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東西本願寺を結ぶ非戦平和共同行動  菱木政晴 [2000年10月1日(第61号)]

去る七月八日・九日の両日、京都で、「二〇〇〇年東西本願寺を結ぶ非戦・平和共同行動」が開催された。

 1969年の靖国神社国家護持法案の提出以来、「反靖国」を闘ってきた浄土真宗の東西本願寺の僧侶や門徒が中心になって、はじめての統一行動を実現させたのである。

 このような共同行動が実現したのは、99年に相次いで戦争法が実現し、その総仕上げとしての新たな靖国の国家護持(特殊法人化)の構想までが打ち出されることに対する危機感によるものであろう。

 国のために死に、国のために殺す国民を必要とする国家は、それを国民に納得させる装置を必要とするが、それはまたしても「天皇を中心とする神の国」であり、靖国なのだろうか。

 これまでの反靖国の闘いを無にしかねないこのような状況に対して、訴訟が一段落し、公式参拝が途絶える中で活動が鈍くなっていた真宗門徒は「生まれかわるように、反戦と反靖国の再出発」を訴えた。

 八日の午後二時には、東本願寺の東側にある渉成園庭園の野外ステージにおいて、新谷のりこ・豊田勇造ライブが行われ、二日間のイベントが始まった。

 コンサートの後は、法衣姿の僧侶も交えて約二百人の平和行進を行った。本願寺派反靖国連帯会議の信楽峻麿代表と本願寺派・朝枝實明総務の挨拶で東本願寺を出発し、大谷派の和田稠さんらを先頭に京都市内をまわって西本願寺に到着。大谷派・教学研究所助手の山内小夜子さんの挨拶で締めくくった。

 翌九日には、ルポライターの田中伸尚さんの講演と愛媛玉ぐし料訴訟原告団長で大谷派の寺院住職でもある安西賢誠さん、九州靖国神社公式参拝違憲訴訟原告団長で本願寺派の元住職・郡島恒昭さんによるシンポジウムが行われた。

 政教分離や信教の自由という課題は、ややもすると宗教者固有の権利の問題にすぎないと思われることが多い。信教の自由が侵害されるとか、政教分離規定が破られるというと、自己の信ずる宗教に対して国家が不当な干渉をしたとか、自己の信じない宗教に対して国家やその機関(地方公共団体を含む)が癒着し、優遇したとかの「宗教上の不公平な取り扱い」を想定する人が多いのではないかと思う。宗教という、個人の内面の究極的な事柄に関わる出来事に対する精神的で微妙な摩擦だ、と。従って、これらの訴訟の当事者は、堅い信仰を持つ宗教者か、特に宗教に敏感な個人だと思われがちである。

 しかし、国のために死に、国のために殺す国民を養成するきわめて優秀な装置としての「宗教」ということを考えると、国家がそんな宗教に関わってはいけないこと(政教分離)と、この宗教を信じない、押し付けられないこと(信教の自由)は、反戦平和の核でもあることがわかる。

 この二人の僧侶は、いずれも反戦平和と自らの教団の戦争責任の自覚から政教分離訴訟の当事者となったのであるが、田中伸尚さんの提起は鋭かった。

 宗教者が単に個人の信仰を守るために政教分離や信教の自由を訴えるのではなく、宗教的課題としての反戦・平和の運動に向かうのであれば、靖国が見えだした2000年より戦争法が相次いで成立した1999年にこそ再出発、統一行動が提起されていなければならなかったのではないか、ということである。

 まさにその通りであり、宗教者の鈍い社会活動を象徴しているのかもしれない。

 しかし、ともあれ再出発の第一歩は記された。そしてそれは大きな成功でもあった。統一行動のスローガンでもある「平和・人権の世紀よこんにちは、戦争・差別の世紀よさようなら」に向けて今後とも歩んでいきたい。
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