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災害ボランティアから学んだこと(上)    高瀬組 法雲寺住職 加藤尚史 [2012年10月1日号(第109号)]

 七月十三日。小雨の降る中、たどり着いた合志組満徳寺(岡崎了明住職)の風景は変わり果てていた。足を入れると二十センチほどもぬかるんでしまう土砂が、普段美しく手入れされていた境内一面と本堂を含むすべての建物の床下に堆積し、床上まで浸水し泥水に洗われた畳が散乱している庫裡の光景は、復旧への長い時間を覚悟せざるを得ないものだった。しかし、災害発生の翌日にもかかわらず駆けつけたご住職の高校時代の友人たちが、泥にまみれながら黙々と作業をされていた姿に、尊さと希望を見いだしたのも事実だ。

 以来、たびたび復旧作業に伺うこととなったが、作業は予想以上の早さで順調に進み、庫裡の修復は残るものの八月二十八日の土砂搬出作業を持って一応の復旧となった。その順調な復旧について、二十二年前にも今回同様の水害被害に見舞われた満徳寺のご住職は、前回との最大の違いに様々な形で訪れてくれた「ボランティア」の存在の大きさを指摘した。阪神大震災を契機に日本でもボランティア活動が根付き、昨年の東日本大震災を経験した今では、その存在自体を抜きにしては復興そのものが語れないほどの大きな力となっている。今回の災害でも、その動機や願いは様々なものであろうが、ボランティアセンターを通じて派遣された個人や商工会の団体、高校生など、多くの人々が活動者となった。寺院の関係者も、SNSやメール等で情報を共有し、集中作業日を設定するなどの工夫を凝らしながら、合志組を中心に教区各地の住職寺族、教化団体等、多くの方々が、自然発生的に集合しボランティアとして作業していただいた。ただ、「ボランティア」の存在をご住職に強く意識させたものは、主に寺院関係者の作業日に駆けつけてくれた、実はこれまで全く面識もなく名前さえも定かではなかった多くの住職、若院、寺族方だったという。

 「仏教は福祉である」という観点からの実践と原始仏教を研究のテーマとする吉元信行氏は、その著書に於いて、釈尊が初転法輪の後、比丘達に遊行を命じた目的について「多くの人々の利益、多くの人々の安楽、世間への共感のために」とうたわれていることを主張する折、本来漢訳経典においては「憐愍」と訳されている「アヌカンパー(anukampa)」という言葉に「共感」という訳語を使用している。「アヌ(anu)」は「それによって、したがって」、「カンパー(kanpa)」は「心が震える」。吉元氏はその理由を「憐れみというよりも、相手を見て自分の心が震えるほどに何とかしたいという気持ちです。」と記す。今回の災害を通して、苦悩や苦痛、苦労の中にいる人を見過ごすことが出来ない、また、見過ごさないことが教えをいただく者の務めであるという仏教者としての思いを、あらためて確認しあった結果ではないか。作業の最終日、「明日から寂しくなりますね。」と冗談交じりに声をかけると、「被害にあって確かに大変だったけれど、多くの人に会うことが出来て嬉しかったなあ。」と、微笑みながら静かに答えられたご住職の言葉が印象的であった。


鎮魂と抗い―― 3・11後の人びと

鎮魂と抗い―― 3・11後の人びと

  • 作者: 山本 宗補
  • 出版社/メーカー: 彩流社
  • 発売日: 2012/09/13
  • メディア: 単行本



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