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出会い   久保山 淑子(真宗大谷派 久留米教区 明願寺)  [2015年1月1日号(第118号)]

キリスト教系の高校に通い、朝夕の礼拝と讃美歌の中で西洋音楽を学んだ私にとってお寺は「お葬式」の印象しかない存在だったような気がします。

しかしそのイメージは仏教讃歌との出会いで大きく変わっていきました。法事でしか聞いたことのない「南無阿弥陀仏」に音程がついて、たくさん曲もあるって「面白そうだ!」と最初は意味など勉強もせずに歌っていたのですが、歌詞の意味や作者を調べていくうちに「親鸞聖人」という方に出会いました。そう、実際にお目にかかったことはないけれど、楽譜を通して出会ったバッハやベートーヴェン、モーツアルトと同じような感覚で。

中でも2012年の秋に天草の観乗寺で一人芝居「恵信尼さま」のお手伝いしたときに出会った「親鸞聖人」はとても印象的で、750年前に亡くなられた方からのメッセージが、今をもがいているどうしようもない自分に響いて素直に感動しました。

その後、廣徳寺の合唱団「パディテーナ」に所属し、「お寺」という場所を身近に感じるようになった頃、音大時代の友人の紹介でお見合いをし、福岡県小郡市の真宗大谷派のお寺に嫁ぐことになりました。連研で「正信偈」をお勤めできるようになったと思っていた矢先の出来事で、ちょっと節が違ったり、読みが違ったりと戸惑うこともあったのですが、楽譜を見る感覚でそれはそれで結構楽ませてもらいました。

2014年7月、仏前結婚式を無事に終え、様々な行事に追われながらの生活がはじまりました。友人からは「お寺って大変でしょ?」と聞かれますが、「どこに嫁いでも育った環境が違うわけだし、仮に隣の家に嫁いでも大変なはず」と思って暮らしています。仏教讃歌は得意分野ですが、お寺のことは全くの素人。不安は隠せません。しかし、とにかく真面目でユニークな家族に出会えたのが一番の喜びです。

お寺に住むようになり半年。あたらしい生活の中で、今までなかなか気づくことがなかった日々の暮らしの些細な出来事に喜びを見いだすことが出来る教えと出会えたように思います。「えらばず、きらわず、みすてない」ほとけさまのこころ、その呼びかけに応え、「くらべず、あせらず、あきらめず」生きていければと思っています。

仏教讃歌は教えに遇えた喜びを歌うもの。多くの方に仏教音楽の魅力を伝えることができるよう、これからたくさんの出会いを大切に学び歩んでいきたいと思っています。

♪願わくは 一切世界の人々と  この出会いの喜びを  みな平等に分かち合い  ともに仏になる心 発して  阿弥陀みほとけの  安楽国に生れ  生きてはたらく身とならん (「回向」「願以此功徳」和訳歌詞より)
合 掌


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