をめぐって―非戦平和のカタホトリ―  甲斐晃裕 [2009年1月1日(第94号)]

少数派?
 12月23日天皇誕生日に、あの自衛隊前航空幕僚長、田母神氏の講演会を市民会館でやるから「是非とも聴いてもらって、どこがどう間違っているのか論破してみたらどうですか」と彼らに挑発されてます。題して『日本がいい国だと言って何が悪い!』日本会議熊本の主催です。

 田母神氏本人が「私を支持し激励する声が数え切れないほど届いている」と国会でも胸を張っていましたが、本当のようです。驚くことは他にもあって「住職さんでも私たちの考えに賛同してくださる方は沢山いらっしゃいますよ、甲斐さんとかは少数派じゃないんですか」真顔で言われました。

 まさか・・でも反論しない住職が多数ということなら、そうかもしれない。

靖国神社(問題)を知らない
 今夏の教区寺院子弟研修会は東京二泊三日、築地本願寺、千鳥が淵墓苑、靖国神社・遊就館を主な訪問場所としてフジテレビ、科学博物館、JAL整備工場等を見学、一日はディズニーランドという日程でした。

 じつは募集案内発送後、小・中学生の靖国神社・遊就館訪問を心配される声が複数寄せられました。

 そこで、靖国神社についてスタッフの事前学習と参加者への充分な説明を行うことになり、担当になりました。

 さて、ご心配いただいた方からのご意見や教区内僧侶の方々のお考えを聞くと、靖国神社やいわゆる靖国問題についての認識が極端にバラバラというか・・ハッキリ言いますと、知らない=興味が無い方(教区僧侶)が驚くほど多いのです。

 近年、小泉元首相の靖国参拝で改めて政治問題化し、今春には映画「靖国」の上映中止をめぐる問題で、メディアを挙げてクローズアップされた靖国神社です。

「東京には何度も行ってますが靖国神社にはまだ」
「遊就館の展示内容は随分偏った、ひどいものらしいですね、観てませんけれど」と仰る方が心配してくださったおひとりでもありました。行ったことの有無を問うているのではありませんが、知ろうとしないこと、無関心であることが不思議なのです。

映画『靖国』について・靖国刀→斬る→KILL
 田母神講演会に誘う彼ら(議員や○○ロータリー会員)とは、教育問題について寺子屋主催者として講演依頼されたのが縁で「視点が違いすぎるのが面白い」付き合いです。ところが去年、電気館が上映したドキュメンタリー映画「蟻の兵隊」を観るように薦めたら、いたく感動し、大東亜戦争は間違ってなかったという妄言をハッキリ否定する、派内左派?になってくれたようです。勿論、映画『靖国』も観ており、暫くして感想を話し合う機会がありました。

 ご覧になった皆さんも同様と思いますが、エンディングの資料写真の連続、無言のメッセージが強烈です、戦争の写真や映像を見る機会は多いけれどそれらと全く異質な気味悪さ、悪寒を感じます。

 やがて、それは日本刀のせいだと気づきました。

 戦闘機の出撃や大砲・小銃の発砲の写真は 殺す 実感を物理的心理的に遠ざけますが、刀はどうでしょう。写真には大刀を手にした日本兵と斬られた、或はこれから斬られる人間が写っているのです、人間同士のパーソナルな「殺」そのものが写っている、その連写です。ここへきて、善良な刀匠が日本刀を仕上げていく過程の長い映像の意味が判ります。

 「お国のために命を捧げる」ことを尊いことと美化しようとしているが、その実体は見知らぬ誰かを殺すことであり、それが戦争の本質だということでしょう。

 靖国神社について話を聞いた僧侶方のなかに、「いざとなったら自分も銃を取ると思います」とおっしゃる方が複数(布教使さんも)おられました。自ら日本刀で誰かを斬ることは想像できないかもしれませんが、銃でも実は同じことではありませんか。

立ち位置の分からん話
 10月7日に教区会館で映画『靖国』の上映会があり、話しをする機会を与えられました。しかし、事情で時間が20分しかなく、私は上映会参加者が靖国神社(問題)をよく承知されているとの前提で、逆の立場といいますか、靖国神社を国家護持したいと願っている人たちの考えや、靖国神社の現状、予算などを(お聞きになる機会は少ないことと思い)話しました。そのせいかどうも「立ち位置の分からん」話になったようです。  靖国でも非戦でも、対立する立場は、向き合えば対立点を際立たせるだけの論に固執し、決して相手の話を聞こうとはしません。言説虚しい拒絶と暴力、8月15日の靖国神社はその象徴でした。結果、多くの人は右も左も一部の変わった人たちが騒いでいるのだと、冷ややかに見るようになったのではないでしょうか。そして、その空気が教団人にも広がっているのかもしれません。

上下左右のない位置
 あの田母神氏も平和を希求する点では同じ思いのはずです。平和であるためにどうすべきか、ここで決して方法論に進んではいけません。「もし敵が攻めてきたら・・」の仮想現実スパイラルに嵌まり、核武装の是非を論じる情けない状況になるのがオチです。

 まずは平和であるということの内容を深めていく、そこにはまだ議論の余地が広く残されているはずです。そのような歴史が仏教が活かされる議論の場を作っていくことにこそ、私たちは腐心すべきだと思います。

