編集後記 [2015年1月1日号(第118号)]
さる9月26日、信楽峻麿師が88歳をもって往生された。『こだま』と信楽師の間には直接的な関係はない。しかし、編集局では「信楽さんの追悼文的なものを載せては?」という声が、ごく自然に挙がった。
考えてみるに、『こだま』は「教団のあり方をともに考え、教学に対する意見を交換し、念仏者としての歩みをお互いに点検する場」(第2号に掲載)を理念として始まった。様々な非難を浴びながらも、終始ブレることなく、まさにそれを一途に問い続けたのが、信楽師の生涯であったと思う。ならば、『こだま』が師に追悼の意を表そうとするのも、確かに故あり、だろう。 本多さんは、最近あるご縁で熊本に来て頂き、その折にも師の影響を多大に受けたと熱心に語って下さっていた。本多さんは信楽師の教え子ではない点が、また興味深い。
ただ、その思いが熱すぎて、頂いた原稿が予定の文量を大幅にオーバーしていたので、後半部分は次回への掲載とした。予めご容赦頂きたい。〈大松龍昭〉
考えてみるに、『こだま』は「教団のあり方をともに考え、教学に対する意見を交換し、念仏者としての歩みをお互いに点検する場」(第2号に掲載)を理念として始まった。様々な非難を浴びながらも、終始ブレることなく、まさにそれを一途に問い続けたのが、信楽師の生涯であったと思う。ならば、『こだま』が師に追悼の意を表そうとするのも、確かに故あり、だろう。 本多さんは、最近あるご縁で熊本に来て頂き、その折にも師の影響を多大に受けたと熱心に語って下さっていた。本多さんは信楽師の教え子ではない点が、また興味深い。
ただ、その思いが熱すぎて、頂いた原稿が予定の文量を大幅にオーバーしていたので、後半部分は次回への掲載とした。予めご容赦頂きたい。〈大松龍昭〉
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