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続・自治会の「政教癒着」に抗して(1)  藤岡崇信 [2000年10月1日(第61号)]

 「こだま」56号より3回にわたって記した「自治会の『政教分離』に抗して」の、その後の状況を、宗教関係のみに絞って報告します。


 鳥栖市の「自治会訴訟」は、昨年12月24日に佐賀地裁に提訴され、7月14日まで、すでに四回の公判が行われました。

 意見陳述で原告Aさんは、自治会費の中に入っている神社関係費等は支払いたくない。それは金額の多寡の次元ではなく、支払うこと自体が耐えがたい、とその胸中を次のように訴えられました。
 ①私は仏教徒であるが、学校では神社参拝を強要され、②「天皇を神として崇め、天皇のために命を捧げよ」と教育され、多くの友人が戦死していった。③敗戦後、戦争遂行の精神的支柱は国家神道・神社神道であったと気づき、以来神道を信じ、協力する気持ちにはなれない。④しかも当該神社は宗教法人である。以上の理由で、私は自治会費の中の神社関係費等の支払いを拒否したが、そのため自治会から排除され、五年以上も「村八分」の状態が続いている。自治会でも信教の自由が認められるよう公正な審理をお願いしたいと述べられました。

 それに対し、被告・自治会側は、①Aさんは、自治会を自主脱退した。②当該神社は地区の氏神にすぎない。能舞台での演芸大会、境内のゲートボール場や土俵は、地元住民の憩いの場であり、七月の例祭と九月の八朔祭も地区民の無病息災祈願と秋の収穫を祈願する伝統的風俗や習慣にすぎない。この宗教宗派を超えた素朴で純真な住民感情は、信教の自由の問題ではない。まして天皇制とは何の関係を持つものではない、と強弁しています。

 この無病息災や豊作祈願は宗教そのものであるにも拘らず「神社非宗教」という論理を、国家神道の形成過程で作ってきたのです。

 かって靖国訴訟でも宗教に無関心な日本人のこの宗教観を利用して「宗教に寛容」「社会通念」という骨子の弁論をもって、信教の自由を蔑ろにする裁判が罷り通ってきたことは衆知の事です。

 私たち真宗者にとって、この宗教観の定着は容認しがたいことであり、裁判の行方は単なる「よそのモメゴト」ではすまされない重要な問題であります。


 さて、この裁判の進行過程で、Aさんが、自治会長夫人から「神様に反対するなら、神様のいないところへ出て行け」と罵声をあびせられた時、「転入者の私にも人権がある」というやり取りの中で差別発言をしたということが明らかになりました。

 この問題を根底に、被告側は「人権意識の希薄な原告に『憲法』や『人権』を口にする資格はない」と厳しく指摘、裁判長は「差別発言問題はこの裁判の趣旨ではないので直接審理の対象にはならない」と発言する一件がありましたが、この問題はマスコミを通しても報道されたのです。

 この「差別発言」報道に、最初に敏感に反応し行動したのは、教務所長であったのです。即刻、地元の所長と、Aさんの出身地の所長より、この裁判支援の会・「信教の自由と自治会を考える会」の事務局長のFさんに「実状を聞きたい」という電話があったというのです。

 このことを聞いて、私は複雑な思いでした。

 それは、Fさんは提訴当時から当所長や教区の役職者に「地元での問題であり、どうか教区を挙げて真剣に考えてほしい。是非支援をお願いしたい」と訴え続けていたというのです。それに対して全く反応はなし。それなのに「差別発言」となればAさんの出身地の所長までも即座に対応を始める…、信教の自由に関する人権問題は無視してもいい、しかし部落差別に関する問題は即刻対応しなければ問題が生じる、という思考構図が浮かび出てくるのです。

 人権問題に軽重があるはずはありません。しかしわが「教団」内には、無視してもいい人権問題と即刻対応しなければならない問題との両者が厳然と存在しているというわけです。それは他律的人権意識のゆえなのでしょうか。

 ともあれFさんが、この裁判の意義と支援を宗教関係者や一般市民に広く訴え、また遠い道のりを通い続けて、Aさんの差別意識改革のために鋭意努力されたこと、これこそ真の人権意識から湧き出た清水と思います。〔託麻組真行寺住職〕

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