 平和であることの内容が深まり、やがて国の概念や敵味方の二元論的な観点が破られるところに、右の人、左の人もない新たな視座が開かれるのでしょう。

 このような話を彼らにすると、そんなのは理想論と言いながら、「やはり聖職者には非戦を貫いて欲しいし、争いを止めて欲しい」と、救い?の役割を担う人が必要だと言うのです。

 眼に見えない理想、思想は人をとおしてしか、伝わりません。理想を生きる現実の人がいて、その人をとおして自分の生き方にも思想が具現化していきます。

 抑止力としての軍備は絶対必要という彼らも何事があっても決して銃を取らない、という人がいることを、欲しているのです。

※靖国問題の資料を転載します。
寺院子弟研修会スタッフ事前学習資料 靖国神社の問題点
 靖国神社は、1869年(明治2年)、明治天皇の勅命によって創建された「東京招魂社」(とうきょう・しょうこんしゃ)に起源があります。

 当時、「東京招魂社」を設立した明治天皇の考えは、「幕末の護国殉難者を国としてお祀しよう」ということだったと言われています。靖国神社のスタートは、明治維新の「官軍」の戦没者を祀る施設であったわけです。このため、いわゆる信者がいるわけでもなく、神官はじめ従事者はすべて国家公務員でした。

 その後、日本は「富国強兵」の名の下に軍国主義の道を歩み出し、1879年(明治12年)には、「東京招魂社」の名称を「靖国神社」と改称、外国との戦争・事変などで国のために亡くなった戦没者を、護国の英霊として合祀するようになりました。

 靖国神社は、内務省所管の一般の神社とは違い、陸・海軍省所管となりました。文字通り、一般の神社とは性格を異にする、軍事的色彩の強い宗教施設でした。国民は死んで靖国神社に祭られることを最高の美徳と教えられ、信仰のいかんにかかわらず参拝を強制されたのです。

 日本が敗戦した1945年(昭和20年)のポツダム宣言で、国家神道を切り離すべきであるという勧告があり、1946年(昭和21年)、靖国神社は、国家管理を離れて東京都知事の所管する一宗教法人となりました。

 また、新憲法では、20条3項で「国及びその機関は、いかなる宗教活動もしてはならない」と規定され、国家による経済的・人的支援は厳しく禁止されました。

 靖国神社の問題を一層複雑化したのは、A級戦犯の合祀問題によります。靖国神社は、戦後も引き続き、先の大戦における多数の戦没者を合祀していますが、1978年(昭和53年)にA級戦犯14人が合祀されました。この14人は戦没者ではなく、終戦直後の東京裁判で戦争責任を問われ死刑となった人たちです。靖国神社にいわゆる戦争犯罪者が、一緒に祀られるという結果になりました。極東軍事裁判は、勝者が敗者を裁くという、その国際法的合理性を疑問視する声もありますが、すくなくてもA級戦争犯罪人の東条英機元首相らは、戦争責任を逃れるものではありません。こうした人たちを「昭和の殉難者」として合祀したのです。

 当然、周辺諸国から危惧の念が寄せられ、大問題になりました。

 その理由は、例えば、中国は、日中平和友好条約を結ぶ時に、巨額な戦争賠償を日本に請求しようと思えばできたのに、当時の周恩来総理の大英断で放棄しました。

 その時、中国側は、この戦争は一部の軍国主義者が起こしたもので、加害者は一握りのA級戦犯であり、日本国民も中国と同様に被害者で、大戦によって極貧状態にある日本国民から巨額の戦争賠償を取ることは酷であると、賠償請求を放棄したわけです。

 ところが、その日中両国に対する加害者であるA級戦犯を靖国神社へ合祀したということで、周辺諸国は、そういう人たちを敬い、戦前に回帰するのではという脅威を感じているわけです。

 それは現在も同じで、外交関係を考えると、こうした国際的な感情も配慮しなくてはいけません。「日本の内政問題に、中国や韓国、アジアの諸国が意見を差し挟むことはけしからん」との論調が見られますが、こうした歴史的背景や、国際関係を無視した一方的な見方に過ぎません。

 靖国神社は、一連の経緯から、「天皇に命をささげた」が祀られる条件です。天皇の軍隊に歯向かった西南の役の西郷隆盛ら「賊軍の将」は祀られていません。もちろん、官軍と戦った幕府軍は当然のことです。

 空襲や戦闘に巻き込まれて亡くなった一般国民も祀られていません。終戦後の混乱で、シベリアなどに抑留され異国の地でなくなった多数の同胞も祀られていません。さらに、在日の外国人や強制的に連れてこられた外国人も祀られていません。

 このように靖国神社の歴史と経緯を見ると、国(天皇)の軍隊、軍人の為に設立した非常に偏った施設であることは明白です。このような靖国神社を国家護持しようという法案が昭和四十四年から5回も国会に提案されました。中曽根元首相は靖国に参拝して「靖国神社を国が維持しないで、この先誰が国のために死ねるのか‥」と発言しました。国のために命をささげる‥再び戦争への道を開こうとする靖国神社国家護持の考えに対して、仏教徒、念仏者はどうあるべきか、自明なことだと思います。(託麻組専念寺住職)



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