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明治初年の東アジア平和外交論 ―佐田介石の建白―  梅林誠爾(熊本県立大学元学長) [2013年10月1日号(第113号)]

佐田介石は、幕末明治初年の文明開化の時代に、伝統との連続において新しい時代を生きようとした熊本出身の学僧である。介石は、文政元(1818)年に、八代郡種山村(現八代市東陽町)浄立寺廣志慈博の長男として誕生している。幼名は觀靈といい、後、飽田郡小島町(現熊本市小島町)正泉寺佐田氏に入り、娘薫を妻とし、佐田介石と名乗る。

少年の頃儒医斎藤宗元から漢学を、眞覺寺了玄から仏教を学んだといわれる。数え年18歳で京に上り、本願寺學林の法雲、南渓のもとで仏教学を研鑽し、25歳で帰郷、30歳の頃(嘉永年間1848―54年ころ)、再び京都に上っている。


この後、介石は、京・大坂や東京において西洋近代化を批判する言論活動を繰り広げることになる。仏教擁護の護法の精神から、近代天文学(地球説・地動説)に対抗して、旧式の仏教須弥界説の地平説、地静説に立つ仏教天文学(梵暦)に積極的に関わる(『鎚地球説略』文久2二(1862)年、『視実等象儀記初篇 一名天地共和儀記』明治10(1877)年、『視実等象儀詳説』明治13(1880)年などを刊行)。

維新後は、人と自然を育てることを旨とする経済思想(「栽培経済論」)を唱え、江戸期の伝統的な生活文化を擁護し、工業化と外国交易に反対する言論を繰り広げる(「建白[二十三題の議]」明治7(1874)年、『栽培経済論初篇』『同後篇』明治11年、12年(1878・9年など)。

介石は、政治的事件にも幾らか関わり、時の政権に建言してもいる。元治元(1864)年の第一次長州征討の前、文久3(1863)年12月、介石は、一橋慶喜らに建白し、長州藩への寛大な処置による戦乱の回避を願い出ている。廃仏毀釈が激しかった明治3(1870)年には、介石は西本願寺から派遣されて一派一寺の合寺令を出した富山藩との交渉に当たっている。

さらに、明治7(1874)年、近代日本の最初の海外派兵(台湾出兵)が日中開戦へと至ることが危ぶまれた時、介石は「征支那建白」を太政大臣三條実美らに差出し、台湾出兵に義なしと批判し、開戦を回避し、「日清修好条規」に基づく話合いによる問題解決を主張している。また、朝鮮政府が維新政府からの国書の受け取りを拒否したことで日朝の対立の危険が高まった時も、介石は建白「朝鮮事件献策」(明治8年)を書き、五山の僧も関わった江戸期以来の日朝の交流の伝統に沿った問題の平和的解決を献策している。

介石は、宗教者であるとともに、日本の言論社会を開き担った言論人の一人であった。政府への建言や、単行本、雑誌の発行の他に、民衆に語りかける演説会を各地で開いている。言論人介石の社会経済説は、中村正直などキリスト者からの賛同も得ている。介石は、そうした遊説活動の中、明治十五(1882)年12月9日、越後高田に病没している。

幕末明治初年、東アジア的伝統の日本社会は、西洋近代という全く異質な文明との出会いを体験した。その出会いを、福沢諭吉は「極熱の火を以って極寒の水に接するが如く、人の精神…の内部の底に徹して転覆回旋の大騒乱を起こさざるを得ざるなり」(『文明論之概略』)と語っている。この出会いは、一人一人に、ものの考え方、その暮らしぶり、さらにはその生活世界の変更を迫る根本的なものであった。福沢諭吉は、この変革をまたとない好機として捉えることが出来た明敏な人であった。福沢は、この歴史的変革の時代に生きる自分たちを、「一身にして二生を経るが如く、一人にして両身あるが如し」と評している。二つの文明の優劣を、自らの体験を通して確実に知ることが出来る好機だと言うのである。福沢は、この好機を捉え、「西洋文明を目的とする」という選択をしたのであった。

しかし、「改革」についていけない人も多くいたであろう。文明開化の路線によっては暮らしが立ち行かず、没落を余儀なくされ、近代化への抵抗という形で、この改革に関らざるをえなかった人々がいた。明治初年、全国各地で頻発した文明開化に抵抗する農民騒擾が、そのことを物語っている。佐田介石は、恐らくはそうした人々と思いを共にしていたであろう。そして、西洋近代の産業化社会がもたらす生活世界の変容に対して強く抵抗し、これまでの伝統的な生活世界を擁護しようとしたのである。

なるほど、介石の西洋文明批判は、頑迷・固陋の謗りを免れない。しかし、介石は、日本の近代を全否定しているのではない。むしろ、介石は、「西洋ニハ西洋に固有する処の文明開化あり、日本ニハ日本に固有する処の文明開化あり」(「建白[二十三題の議]」)と述べている。すなわち、伝統の否定による近代化ではなく、伝統との連続による文明開化というものを、介石は構想していたように思われる。介石による伝統と連続した日本の開化の構想は、「西洋文明を目的として」突き進んだ実際の日本の姿とは異なるものを含んでいるが、却ってそのことによって、近代日本の実際の歩みを逆照射し、それを改めて問い直す力を持ち得ているように思われる。

今回の報告では、伝統との連続において近代日本を生きようとした佐田介石による、東アジア平和外交論を紹介しながら、近・現代日本と東アジアの平和について考えてみたい。


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