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川内原発の問題について 岡田晃昭(鹿児島教区善福寺住職) [2015年1月1日号(第118号)]

九州電力川内原子力発電所が立地する薩摩川内市は、鹿児島県の北西に位置しており、2014年現在で人口約10万人、世帯数約4万6千戸。面積では県内一位、人口では第四位であり、これまで北薩と呼ばれる地域の中心的な役割を担ってきた地方都市である。

川内原子力発電所は、薩摩川内市が平成の大合併(一市四町四村)前に川内市であった1984年に川内原発一号機が、1985年には二号機(何れも加圧水型軽水炉89万キロワット)が運転を開始している。当時を知る人に聞くと、住民の意識としては、市の振興に寄与すると言うことで、おおむね歓迎して誘致されたようである。事実、電源立地交付金だけでも2012年においては13億円が交付されており、他にも固定資産税や各種の寄付金として市の財源に繰り入れられている。また、九州電力のグループ及び関連会社、原発の定期点検時における作業員約3000人のもたらす経済効果は、この30年以上に渡って立地自治体としての薩摩川内市(旧川内市)を支え、潤してきたといって良いだろう。更に言えば川内原発では、2011年の時点で三号機(改良型加圧水型軽水炉159万キロワット)の増設計画の決定が目前であったのである。(震災後計画は宙に浮いた状態である。)

しかし、2011年3月11日の東日本大震災における、東京電力福島第一原子力発電所の事故によって、これまで見えていなかった(見えないように隠されていた)種々の問題が、いわゆる「見える化」されてしまったのである。

 震災以後に見えてきたものは、今日の原子力関連の技術が、一度制御を失ってしまった核燃料に対して全くなす術が無かったということ。発電事業者の慢心とも思われる管理の杜撰さ、国や電力会社の無責任さ。そして立地自治体のみならず、とてつもなく広域に渡って放射能物質をまき散らし、人々の生活を根こそぎ奪い、長く多くの人々の生命を危険にさらす(特に子どもたちに対して)という事実。さらには、原子力に群がる利権の構造であり、地方における電力会社の持つ巨大な〝力〟であり、大都市の電力をまかなう為に地方に住む人々が〝原子力マネー〟との引き替えに、あまりにも大きなリスクを背負っていたのだという事実であった。

また、原発という施設が元々抱えていた構造的な問題(下請け、孫請けで働く多くの作業員に被曝労働を強いることで成り立っていることや、行き場の決まっていない核のゴミと言われる放射性廃棄物、等々)も明らかになった。私には、そこに沖縄における基地問題にも共通する根深い〝犠牲〟の構造が有るようにも思われてならないのである。

10月20日薩摩川内市議会は、「川内原発の再稼働に同意する陳情」を賛成多数で可決した。これを持って薩摩川内市長は、川内市民の民意が示されたとして再稼働に同意した。鹿児島県議会も同様に、再稼働に同意する陳情を採択し、県知事も〝民意〟が示されたとして、再稼働に同意を表明した。

声を聴けば、原発反対派はもちろん原発容認派であっても「無いに越したことは無い」と言う。しかし減り続ける人口、萎む地方経済にあって、原発マネーは、たとえその選択が〝生活を根こそぎ奪い、生命を危険にさらすリスクを抱える〟ことと引き替えにすることだとしても、自らにそれを選ばせてしまうのである。

同じく原発立地県である福井県の原発交付金依存の状況を、「麻薬漬け」と表現している報道があった。原発交付金はまさしく一度その恩恵に与ってしまえば、それ無しで市政を運営していくことも、原発の恩恵無しで産業を興し、独自の歩みをすることを考えることすら奪ってしまう。

私は先日、とある用務で老舗の旅館に予約の電話を入れた。しかし電話の向こうから聞こえてきたのは、おおよそ接客業として考えられないような対応であり、正直愕然とした。原発でホテル・旅館業が潤うというのは、一般の宿泊客を少しでも呼び込もうとすることをしなくしてしまっているのでは無いかと感じた事象でもあった。

また、自分なりにではあるが、ある時にはインターネット上のソーシャルネットワーク(フェイスブックやツイッターなど)で、またある時には僧侶として地元で活動している中で、原発の持つ問題点や、原発の無いまちづくりを目指す必要性を話してきた。そんなある日、川内の街で飲んでいると、ちょっとした知り合いに、「お寺のぼんさん(坊さん)な、結構言うこと言うどな…。」と緩やかにプレッシャーを受けたことがあった。その言葉の主は、まさしく原発関連の業者に勤めている人であった。

私のお預かりしているお寺の門信徒の中にも、原発関連の事業を営む人、お勤めの人も居る。その点は配慮をしてきたつもりであったが、その人にとっては生活の基盤を奪おうとしていると映ったのかも知れない。

私は、〝今は〟原発が無いと困る人々とも、「今すぐ原発を無くせとは言わない。しかしせめて10年後いや20年後、原発が無くてもやっていける街づくりを、会社作りをして行こう。」という点に於いて、共に考え歩んで行けるのではないかと思っている。

最後に、原発は発電していなくても、存在そのものがリスクであると言うことを案外知らない人が多いように思う。莫大な電力を生み出す原発は、発電を止めたその時から、冷却に多大な電力を消費する施設になると言うこと。『大切なことは、一つ目を作らない(作らせない)こと。』これに尽きるのである。


日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか

日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか

  • 作者: 矢部 宏治
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  • 発売日: 2014/10/24
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